(↑小原浩靖監督)
昨夜、この記事を未完成のまま掲載してしまっていることに気づかず9時間も放置していたため、今朝慌てて削除したので、その間に読者が押してくださった「いいね」ボタンなども消えてしまいました(^^ゞ ブラウザの不具合でオリジナル記事を保存できなかったため、別にもう1本同じ記事を立てて非公開保存したところ、保存できていないと思っていたオリジナル記事が実は保存&公開されてしまっていたのです(^^ゞ 後で作った記事を残すという軽々な行動をとったことで、オリジナル記事にいただいていた「いいね」などが消えてしまったという経緯です。
ご厚意を無にする結果となり、誠に申し訳ございませんm(__)m
岸田政権は、福島第一原発の事故処理も避難民への補償もすまないまま、ロシアvsウクライナ戦争による海外のエネルギー危機に乗じ、日本の原発政策を”再稼働・使用期限延長・新設”へと舵を切り、しかも国民や国会に諮らずに閣議決定しました。
さらに、経産省は放射能汚染水の海洋放出を国民に受け入れやすくするのが狙いなのか、昨年12月に立ち上げたサイトで「アルプス処理水」と実体のわかりにくい言葉に言い換え、「ACジャパン」を使ってテレビで周知活動まで始めています。民意、世論を無視するどころか、巧みに情報操作している...政府の常套手段ですね(^^;
東京新聞の読者投稿欄には、その暴走ぶりを批判したり地震大国日本の行く末を案じたりする投稿が毎日のように続いています。
その一本、2023年1月5日付で取り上げられた「原発は自国に向けた核」という読者投稿(これについては最後に引用紹介します)で、ドキュメンタリー映画「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」(監督・脚本:小原浩靖 企画・制作:河合弘之弁護士)を知り、先日「シモキタ エキマエ シネマ K2」で観てきました。映画の内容と上映後開かれた小原監督によるトークショーについて、ここに紹介します。
タイトルにある通り、主な登場人物は樋口英明氏(福井地裁元裁判長)、河合弘之氏(弁護士)、福島の農業者たちです。くだんの映画サイトより引用します。
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2014年。関西電力大飯原発の運転停止命令を下した樋口英明・福井地裁元裁判長は、日本の全原発に共通する危険性を社会に広める活動をはじめた。原発が頻発する地震に耐えられないことを指摘する“樋口理論”の啓発である。そして原発差止訴訟の先頭に立つ弁護士・河合弘之は、樋口理論を軸に新たな裁判を開始した。逆襲弁護士と元裁判長が挑む訴訟の行方はいかに!
一方、福島では放射能汚染によって廃業した農業者・近藤恵が農地上で太陽光発電をするソーラーシェアリングに復活の道を見出す。近藤は環境学者・飯田哲也の協力を得て東京ドームの面積超の営農型太陽光発電を始動させる。原発をとめるために!
脱原発への確かな理論と不屈の魂、そして若き農業者たちの故郷への思い。原発事故11年目、真実と希望の映画が誕生した!
