29.
2005年6月23日。いよいよ照射を2回残すのみとなったその日、治療仲間のMさんとまた会った。彼女は私に手作りのプレゼントがあると言ってくれる。思いがけなかったし、母のような年齢の同志がそんなことを言ってくれるので、本当に嬉しい。治療の後一緒に病室に来てほしいと言うので、彼女の治療が終わるのを待った。
病棟に行くのは初めてだった。やはりN医科大学付属病院とは違って、天井が高く広々としていて、高級感がある。彼女が照れくさそうに手渡してくれた贈り物は、入院中に仕上げてくれたレース編みのペットボトルホルダーだった。レース糸の柔らかさと手作りの温もりが手に伝わってくる。「あなた、毎日ペットボトルにお茶を入れて持ってきてたでしょう? だから、これにしたの…」と彼女は言った。ペットボトルの周りに水滴がつくので、ポリ袋に入れて私が持参していたのを、彼女はちゃんと見ていたのだろう。涙が出そうなほど嬉しかった。私が何度もお礼を言うと、彼女はさらに照れているようだった。
2005年6月24日。ついに照射最終回を迎えた。この頃には左乳房全体に少し赤みがかかり、最初に言われたとおり、軽い火傷の状態になっていた。それでも、乳頭と乳輪が乾燥して下着に触れると少し痛む程度で、痒みや腫れやただれなどはなかった。結局、最後までM先生から塗り薬が処方されることはなかった。縫い目についていた最後のテープは外された。
本来なら照射後血液検査とレントゲン検査をするのが通常だと言われる。Y先生のもとで血液検査をしたばかりだったので、その結果を伝えるついでに、白血球などの減少と放射線照射との関係を尋ねてみると、M先生の返事はこうだった。「放射線治療単独では、あまり減少しないのが普通ですけどね」 抗がん剤と併用すると減る、という意味だろうか。Y先生は照射の影響だと言っていたのに…。「普通はそうでも、私の場合は現に減っているのですが…」私はそう言いたかったが、その言葉を飲み込んだ。
血液検査、レントゲン検査は引き続きN医科大学付属病院で行うようY先生に引継ぐ、報告も兼ねて手紙を用意するとM先生は言った。2週間後に取りに来るように言われる。
2005年6月23日。いよいよ照射を2回残すのみとなったその日、治療仲間のMさんとまた会った。彼女は私に手作りのプレゼントがあると言ってくれる。思いがけなかったし、母のような年齢の同志がそんなことを言ってくれるので、本当に嬉しい。治療の後一緒に病室に来てほしいと言うので、彼女の治療が終わるのを待った。
病棟に行くのは初めてだった。やはりN医科大学付属病院とは違って、天井が高く広々としていて、高級感がある。彼女が照れくさそうに手渡してくれた贈り物は、入院中に仕上げてくれたレース編みのペットボトルホルダーだった。レース糸の柔らかさと手作りの温もりが手に伝わってくる。「あなた、毎日ペットボトルにお茶を入れて持ってきてたでしょう? だから、これにしたの…」と彼女は言った。ペットボトルの周りに水滴がつくので、ポリ袋に入れて私が持参していたのを、彼女はちゃんと見ていたのだろう。涙が出そうなほど嬉しかった。私が何度もお礼を言うと、彼女はさらに照れているようだった。
2005年6月24日。ついに照射最終回を迎えた。この頃には左乳房全体に少し赤みがかかり、最初に言われたとおり、軽い火傷の状態になっていた。それでも、乳頭と乳輪が乾燥して下着に触れると少し痛む程度で、痒みや腫れやただれなどはなかった。結局、最後までM先生から塗り薬が処方されることはなかった。縫い目についていた最後のテープは外された。
本来なら照射後血液検査とレントゲン検査をするのが通常だと言われる。Y先生のもとで血液検査をしたばかりだったので、その結果を伝えるついでに、白血球などの減少と放射線照射との関係を尋ねてみると、M先生の返事はこうだった。「放射線治療単独では、あまり減少しないのが普通ですけどね」 抗がん剤と併用すると減る、という意味だろうか。Y先生は照射の影響だと言っていたのに…。「普通はそうでも、私の場合は現に減っているのですが…」私はそう言いたかったが、その言葉を飲み込んだ。
血液検査、レントゲン検査は引き続きN医科大学付属病院で行うようY先生に引継ぐ、報告も兼ねて手紙を用意するとM先生は言った。2週間後に取りに来るように言われる。