「道の学問・心の学問」第六十八回(令和3年8月31日)
石田梅岩に学ぶ⑨
「都(すべ)て世界の善き事を我が身一つに合はせ聚(あつ)めんと我を立てよ。」
(『遺芳録』)
梅岩は人の心の在り方を「忠太郎」「私二郎」「我三郎」という三兄弟に託して、「我を立てる」事の重要さを教えている。
長男の忠太郎は他人想いで優しいが柔弱で勇気が少ない。私二郎は自分中心で人の善事の邪魔ばかりしている。我三郎は人から辱められる事を嫌い、何事でも負ける事がいやな気質を持っている。そこで、梅岩は、忠太郎の忠を貫かせる為には、私二郎を排除して、我三郎の助けが必要なのだと言う。「忠」は理念として素晴らしいが、ともすれば「私心」に妨げられる。それ故、「我を立てる」=「強い意志を持」たなければ、実行に至らないのである。
梅岩はそれらの事を三種の和歌に表して詠んでいる。
忠太郎心尽しの物なれど我に助けられ名をぞあげける
私二郎といふ物なくば忠太郎助けなくとも名をぞあぐべし
聖人も仏もきらふものなれど我をばたてて忠となすべし
そこで、梅岩は、「我の立て様」について、二十三の具体的な在り方を教授する。
一 主君に仕えるには、忠を唐の比干、我が国の楠木正成公にも劣らないと我を立てよ。
一 父母に仕えるには、舜や曽子の孝にも負けないと我を立てよ。
一 学問では、子游・子夏にも勝ると我を立てよ。
一 書道を学ぶには、弘法大師や小野道風より上達すると我を立てよ。
一 家業については、手足が身に添う様に、離れない事は天下の人に勝ると我を立てよ。
一 下の人を恵むには、延喜の帝(醍醐天皇)に習い奉ると我を立てよ。
一 無念無心を学ぶには、お釈迦様と同じ様に成ると我を立てよ。
一 朝起きを学ぶには、鳥や鶏にも遅れないと我を立てよ。
一 身を働かせるには、百足(ムカデ)にも勝ると我を立てよ。
一 良く働く事は、猿の手を不精と見る位までになると我を立てよ。
一 人の事を謗る時には唖になる(自分は決して言わない)と我を立てよ。
一 食物を好き嫌いしないのは蚯蚓(ミミズ)にも負けないと我を立てよ。
一 自分の事を謗られる時は、聾に成ると我を立てよ。
一 返答をしないと心に決めた時は、虚空を打つ様に、例え打たれ叩かれても、決して自分の口を鳴らさないと我を立てよ。
一 財宝を遣うのは、主君を使う様に、使わないものと我を立てよ。
一 貧窮の人を恵むのは、川端で水を遣う様に惜しいとは思わずに救うと我を立てよ。
一 心を明らかにする事は、神明(神様)と腕相撲をすると我を立てよ。
一 仁徳に至るには、大聖孔子の仁徳に劣るならば人と生まれた甲斐は無い。孔子より下とは言われない。不仁不徳と言われては活きていても死んだも同然と我を立てよ。
一 凡そ人我と言うものは、聖人も仏も諸道に於て之を嫌うものだが、我れは我を以て忠を守る主人とする。この様に卑しい我ではあるが、用いれば用いる事が出来る。ところが、世の中に人を救うべき金銀を徒に用いて、世の中の人々を苦しめ、おのが身を亡ぼす種にしている人が多いのは、何と哀れな事であろうか。其の宝(金銀)を用いるのは、世の宝として遣わずには置かないと我を立てよ。
一 全て世界の善い事は我が身一つに合わせ集めると我を立てよ。
一 またその上、天地と一つに成ると我を立てよ。
一 最上至極の境地に至れば我を見失うと我を立てよ。
我を通さないではおかないと、信心堅固に我を立てる事を守り、我を立てる心を尽して忠と為そうでは無いか。
世上の儒者や仏者は「我」を無くす事を声高に唱えていたが、梅岩は「我」の効用に目を付けて、「我」の力で「忠」を実現させる事を説いた。理屈では無く実践を重んじる梅岩ならではの訓えである。
石田梅岩に学ぶ⑨
