「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

中江藤樹②「にせの学問は、おほくするほど心だて行儀あしくなれり」

2020-06-19 21:00:50 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第五回(令和2年6月19日)

中江藤樹に学ぶ②
にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみおのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、(略)おほくするほど心だて行儀あしくなれり。 

                                                                             (『翁問答』下巻之本)
 
 中江藤樹は遠方の門人の為に問答形式で記した著作『翁問答』の中で、「正真の学問」と「にせの学問」との違いについて説いている。勿論、藤樹が実践し推奨したのは「正真の学問」である。

 先ず、「偽の学問」を見て行こう。
 藤樹は、「にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみおのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすらに記誦詞章の芸ばかりつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり。」と記している。

 偽の学問では、博識で人から褒められる事のみを追い求め、自分より知識が勝っている人が居たら嫉妬して、自分の名前だけを広めようとの名誉欲だけが旺盛で、高慢な心が根本では培われている。親孝行や主君への忠節などは心にもかけず、ひたすら記憶し暗唱して詩歌や文章等の文芸だけに終始している為に、学べば学ぶほど、人としての心映えや行いは愈々悪くなるばかりである。

 学問とは知識の多寡だと勘違いしており、自らの人格の向上については全く無頓着の人間となっているのだ。藤樹が求めたのは、学問を行う主体である自らの絶え間なき人間性の向上であり、その為に力となる本物の学問であった。

 藤樹は、「正真の学問」では「心のけがれをきよめ、身のおこなひをよくする」事が根本であり、「私心を捨てて義理を求める事を中心に据え、自己満足の心を起こさない様に工夫努力する事に主眼を置かなければならない。親には孝行を尽し、主君には真心で忠節を尽し、兄弟の間では信頼し助け合い、友人との交わりは偽りが無く信頼し合い、人の踏み行うべき五つの道(五典・父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)を第一の務めとしているので、学べば学ぶほど心立てや行いは良くなって行くものである」と述べている。

 学べば学ぶほど、人間として向上し、心が磨かれていく、それが真実の学問でなければならない。

 藤樹が生きた江戸時代初期、太平の下で学問の必要性が説かれ始めて居たが、学問の質は未だ明確ではなかった。その中で、学問の「真」と「偽」を門人たちに説いた藤樹の「心学」、それが江戸時代の人々の学問観に与えた影響は大きい。

 翻って現代、私達は幼少の頃から教育を与えられ、様々な「学問」を積み重ねて来ている。だが、藤樹の言う「正真の学問」と出会う事は、今日の学校教育に於いては殆ど無い。









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