えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第2章 怒涛の日々 22.

2007年05月01日 | 乳がん闘病記
22.
 そんなふうに感情の起伏をなんとかコントロールしながら、Y先生の診療日を迎えた。2005年3月24日、運命の日…。
 Bさんが事前に「つき添ってあげようか?」と言ってくれたが、私は「一人で大丈夫」と断っていた。夫にもつき添ってもらうつもりはなかった。それくらいは一人で乗り切らなければと自分に言い聞かせていたのだ。

 半月前漠然とした不安を抱えながら身を置いた外科の待合室に、私は再び座っていた。前回とは違った意味で緊張していた。「悪性である可能性が高い」「十中八九手術することになるだろう」とF先生に言われていたので、覚悟はできていたし、準備も整えてきた。でも、低いとはいえ、リンパ節や他臓器への遠隔転移の可能性もある。私は新たな不安の中にいた。
 また、Y先生とは今日が初対面だ。F先生は誠実そうな感じの良い先生だったが、Y先生はどうだろうか? この病院で治療を受けることにすれば、Y先生が治療の中心であり、執刀医にもなりそうだ。どんな先生なのか、それも気がかりだった。

 この日は予約があったにもかかわらず、なかなか呼ばれなかった。質問事項を並べたエクセルシートを、所在なくながめたりする。悪性と確定すれば、被爆二世として医療費の助成を東京都から受けるために、Y先生に診断書を書いてもらわなければならない。市役所から取り寄せた所定の用紙を手元に出した。忘れないようにしなければ…。

 3つの診察室からコールするそれぞれの医師の声から、Y先生を想像してみた。第3診察室の声が最も大きく明確で、しかも快活だった。呼ばれる患者は女性が多いようなので、おそらくこの先生が乳腺外科の医師だろう。―この先生がY先生ならいいな。感じ良さそう…― 患者をコールするだけのことでなんとなく人柄が偲ばれてしまうのも、よく考えれば怖いことだと思ったりする。

 そのとき、「K畑悦子さん、K畑さん、第3診察室にお入りください」とその声の主が呼んだ。―やった、この先生がY先生だ。よかった!― 私はその声から力を得て、部屋に入った。

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