今日は、日本会議熊本のとても熱心な会員の方の出版披露会が行われ、私も参加した。本の題名は 『話道のこころ』と『お遍路道中記』である。長年マスコミの中で話道を磨かれて来ただけにその実践の中からのにじみ出た書籍である。もう一冊は、昨年夏四国八十八箇所のお遍路を徒歩で完遂された体験記である。
今月中旬、日本会議全国縦断キャラバン隊が出発した。私も何箇所かを隊長として回るが、キャラバン隊の壮行式の後に、キャラバン隊についての思いを文章に綴ったので、紹介する。実は、『祖国と青年』8月号の原稿にしようと思って書いたのだが、その後思うところあって他のテーマにしたので、この原稿は未掲載原稿となってしまった。まだ推敲が不十分な所もあるが、ここに掲載する。
全国縦断キャラバン隊の歴史と日本会議支部結成促進への新たなる旅立ち
かつて歴代総理から師表と仰がれた安岡正篤氏は「青年の精神」と題し次の様に記している。
「おとなを恥じさせるような純真さ、若々しい情熱と気魄、不羈奔放な理想と寝食も忘れる勉強ぶりと偉大な人物に私淑し、万巻の書を読み、師友を求め、名山大川に遊び、酔生夢死にあきたらず、何か感激に死のうとするようなやむにやまれぬ魂こそ青年の尊い精神である。」
現在夏の恒例行事となっている日本会議全国縦断キャラバン隊は、諸団体から派遣された青年・学生によって担われ、日本会議国民運動の全国展開に大きく寄与している。
この「全国縦断キャラバン隊」の発祥は、昭和五十年まで遡る。昭和四十年代前半の大学の学園正常化運動から始まった吾々の運動は昭和四十五年の日本青年協議会の結成へと向かい、祖国日本の為に奉仕したいとの思いは、中央と全国に散在する同志との連携による運動の創出という全国縦断キャラバン隊派遣構想へと結実、昭和五十年に日本青年協議会全国縦断キャラバン隊が初めて西日本に派遣された。当時は、隊を迎え、行事を準備するのは各地の日本青年協議会『祖国と青年』の会のメンバーであった。続く五十一年には「天皇陛下御在位五十年奉祝」を訴えるキャラバン隊が派遣され、当時大学4年生だった私も初めて隊員として参加した。宿泊場所は会員の自宅や学生寮などもあり、キャラバン隊の後を地元の方が乗用車で随伴されていた。隊員の中には学校を長期休んで参加されている志篤い青年教師の方も数名居られた。街頭情宣や集会など青年の熱気が溢れ、地元の青年の呼びかけによって集まられた戦中派の方々の祖国日本への思いと共鳴して、参加した吾々に絶大なる自信と確信とを与えた。
全国縦断キャラバン隊活動の確かな手応えは、中央・地方一体となる運動形態として「地方から中央へ」を合言葉とする元号法制化運動を生み出した。昭和五十二年には元号法制化の為の地方議会議決を訴えて夏季キャラバンを挙行、佐賀県の伊万里市で全国初の元号法制化を求める決議が採択される。更に秋には東日本へもキャラバン隊が派遣された。
このうねりは、各地での元号法制化都道府県民会議結成の動きを生み出し、昭和五十三年遂に元号法制化実現国民会議が結成される。その結果、元号法制化要求の地方議会議決運動は強力に展開され、夏には、加盟団体の青年が結集して国民会議としての初の全国縦断キャラバン隊三隊が組織され、全国四十七都道府県全てに派遣された。その結果元号法制化地方議会決議は一挙に進み、実に46都道府県議会1500市町村議会という圧倒的な国民世論を形成し、昭和54年6月6日に元号法を可決成立させた。
ここに国民運動の新しい息吹が生まれ、恒常的な憲法・防衛・教育に関する課題克服の為の組織として「日本を守る国民会議」が結成され、全国縦断キャラバン隊の活動もその大きな柱となった。キャラバン隊の活動こそが中央と全国とを結ぶ変革の息吹の動脈であった。私も幾度か隊員となり、昭和天皇御在位六十年奉祝運動の際には西日本隊隊長を務めた。