「都(すべ)て世界の善き事を我が身一つに合はせ聚(あつ)めんと我を立てよ。」
(『遺芳録』)
梅岩は人の心の在り方を「忠太郎」「私二郎」「我三郎」という三兄弟に託して、「我を立てる」事の重要さを教えている。
長男の忠太郎は他人想いで優しいが柔弱で勇気が少ない。私二郎は自分中心で人の善事の邪魔ばかりしている。我三郎は人から辱められる事を嫌い、何事でも負ける事がいやな気質を持っている。そこで、梅岩は、忠太郎の忠を貫かせる為には、私二郎を排除して、我三郎の助けが必要なのだと言う。「忠」は理念として素晴らしいが、ともすれば「私心」に妨げられる。それ故、「我を立てる」=「強い意志を持」たなければ、実行に至らないのである。
梅岩はそれらの事を三種の和歌に表して詠んでいる。
忠太郎心尽しの物なれど我に助けられ名をぞあげける
私二郎といふ物なくば忠太郎助けなくとも名をぞあぐべし
聖人も仏もきらふものなれど我をばたてて忠となすべし
そこで、梅岩は、「我の立て様」について、二十三の具体的な在り方を教授する。
一 主君に仕えるには、忠を唐の比干、我が国の楠木正成公にも劣らないと我を立てよ。
一 父母に仕えるには、舜や曽子の孝にも負けないと我を立てよ。
一 学問では、子游・子夏にも勝ると我を立てよ。
一 書道を学ぶには、弘法大師や小野道風より上達すると我を立てよ。
一 家業については、手足が身に添う様に、離れない事は天下の人に勝ると我を立てよ。
一 下の人を恵むには、延喜の帝(醍醐天皇)に習い奉ると我を立てよ。
一 無念無心を学ぶには、お釈迦様と同じ様に成ると我を立てよ。
一 朝起きを学ぶには、鳥や鶏にも遅れないと我を立てよ。
一 身を働かせるには、百足(ムカデ)にも勝ると我を立てよ。
一 良く働く事は、猿の手を不精と見る位までになると我を立てよ。
一 人の事を謗る時には唖になる(自分は決して言わない)と我を立てよ。
一 食物を好き嫌いしないのは蚯蚓(ミミズ)にも負けないと我を立てよ。
一 自分の事を謗られる時は、聾に成ると我を立てよ。
一 返答をしないと心に決めた時は、虚空を打つ様に、例え打たれ叩かれても、決して自分の口を鳴らさないと我を立てよ。
一 財宝を遣うのは、主君を使う様に、使わないものと我を立てよ。
一 貧窮の人を恵むのは、川端で水を遣う様に惜しいとは思わずに救うと我を立てよ。
一 心を明らかにする事は、神明(神様)と腕相撲をすると我を立てよ。
一 仁徳に至るには、大聖孔子の仁徳に劣るならば人と生まれた甲斐は無い。孔子より下とは言われない。不仁不徳と言われては活きていても死んだも同然と我を立てよ。
一 凡そ人我と言うものは、聖人も仏も諸道に於て之を嫌うものだが、我れは我を以て忠を守る主人とする。この様に卑しい我ではあるが、用いれば用いる事が出来る。ところが、世の中に人を救うべき金銀を徒に用いて、世の中の人々を苦しめ、おのが身を亡ぼす種にしている人が多いのは、何と哀れな事であろうか。其の宝(金銀)を用いるのは、世の宝として遣わずには置かないと我を立てよ。
一 全て世界の善い事は我が身一つに合わせ集めると我を立てよ。
一 またその上、天地と一つに成ると我を立てよ。
一 最上至極の境地に至れば我を見失うと我を立てよ。
我を通さないではおかないと、信心堅固に我を立てる事を守り、我を立てる心を尽して忠と為そうでは無いか。
世上の儒者や仏者は「我」を無くす事を声高に唱えていたが、梅岩は「我」の効用に目を付けて、「我」の力で「忠」を実現させる事を説いた。理屈では無く実践を重んじる梅岩ならではの訓えである。
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