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樋口氏の判決文から引用します。
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原発事故のもたらす被害は極めて甚大である。
それゆえに原発には高度の安全性が求められる。
地震大国日本において
原発に安全性があるということは、
原発に高度の耐震性があるということにほかならない。
しかし、我が国の原発の耐震性は極めて低い。
よって、原発の運転は許されない。
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ここからは、映画とパンフレットからブログ管理人がまとめたものです。
樋口英明元裁判長:“樋口理論”に基づく原発運転差し止め判決と講演
樋口氏が原発運転差し止めを命じた科学的根拠が“樋口理論”です。”ガル”数(観測地点での振動の激しさ・加速度を表わす単位であり、建造物の耐震性能を表わす単位としても使われる)で、過去約20年間(気象庁と防災化学研究所が配置した地震観測網のデータを基にしているが、阪神淡路大震災を機に配置されたため、20年間分しか記録されていない)に起きた主な地震の規模と、原子力規制委員会が認可した原発の耐震性を比較、グラフ化したもので、それによると、日本の耐震設計基準が実際に起きた地震よりも低いことが明白となり、住宅メーカーの住宅の耐震機能をはるかに下回っていることも確認されました。
しかし、続く控訴審では原告側が敗訴しました。弁護団の弁明は、「住宅とは比較できない」「原発の耐震設計は岩盤のある地下を基準としているため、地表の揺れと比較できない」というもので、さらには「電力会社が『敷地内で700ガル以上の地震はまず起こらない』と主張しており、原子力規制委員会もそれを認めている」という耳を疑う内容でした。裁判官はそれらの主張を認め、「原子力規制委員会が出した安全基準を満たしている」という理由で、原発運転差し止め請求を却下したのです。
樋口氏は言います。原発推進側の弁護団は、高度科学技術に基づいた膨大な量の資料を出してくるが、裁判官は文系なので理解が及ばず、太刀打ちできないと。でも、「年々老朽化する原発が、経年につれて安全基準をクリアするとはどういうことか!」と。「原子力規制委員会とは、本来は監視する立場であるはず。ところが、推進側寄りの組織になってしまっている」とも。また、「たとえ建物や原子炉が地震で壊れなくても、配電と配管が壊れるのが原発の問題だ」とも言っています。
次々と司法が理不尽な判決を下していくのを見て、樋口氏は原発の危険性を訴えるため、退官後に全国を行脚する道を選びました。
樋口氏の判決文より、さらに引用します。
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コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土と、そこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
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河合弘之弁護士:経済弁護士から脱原発弁護士へ
かつては経済分野の大きな訴訟で次々勝訴し、「逆襲弁護士」の異名をとるほどだった河合氏。でも、「ずっとこれで行くのか...」と自問したとき、原発に目を向けることになった由。樋口氏と出会い、タッグを組み、全国の原発の差し止め仮処分の申し立てをして、精力的に動いています。本訴訟は時間がかかるため、判決が出るまでに事故が起こったらおしまいなので、差し止め仮処分を選んだとのこと。
パンフレットから引用します。
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原発というものは苛酷事故=急激かつ甚大な公害の危険が常に付きまとう。地球温暖化という緩慢・広範囲な危険を避けるために原発苛酷事故という急激・甚大なリスクを犯すというのは本末転倒だ。また、ロシアのウクライナ侵略での原発攻撃・原発占拠から学ぶべき教訓は原発の停止・脱原発である。エネルギーの当面対策としての原発奨励ではない。
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福島の農業者たち:ソーラーシェアリングで絶望から希望へ
福島の農業者の近藤 恵(けい)氏(「二本松営農ソーラー」社長)は、3.11の原発事故で被災して農業を一時廃業していましたが、ソーラーシェアリングに活路を見出し、2021年より農業復帰しました。
ソーラーシェアリングとは、太陽光を農業生産と発電とで共有する取組みである営農型太陽光発電です。太陽光発電パネルの下の農場で作物を栽培したり乳牛を飼ったりして、発電と農業で太陽光をシェアするという考え方です。近藤氏の農場のパネルは両面から太陽光を吸収する仕組みになっており、冬季に積もる雪の反射熱をも裏側で受けて発電し、地域住民の電力を賄っています。
現在、パネルの下の農場では、麦・ソバ・シャインマスカット・エゴマ・人参・イエローマスタードなどが栽培されていますが、収穫物を出荷するだけではなく、将来的にはぶどう狩りなどの収穫体験も考えているそうです。
出演者の一人、福島県の有機農業の草分けである大内信一氏の話が印象的でした。原発事故による放射能を浴び、ほうれん草は放射線量が高くて出荷できず全滅だったそうです。でも、「葉で放射能を受けてしまった分、土壌を守ったともいえる」と。一方、長ネギは何度検査しても放射線量が基準値を下回った由。その形状から放射能を受けにくかったのだろう、そして、根からも放射能を吸収しなかったということで、「植物は自分にとって何が必要か、何が悪いものかがわかっているのだろうと思った」と言っていました。
近藤氏が最後に声を詰まらせながら絞り出すように言った言葉には胸が詰まりました。「絶望...ほんとに絶望ばかり...でも、絶望じゃなくて、希望を見たいですよ」と。そして、紹介したのが『後世への最大遺物 デンマルク国の話』(内村鑑三著)です。アフガニスタンで凶弾に倒れた中村 哲氏が現地の人にいつも読ませていた本だそうです。岩波書店による著書の解説を引用します。
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普通の人間にとって実践可能な人生の真の生き方とは何か.明治27年夏期学校における講演「後世への最大遺物」は,人生最大のこの根本問題について熱っぽく語りかける,「何人にも遺し得る最大遺物――それは高尚なる生涯である」と.