だが、運動の前進は組織の変化を生み出し、組織の強化は運動の質的な転換を求める。平成九年に日本会議が結成され、以後数年キャラバン隊は日本会議都道府県本部結成を促進した。その結果地方組織の自立性が高まり、独自に年間を通して活動し行事を行う県本部が誕生したのである。キャラバン隊の活動に都道府県本部から様々な要求が出されて行った。例えば私が理事長を務める日本会議熊本では、国立追悼施設問題が生起した平成13年には、熊本でも自民党県連の情宣カーを借りて、キャラバン隊と合流し、2隊に人員を分けて県内7箇所での集会を行った。キャラバン隊が来るのなら県本部ではなくて県内数箇所での活動を行って欲しいという思いが募って来ていた。全国的にもその様な流れが生じ、平成16年から全国縦断キャラバン隊派遣の効果的なあり方について日本会議事務総局でも再検討が行われるようになる。
その結果、本年より全国縦断キャラバン隊には「全国津々浦々に市町村支部結成を促す」という新たなる目標が加わって再出発した。7月12日、日本会議全国縦断キャラバン隊の結団式が執り行われた。先ず靖国神社で昇殿参拝を行い、次に明治神宮で正式参拝・御神楽奉納、キャラバン隊の無事遂行を祈願した。その後、結団式・学習会が行われた。本年は、教育基本法改正・皇室典範改定問題・靖国神社問題・北朝鮮問題と国家重要問題が山積であり、日本会議の果たすべき役割は愈々重要性を増して来ている。それ故今回は全国100都市を訪問して、日本会議の国民運動セミナーを開催して行く。私も、実に20年ぶりに隊長として招集された。各隊の隊長は日本会議事務総局の40代~50代のベテランで担うが、副隊長や隊員には各団体から20代~30代の青年が多数参加する。
元々、キャラバン隊は青年が担ってきた運動であり、私がかつて隊長を務めたのも30歳前後の時であった。「青年の思いと情熱が国を動かす」との確信がこのキャラバン隊を支えている。
禁門の変で長州の青年達と共に立ち上がった真木和泉守、西南戦争の時、薩摩の青年達と共に立った西郷南洲、盾の会の青年達と共に決起した三島由紀夫先生、三島先生は45歳だったが、真木和泉守や西郷南洲は50歳であった。キャラバン隊は別に決起する訳ではないが、青年達と共に国家の重大事について訴えて行く行動である。老兵といえども青年の気概を以て気魄で頑張って行きたい。
新たなる旅立ち初むるキャラバンに戦ひの日々思ひ出づるも
三十年国を思ひて青年がいや次々に起ち叫び来し
全国の市町村支部結成を呼びかけ行かむ生命の限り
老兵となりても心は青年と気合ひ入れつつ吾も旅たたむ
今月中旬、日本会議全国縦断キャラバン隊が出発した。私も何箇所かを隊長として回るが、キャラバン隊の壮行式の後に、キャラバン隊についての思いを文章に綴ったので、紹介する。実は、『祖国と青年』8月号の原稿にしようと思って書いたのだが、その後思うところあって他のテーマにしたので、この原稿は未掲載原稿となってしまった。まだ推敲が不十分な所もあるが、ここに掲載する。
全国縦断キャラバン隊の歴史と日本会議支部結成促進への新たなる旅立ち
かつて歴代総理から師表と仰がれた安岡正篤氏は「青年の精神」と題し次の様に記している。
「おとなを恥じさせるような純真さ、若々しい情熱と気魄、不羈奔放な理想と寝食も忘れる勉強ぶりと偉大な人物に私淑し、万巻の書を読み、師友を求め、名山大川に遊び、酔生夢死にあきたらず、何か感激に死のうとするようなやむにやまれぬ魂こそ青年の尊い精神である。」
現在夏の恒例行事となっている日本会議全国縦断キャラバン隊は、諸団体から派遣された青年・学生によって担われ、日本会議国民運動の全国展開に大きく寄与している。
この「全国縦断キャラバン隊」の発祥は、昭和五十年まで遡る。昭和四十年代前半の大学の学園正常化運動から始まった吾々の運動は昭和四十五年の日本青年協議会の結成へと向かい、祖国日本の為に奉仕したいとの思いは、中央と全国に散在する同志との連携による運動の創出という全国縦断キャラバン隊派遣構想へと結実、昭和五十年に日本青年協議会全国縦断キャラバン隊が初めて西日本に派遣された。当時は、隊を迎え、行事を準備するのは各地の日本青年協議会『祖国と青年』の会のメンバーであった。続く五十一年には「天皇陛下御在位五十年奉祝」を訴えるキャラバン隊が派遣され、当時大学4年生だった私も初めて隊員として参加した。宿泊場所は会員の自宅や学生寮などもあり、キャラバン隊の後を地元の方が乗用車で随伴されていた。隊員の中には学校を長期休んで参加されている志篤い青年教師の方も数名居られた。街頭情宣や集会など青年の熱気が溢れ、地元の青年の呼びかけによって集まられた戦中派の方々の祖国日本への思いと共鳴して、参加した吾々に絶大なる自信と確信とを与えた。
