昨年のことで恐縮ですが、1年前の今頃、地元稲城市の小田良(こだら)という里山地区の初午(はつうま)行事を見学させてもらいました。昔ながらの農村に残る7箇所のお稲荷さんに子供たちが幟を立てて回り、その年の無病息災を祈る行事です。
<初午 豆知識> (Wikipediaより)
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初午(はつうま)は、2月の最初の午の日。稲荷社の縁日で、雑節の一つとすることがある。
全国で稲荷社の本社である京都の伏見稲荷神社の神が降りた日が和銅4年2月11日(2月9日説もある)であったとされ、この日が初午であったことから、全国で稲荷社を祀る。この日を蚕・牛・馬の祭日とする風習もある。江戸時代には、この日に子供が寺子屋へ入門した。
本来は旧暦二月の最初の午の日であるが、現在では新暦2月の最初の午の日とされている。そのため、元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。 また今では二月最初の午の日とされるが、古来は、立春以降の最初の午の日に行われていた。
2月の2回目の午の日を二の午(にのうま)、3回目を三の午(さんのうま)と言い、これらの日にも祭礼を行う地方や、二の午もしくは三の午にのみ祭礼を行う地方もある。
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曇天の寒い日のことで画像はよくありませんが、子供たちとそれを見守る大人たちの熱気が伝わると幸いです。gooのアルバムにまとめたのでご高覧ください。
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稲城の伝統行事 ~初午行事2011~
アルバム中、「『丸石稲荷』の丸石には『鳴き石』の別称があり、先祖から語り継がれた伝承の残る、いわれのある石」と解説しましたが、ここで伝承逸話を披露します。(ちなみに、この地区の地図をこちらでご覧になれます。)
於部屋(地名)のある人が中山家の下の田んぼを耕作中に、田んぼの真ん中で見つけた大きな丸い石が
邪魔だったので、持ち帰って漬物石にした。ところが、ある日の夜中にその石が鳴り出し、3日3晩続いたので、
気味悪くなって元の場所に戻した。
何年か経ち、中山氏が耕作することになったとき、やはり邪魔になったので持ち帰り、家の縁側の下に置いた。
ところが、また夜になると鳴り出すので、庭先に祠を造り、その石を御神体として「丸石稲荷大明神」と崇めることにした。
それからは石は鳴かなくなった。
また、大塚牧場の河津桜のその後の様子を、こちらでご覧になれます。
アルバムにもありましたが、太鼓を叩いていた少年の一人が中山家のご子息です。当時小学校の高学年だった彼は、途中で足許に椿の実を見つけました。「あ、椿の実だ!」と嬉しそうに拾い、大事そうにポケットに入れた姿がとても印象的でした。
椿の実を見つけてそれをそれと認識し、大事に思って拾う小学生が、現在この東京にどれほどいるでしょうか? この地区に、しかも代々この地でこの地を耕してきた家に育った少年だからこそ、できることではないでしょうか...。
東京のド田舎ですが、こんな稲城市が私は好きです。