えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第1章 ある日突然… 17.

2007年04月03日 | 乳がん闘病記
17.
 気持ちの整理がつくと、だいぶ落ち着いた。すると今度は、耳元でF先生の言葉が蘇った。「ご自分でも勉強してみてください」「本はいろいろ出ていますし、ネットでも調べることができます」「セカンドオピニオンを求めるのも自由です」......

 乳がんという病気のこと…病期に応じた治療法の違い…手術することになったとき、本当にN医科大学付属病院で受けてよいのか…セカンドオピニオンを求めるとしたら、どこに何を訊いたらよいのか…調べることはごまんとあるが、どこから手をつけてよいかわからない。とにかく、ウェブで片っ端からサイトを開いては、乳がんについて読み漁る。

 メールを書くことで一旦は落ち着いていた心臓の鼓動が、読む内容に応じてまた早くなったり遅くなったりする。少し落ち着いたかと思うと、またすぐにドキドキした。もう止めてしまいたい、うっちゃりたい気持ちと、次へ次へと急かされる気持ちとが、何度もせめぎ合う。小刻みに振り回されるジェットコースターにでも乗っているかのような気分だった。

 第一情報があふれていて、キリがない。今自分に必要な情報と、今は不要であるが後で必要かもしれない情報と、自分にはずっと必要ではない情報と…それらを簡単に選別できたら、もう少し楽なのではないかと思った。ため息とも深呼吸ともつかないものを繰り返しながら、情報の洪水の中でPCと対峙し続けた。

 自分がこんなことになるまで、がんなんて全くの他人事だと思っていた。確かに父親譲りの虚弱体質で、小学校時代は欠席が多かった。でも、「成人までは生きられないだろう」と医師に言われていた父が、80歳を過ぎて大腸がんになるまで細く長くしぶとく生きてきたのを見ていて、自分も同じような経過を辿るのではないかと勝手に思っていた。いつか自分にもがん患者になるときが来るかもしれないと、漠然と思ってはいたものの、それは父のようにずっと年をとってからのことだと思っていた。何の根拠もなく。そして、高齢になってがんになるのは、もはや致し方ないとも思っていた。
 そんな私がまさか40代でがんになろうとは………。

 他人事だと思う気持ちの奥底には、「がん」の2文字に対する恐怖心があったのかもしれない。その証拠に、テレビで放送されるがんに関する番組は、情報番組であれドキュメンタリーであれドラマであれ、一切見ないようにしていた。それは、父ががんの治療を受けてからも、変わることはなかった。もしかしたら、がんという病気を知らないがゆえに向き合うのが怖くて、他人事だと思いたかったのかもしれない。

 こんなことになるのだったら、もう少しテレビでも見ておけばよかった…自分の不勉強をちょっぴり悔いた。

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