(↑ 2024年11月25日「相模原北公園」にて撮影 ※記事内容には関係ありません。)
2024年12月15日付の東京新聞朝刊の「時代を読む」欄に載った田中優子氏のコラム「市民のちから」を紹介します。
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「市民のちから」 法政大学名誉教授・前総長 田中優子
驚愕(きょうがく)した。いまどき、こんなことが起こるのか。尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領による「非常戒厳」宣言である。その動機は単に野党の力を抑えるためだったが、「北朝鮮の共産勢力の脅威から韓国を守る」と言ったという。恐怖に駆られた誇大妄想に聞こえる。
日本でも気に入らない意見の人を「共産主義者!」と罵倒する人がいるが、言葉が貧しいのね、と笑って済んでしまう。大統領となると笑ってはいられない。戒厳下では集会やデモなど政治活動が禁止され、全てのメディアと出版が統制を受けるのだ。韓国は軍事政権下にあったから、戒厳令は1961年から80年代前半まで何回か出され、80年5月の光州事件では多くの方が亡くなった。87年にようやく民主化すると、その進展は日本より早かった。
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日本の政治状況にも、考える力のある市民がもっと関与しなければならないだろう。
先週の「時代を読む」で内田樹さんが「市民的成熟」について書いていたことに、深くうなずいた。「田舎の道にある無人販売所」の例えが、今の日本社会をずばりと表現していた。ふつうの人はりんごを取って代価を置いて行く。それに対して、そこにあるりんごと、置いてある代金を盗んでゆく者が出現して高笑いする。すると、そういう人間を「賢い」とほめる者が出てくる。今は選挙という現場でこのとおりのことが起こっている。このような状況を放置しておくと「市民全員が潜在的には泥棒である」という前提で社会のルールが決められていく、と論じられていた。
ではどうしたら良いか。民主主義政治は市民が成熟していないと機能しないのだから、市民としては自分を人間として成熟させるしかないのである。しかしその成熟とは何かの基準が失われたことで、今のような状況に陥っている。金や票の盗人たちは法律の網目をかい潜(くぐ)り、それができることを「頭が良い」と言う。高学歴の者もそうでない者も、学歴職歴詐称者も、もはや横並びだ。
江戸時代では学問が、まともな人間になるために存在した。今と未来の社会にとって成熟とは何か、多くの人が声を出す時代が来ている。
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(※文中の段落分けと文字の太字化はブログ管理人によります。「◇ ◆ ◇」による仕切りは元々あるものです。※文中のリンクはブログ管理人によります。)
田中氏とその前の内田氏のコラムとを読み、「市民のちから」や「人間としての成熟の基準」とは何だろう?と自問自答してみた結果、人間力を測る基準には大きく3つの要素というか、軸があるのではないかと考えました。
・左脳と右脳のバランスと、それに基づく問題解決能力の高さ
・自主・自立・自律の力の高さ
・他の人と協働できる力の高さ
それらの軸で考えると、現代人の人間力はどうなっているでしょうか? 現代人は文明を専門的に発達させた結果、人類の総合力=人間力の総和は非常に高くなったかもしれませんが、一人一人の人間力は太古の人間よりはるかに衰えてしまったと思います。まだ生態系のトップに位置していなかった太古の人間は、主に右脳をフル回転させて天敵や天変地異やから身を守り、すべてのことを自分でこなさなければならなかったのですから。他方、生態系のトップに立った現代人は、天敵がいなくなったことと、自然とかけ離れた生活を送ることで、まずは右脳を退化させてしまいました。その一方で、専門化や分業・分担を進め、自分で賄えない物や情報などをお金で買い、自分で学ぶ代わりに記憶や情報、ひいては思考力までをも外部化させてしまった結果、自分一人では食べていくこともできなければ、自分の頭でまともに考えることもできなくなってしまいました。合理性・利便性・効率化を追求して享受すればするほど、それと引き換えに、本来備わっていたはずの人間力を失ってしまうという重大なリスクを、忘れてしまっているのだと思います。私はコロナ禍でそれを痛感しました。左脳と右脳のバランスが取れていないどころかどちらも弱くなっていて、問題解決能力や自主・自立・自律の力が心もとない人がとても増えたと感じています。もちろん、私とて例外ではありません。
個人の人間力が弱まっている状態だからこそ、他の人との連帯、連携、協働が必要であるにも拘わらず、実際は自由主義や個人主義が増長し、連帯どころか分断しているのが今の日本であり世界の状況ではないかと思います。