全国縦断キャラバン隊活動の確かな手応えは、中央・地方一体となる運動形態として「地方から中央へ」を合言葉とする元号法制化運動を生み出した。昭和五十二年には元号法制化の為の地方議会議決を訴えて夏季キャラバンを挙行、佐賀県の伊万里市で全国初の元号法制化を求める決議が採択される。更に秋には東日本へもキャラバン隊が派遣された。
このうねりは、各地での元号法制化都道府県民会議結成の動きを生み出し、昭和五十三年遂に元号法制化実現国民会議が結成される。その結果、元号法制化要求の地方議会議決運動は強力に展開され、夏には、加盟団体の青年が結集して国民会議としての初の全国縦断キャラバン隊三隊が組織され、全国四十七都道府県全てに派遣された。その結果元号法制化地方議会決議は一挙に進み、実に46都道府県議会1500市町村議会という圧倒的な国民世論を形成し、昭和54年6月6日に元号法を可決成立させた。
ここに国民運動の新しい息吹が生まれ、恒常的な憲法・防衛・教育に関する課題克服の為の組織として「日本を守る国民会議」が結成され、全国縦断キャラバン隊の活動もその大きな柱となった。キャラバン隊の活動こそが中央と全国とを結ぶ変革の息吹の動脈であった。私も幾度か隊員となり、昭和天皇御在位六十年奉祝運動の際には西日本隊隊長を務めた。
だが、運動の前進は組織の変化を生み出し、組織の強化は運動の質的な転換を求める。平成九年に日本会議が結成され、以後数年キャラバン隊は日本会議都道府県本部結成を促進した。その結果地方組織の自立性が高まり、独自に年間を通して活動し行事を行う県本部が誕生したのである。キャラバン隊の活動に都道府県本部から様々な要求が出されて行った。例えば私が理事長を務める日本会議熊本では、国立追悼施設問題が生起した平成13年には、熊本でも自民党県連の情宣カーを借りて、キャラバン隊と合流し、2隊に人員を分けて県内7箇所での集会を行った。キャラバン隊が来るのなら県本部ではなくて県内数箇所での活動を行って欲しいという思いが募って来ていた。全国的にもその様な流れが生じ、平成16年から全国縦断キャラバン隊派遣の効果的なあり方について日本会議事務総局でも再検討が行われるようになる。
その結果、本年より全国縦断キャラバン隊には「全国津々浦々に市町村支部結成を促す」という新たなる目標が加わって再出発した。7月12日、日本会議全国縦断キャラバン隊の結団式が執り行われた。先ず靖国神社で昇殿参拝を行い、次に明治神宮で正式参拝・御神楽奉納、キャラバン隊の無事遂行を祈願した。その後、結団式・学習会が行われた。本年は、教育基本法改正・皇室典範改定問題・靖国神社問題・北朝鮮問題と国家重要問題が山積であり、日本会議の果たすべき役割は愈々重要性を増して来ている。それ故今回は全国100都市を訪問して、日本会議の国民運動セミナーを開催して行く。私も、実に20年ぶりに隊長として招集された。各隊の隊長は日本会議事務総局の40代~50代のベテランで担うが、副隊長や隊員には各団体から20代~30代の青年が多数参加する。
元々、キャラバン隊は青年が担ってきた運動であり、私がかつて隊長を務めたのも30歳前後の時であった。「青年の思いと情熱が国を動かす」との確信がこのキャラバン隊を支えている。
禁門の変で長州の青年達と共に立ち上がった真木和泉守、西南戦争の時、薩摩の青年達と共に立った西郷南洲、盾の会の青年達と共に決起した三島由紀夫先生、三島先生は45歳だったが、真木和泉守や西郷南洲は50歳であった。キャラバン隊は別に決起する訳ではないが、青年達と共に国家の重大事について訴えて行く行動である。老兵といえども青年の気概を以て気魄で頑張って行きたい。
新たなる旅立ち初むるキャラバンに戦ひの日々思ひ出づるも
三十年国を思ひて青年がいや次々に起ち叫び来し
全国の市町村支部結成を呼びかけ行かむ生命の限り
老兵となりても心は青年と気合ひ入れつつ吾も旅たたむ
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