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「『国富』とはなにか。足元の資源をいかすこと」...「二本松営農ソーラー」のサイトの最初に書かれている言葉です。絶望の淵から這い上がった近藤氏らが、足元の資源を活かしながら国富を自らの手で取り戻し、高尚なる人生を歩まれることと信じています。
小原浩靖監督:トークショーより
映画の登場人物たちの言葉を、監督の言葉で紹介されました。
樋口さん:機械は止めれば危険性がなくなる。でも、原発は止まってもその後の管理を続けなければならない。
私の話に納得したら、大切な人2人に伝えてください。その人たちがまた2人ずつ伝えてくれたら、1ヶ月で1億人に伝わります。
河合さん:裁判だけでは原発は止められないのです。裁判官は世論を見ているので、世論の後押しが必要なのです。
以下は、小原さんご自身の言葉です:映画には社会を変える力があると思っています。前作映画「日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人」(河合弁護士との共同制作)のDVDを国会議員に配ったところ、立憲民主党の議員が国会で映画の中のフレーズを引用し、フィリピンの残留邦人の調査の必要性を訴えたところ、岸田首相は「検討する」と返答しました。
一番心にずしっときたのは、小原さんが福島県の請戸(うけど)海岸(フクイチから北へ7Km)からフクイチを度々撮った理由です。3.11当日、浪江町の消防団が海岸線で流された人たちの捜索をしていると、車のクラクションの音・何かを叩く音・うめき声などが聞こえ、生きて救助を求める人たちを必死に救助していたそうです。22時~翌朝5時まで休憩し、再開しようとしていた矢先、官邸から避難指示が出て、消防団は助けを求める人たちをやむなく置き去りにし、避難誘導をすることになってしまいました。そして、捜索再開は1ヶ月後となり、海岸線から180名もの遺体が発見されたそうです。小原さんのカメラを何度もフクイチに向けさせたのは、原発事故さえなければ助かったかもしれない多くの御霊と、その生存を知りながらも置いて行かざるを得なかった消防団の無念の想いだったのでしょうね...。
河合さんら弁護団が起こしている伊方原発の控訴審の判決が今年の秋頃に出るのではないかと思われる、ぜひみなさんにも注目してほしいと、小原さんはトークを結びました。
「シモキタ エキマエ シネマ K2」での上映は本日1月26日まででしたが、自主上映の申し込みも可能ですし、すでに企画されている自主上映もあります。「武蔵野|政治塾」さんが近々樋口英明氏の講演とセットで吉祥寺で鑑賞できるよう企画している旨、会場で伺いました。
冒頭で紹介した、2023年1月5日付東京新聞朝刊の読者投稿欄「ミラー」に掲載された投稿を最後に引用します。
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「原発は自国に向けた核」 無職 背戸柳 勝也(80)(川崎市宮前区)
現在も上映されている映画「原発をとめた裁判長」は福井の大飯原発の運転差し止め判決、高浜原発の再稼働差し止め決定を出した樋口英明元福井地裁裁判長を中心に描いた映画だ。
樋口氏は各地で起きている大地震に対し、ほとんどの原発の耐震性が低いという事実を調べ、住宅メーカーの住宅の耐震性をも大きく下回る点を指摘。原発が大地震に耐えられず、再び原発事故が起きれば、国民の平穏な暮らしや豊かな国土が失われると訴える。
上映初日の樋口氏、河合弘之弁護士、小原浩靖監督のトークショーで、樋口氏は河合弁護士の「原発は自国に向けられた核」との説を引用して「原発の最大の問題は安全保障だ」と明言した。現政権は安全保障環境の悪化を強調。防衛力強化のため、防衛費を倍増する発言を強めるが、原発の脅威には触れず、むしろ原発推進に前のめりだ。
南海トラフ、首都圏直下、千島・日本海溝での巨大地震の予測もあるなか、再び原発事故が起きれば、さらに多くの住民が重大な被ばくにさらされ、故郷も財産も生業も奪われ、長期にわたる国土汚染が続く。
さらに、ロシアのウクライナの原発への攻撃で明らかになったように、ひとたび戦争に巻き込まれれば、原発はミサイル攻撃も受けかねない。日本海側の複数の原発を一斉にミサイル攻撃すれば、日本はほぼ壊滅するのではないか?