多国籍企業が登場してグローバル化が声高に叫ばれ始めた頃は、世界各国がグローバリズムの名の下で連携、連帯していけるような幻想を抱かされました。少なくとも私はそうでした。各々の国力が上がって、みんな一緒に全体の力が上がるかのような。でも、それは大きな勘違い、幻想でした。気づけば、国家レベルを超える巨万の富と不当な権力をふりかざすごくごく一部のグローバリストが世界の種々の市場を席巻し、一般市民が食い物にされているという醜悪で悲惨な世界になっていたのです。経済市場だけではなく、メディアや情報網、国家によっては政府そのもの(日本が最たる例!)までもが操作されているという恐ろしい世界になっていたのです。自由主義と引き換えに、グローバリズムという名の全体主義が跋扈(ばっこ)する世界になっていたのです。それが自由主義や個人主義の落とし穴なのかもしれませんね。
ここで、先ほどの人間一個人の話を一国家に置き換えて考えてみると、同じ構図が浮かび上がるのではないでしょうか。国家間の連帯、連携、協働がむずかしいのであれば、各国そのものが問題解決能力や自主・自立・自律の力をつけるしかありません。それをしようとしているのが、かのトランプ氏なのではないでしょうか? もちろん、彼がそのために採ろうとしている手段は乱暴で稚拙で未知数の高いものかもしれませんし、トランプ氏が田中優子氏が言うところの「強権を握ろうとする政治家」の一人であるという見方が世の中には多いのかもしれません。でも、彼の考え方や手段が正当かどうかは一旦置いておくとすると、彼の言うところの「アメリカファースト」「自国ファースト」とは、利己主義というより、連帯という名の全体主義勢力に対抗できる独力をつけるための優先順位なのではないでしょうか。まずは、各国が全体主義勢力による浸食に甘んじることなく自国を守る独力をつけることで、初めて国家同士の対等な連携が成立する...トランプ氏はそう考えているように私には感じられます。そのことが不都合である全体主義勢力が、彼の言葉の揚げ足を取り、さまざまな方便で彼を悪者に仕立て上げている...私にはそんなふうに映るのです。
ふふふ...こんなことを言えば、トランプ氏やロバート・ケネディ・Jr.氏と同様、私も陰謀論者扱いされるかもしれませんね。でも、トランプ氏サイドと全体主義勢力...甘言や詭弁を弄しているのは一体どちらなのでしょうね。十年単位の時間が経過しないと誰にもわからないのかな? でもふたたび、そんな時間、評価を待っていては遅過ぎやしませんか?
国民同士が分断して喜ぶのはその国の為政者や権力者であるという構図と同様に、国家同士が分断したり戦争したりして喜ぶのは世界を支配する全体主義勢力に他ならないという構図を忘れてはならないと私は思います。そのためには、世界を俯瞰し、空間軸と時間軸を広げて考えることがまず大事でしょう。特定の情報源や取得手段に頼らないことも大事だと思います。そして、たとえ他人(/他国)から悪人(/悪国)扱いされても性善説に基づくことを排して考え、たとえ変人(/変国?)扱いされても少数派に属することを恐れない勇気が必要でしょう。さらには、違う意見(/他国の姿勢)にも耳目を傾けて自分(/自国)の考え(/政策)を磨き直しながら、互いに議論(/外交)することも大事でしょう。人が好(よ)く、多数派に属して安心する日本人(/米国に隷属せざるを得ない敗戦国の日本)が最も持ちがたい勇気かもしれませんし、意見表明や議論の苦手な日本人(/外交の苦手な日本)には億劫なことかもしれません。でも、それが自主・自立・自律や連携・協働につながり、個人や個人同士(/国家や国家同士)の問題解決能力を高めることにつながっていくのではないでしょうか。そして、その先に、内田氏や田中氏の言うところの「人間(/国家)としての成熟」「民主主義の成熟」が待っているのではないかと私は思います。私自身にとっても大きな課題です(^^ゞ
最後に、かのキング牧師の有名な言葉を引用します:
"History will have to record that the greatest tragedy of this period of social transition was not the strident clamor of the bad people, but the appalling silence of the good people." (この変革の時代における最大の悲劇は、悪人の執拗な叫びではなく善人の呆れるほどの沈黙であったことを、歴史は記録しなければならないだろう。)
なんだ、これではまるで、田中氏のコラムの最後の文言と、表現は違えど同じ内容になってしまいますね(^^; 何を言いたかったのかよくわからなくなってきたので、この辺で...(^^ゞ 論理破綻&冗長な文章に最後までおつき合いくださり、誠にありがとうございましたm(__)m
何を隠そう、実は陰謀論者?&たとえ陰謀論者と言われても沈黙しない決意を固めたtakuetsu@管理人でした(^^ゞ
追伸的つぶやき:まともな人間になるために学問が存在するのは、今でも同じではないかしらん? でも、多くの人は、何かのための手段としての勉強はしても、学問はしていないような...(^^;