河合氏や樋口氏の言葉を政府も原子力関係者もよく噛*(か)みしめるべきだ。
* ブログ管理人注:原文では環境依存文字が使われているので、文字化けを避けるため、常用漢字に置き換えました。
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長文を最後までご高覧くださり、感謝しておりますm(__)m
ぜひ樋口氏の講演を聴きに行きたいと思っているtakuetsu@管理人でした。
この記事をお読みくだってコメントをいただき、ありがとうございます。
恥ずかしながら、私はこのドキュメンタリー映画を鑑賞することでしか、樋口さんの下した判例も人柄も存じ上げていない状態でこの記事を書きましたので、ほんの一側面しか視ずに判断していることをお詫びするとともに、その点をご理解いただけると幸甚です。
ですので、この件だけをもってして樋口さんを「正義の人」扱いしているつもりはありませんが、そう受け取られても仕方ないと思います。
あなたさまのお知らせくださった判例2件について、裁判所の裁判例検索で調べましたが、検索の仕方が悪いのか、どちらも見ることはできませんでした。申し訳ありません。
また、書いてくださった経緯や樋口さんの判決文のごく一部を拝読しただけで、法律に疎く裁判経験もない私があなたさまの問いに応えることはできませんので、これから申し上げることに失礼があるかもしれませんが、予めお詫びしておきます。
でも、誠心誠意、あなたさまの立場に立って思いを巡らせ、書いてみますので、その努力に免じてお許しいただきたいと思います。
あなたさまが書いてくださった諸裁判の経緯を私がどれくらい理解できたかはわかりませんが、少なくともあなたさまが提訴され/提訴してこられた結果、望まぬ判決を受け続けて多くのものを犠牲にされ、理不尽な司法のありように不本意で、生きていく力を失ってしまうほどに絶望や恐怖に苦しまれ、やるせない怒りや悲しみや絶望感のやり場も見い出せないでいらっしゃることだけは拝察できました。
提訴される/提訴する、闘い抜く、判決を受け止める...この一連のことがどれほどの心身のエネルギーを要するのか、経験のない私には察するに余りあります。さぞ苛酷な年月を過ごされてきたことと拝察できます。「本当にお疲れさまです。生きる希望を失いながら、よくぞ今までがんばってこられましたね」と申し上げるしか私にはできませんが......。
その中で、拙記事をご覧になり、その絶望感がいや増してしまったのではないかと想像すると、物事を一面でしか視ずに記事を書いた自分を反省しておりますし、申し訳ない思いで一杯になります。
ただ、日本は法治国家のはずですが、私は日常のあらゆる場面でそれに疑問を持つことが多いですし、また、日本の司法は概して権力寄りだという印象をも持っております。確たる根拠はありませんが、広島の被爆二世として、これまで広島・長崎の被爆者や福島の被災者が起こしてきた諸裁判で出された判決を見てきた限り、そういう印象を持たざるを得ないのです。
ですので、ここの文面だけであなたさまの関わった諸裁判を公平に客観的に視ることはできないまでも、あなたさまがそんな日本の司法を相手にどれだけ苦労され、蔑ろにされ、絶望されたかについて、想像を巡らせることだけはできます。いざ自分が当事者になったらあなたさまと同じ思いを抱くことになるやもしれないと思うと、本当にぞっとします。
また、「適正,公平な社会のためには、虚偽は到底必要である」という判決の意味は、これだけでは私には全く理解できません。「到底必要である」という日本語自体もおかしいですものね。
現在、あなたさまと同じように、理不尽な司法を相手に苦しみながら闘っている人が大勢いるのではないかと推察できます。そういう方たちと横につながることで希望を見出すことはできないでしょうか? でも、きっとそう簡単なことではないですよね...。愚考を巡らせた結果、こんなことしか申し上げられなくてごめんなさい。
現段階で私が申し上げることができるのはこの程度です、本当に申し訳ありません。失礼の段はお許しくださいませ。
私は無神論者ですが、他に適切な言葉が見つからなかったので、この言葉を最後に...どうぞ、これからのあなたさまに司法の神のご加護がありますように...生きる支えとなるものに巡り会えますように...。
これから、入院している義母の面会に参りますので、これにて閉じさせていただきます。申し訳ありません。
どうやって生きれば良いですか
私は、虚偽事由で侮辱されて提訴され、敗訴し、様々なものを失いました。
これを提訴したところ、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は必要である」として敗訴しました。(本人訴訟)
弁護士会と日弁連は、当弁護士に対し、「噓をつくことは正当な弁護士行為」と議決して懲戒処分せずに、直後に当弁護士を会長・日弁連役職に就任させており、原告が提訴した時には、「当行為を処分しないからといって、原告(国民)に損害を与えていない」と主張しては、再び争いました。
裁判官たちは、権利の濫用を許し、当理由で原告敗訴としました。
国家賠償訴訟(福井地方裁判所.平成24年ワ第159号)事件を提起したところ、 国は「争う」とし、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と判決して、原告敗訴としました。
裁判官に深々と頭を下げて喜ぶ国家公務員の方々の姿がありました。
(その控訴(名古屋高等裁判所.金沢支部.平成24年(ネ)第267号)で敗訴確定)
その後に刑事告発したところ、詐欺罪として受理されました。(時効で不起訴)
近年、再審請求しました。
再審請求では当然に憲法違反を詳細に訴えたのですが、再び「憲法違反の記載がない」を理由に決定を受けました。(第一小法廷)(日弁連経歴者所属)
絶望と恐怖があるのみです。
日本は、法による支配(人権擁護)していますか?
さて近年、元裁判官の樋口英明氏は、過去の立派な行動(?)を講演し、ドキュメンタリー映画をも作成したと聞きましたが、 当事件において、詐欺加害者に加担するかのように、「適正,公平な裁判のためには、裁判では虚偽は到底必要である」と法を無視して言い渡したのは、樋口英明 です。
あなたは、詐欺被害で苦しむ人々に対して、このような卑劣な判決を言い渡して来たのですか?
この樋口英明を「正義の人」扱いするのは、妥当ですか。
この判決と原発訴訟の判決の(人間)関係を知っていますか。
「今はちょっとアレな状況」...ボッケニャンドリさんはこういう”行間のニュアンスを含めた簡潔表現”がお得意ですね(^^)v
それはともかく、「なので原発を特例承認して稼働して欲しいところですけどねぇ。電気供給してもしなくても危険度は大差ないわけだから。」は、言われてみると確かにそうだとうなずいてしまいます(^^ゞ
科学的根拠も説明もなくして、原発もワクチン使用期限も延長...ほんと、皆同じ、本質は通底していますよね。
神頼みや神風期待も似ていますね。
日本人は何事も曖昧で人頼み、責任の所在まで曖昧にして、有事には「赤信号 みんなで渡ったから怖くないし、みんなの責任だよね(^^;」
でも、放射能に関してもそれじゃ困りますよね(^^ゞ
この無責任体質、もしかしたら、戦後のアメリカ支配と無関係じゃないかもしれませんね。
「Aさんがこう言ってるから従っただけで、Jの意思でも責任でもないんだから、後は知ら~ん」みたいなのが、ずっと惰性で続いちゃってるのかも?!
電気供給してもしなくても危険度は大差ないわけだから。
それにしても耐用年数を40年から60年に延長。
ワクチンの使用期限を延長。
原発もコロナ騒ぎも似てますね。
だけど色々テキトーに決めた人達のせいで嫌な目に遭うのだけは勘弁。
決めた人達って、
放射能除去装置をイスカンダルに取りに行けばハッピーエンドだと本気で思ってそう。
こういうのを神頼みって言うんでしょうね、神風を期待する伝統もあるし。