「日本の誇り」復活
―その戦ひと精神(十一)
愈々、憲法改正是か非か!を問ふ「交流戦」が始まつた。 護憲派を招いた日本会議熊本第7回憲法シンポジウム
国民運動を志す吾々には、常に新しい価値を運動の中に付与し積み重ねていく責務が課せられてゐる。国民運動とは、無から有を生み出す戦ひであり、創造していく戦ひなのである。私は、日本会議が全国で開催してゐる国民運動セミナーでの講演の際、『国民運動四則』として「情熱」「智慧」「人の和」「行動」の四点を提示し、幕末に維新の志士達を庇護した野村望東尼の「もののふの大和ごころを縒(よ)りあはせすゑ一すぢの大縄にせよ」の歌を紹介してゐる。「大和ごころ」を縒り合はせて、「大縄」を生み出して行く営為こそが、組織内で積み重ねられる「会議」だと思ふ。幸ひ、日本会議熊本には、祖国日本を思ふ至純の同志が多数結集し、片岡正憲事務局長を中心に週一回の事務局会議で「智慧」を出し合ひ「行動」を創造してゐる。
今年の憲法記念日には、七回目となる憲法シンポジウムを開催し、新しい価値付与を行ふ事が出来た。それは、これ迄の、改正「賛成派」「反対派」それぞれが別個に集会を行なふといふ形態から、吾々「改正賛成派」が「反対派」を招いて、同じ土俵でじつくりと討論し、双方の意見の違ひを鮮明にして国民にその選択を呼びかけるといふ「交流」形式を生み出した事である。反対派から、くまもと九条の会代表・大阪大学大学院教授の猪飼隆明氏、賛成派としては、埼玉県の狭山ヶ丘高校校長で民間教育臨調協力委員の小川義男氏をお招きした。コーディネーターは弁護士の青山定聖氏が引き受けて戴き、二時間半対決討論を行なつた。
当日は、会場が超満員となる四百名の聴衆で溢れ(当日券購入者も九十五名に及んだ)、テレビ局・新聞社も従前以上に大きく報道した。昨年迄も毎回報道されては来たが、今回は改憲派・護憲派の直接対決といふ事で、新聞はパネリストの顔写真や会場の様子などをカラー写真で掲載して大きく取り上げた。テレビ局もこれ迄は、改憲派・護憲派双方の集会を報道してゐたのが、ニュースキャスター自らが会場に来て吾々のシンポジウムのみを大きく報道した(除一局)。熊本日日新聞の記者は、「明日は大きく掲載します」と語り、開会前に講師控室に来て各パネリストに挨拶し名刺交換をする程の力の入れやうであり、朝日新聞の記者も「このやうな企画を待つてゐたんです。一生懸命に記事を書きます。」と興奮気味に語つてゐた。吾々は、事前に作成した案内チラシに「今、憲法論議が変はる!憲法九条改正 是か非か! 改憲派・護憲派が徹底討論」との文言を掲載したが、見事、マスコミを始め憲法問題に関心を抱く多くの県民を引き付ける行事となつて大成功を収めたのである。
国民が憲法に関心を抱く五月三日に、憲法改正賛成派・反対派が同じ土俵で議論し合ふといふ企画を実現したのが、吾々の側であつた事の意義は大きい。憲法論議に対する吾々の絶大なる自信が、反対派を招いて議論をしやうとの企画を生み出したのである。実は、このシンポジウムが実現するまでには、一年間の日本会議熊本・熊本日日新聞社・くまもと九条の会の間での様々な働きかけがあつた。昨春、熊本日日新聞が九条の会に肩入れをするやうな報道が続いた為、日本会議熊本の会員の方々からの強い抗議が行なはれて軌道修正させたし、今回の前哨戦とも言ふべきシンポジウムが昨年九月に弁護士会主催で開催され、私が登壇して九条の会の事務局長と対決した。その時に私が、「来年の五月三日は日本会議熊本とくまもと九条の会の共催でシンポジウムを行なひませう」と正式に申し入れを行なつた。だが九条の会は逃げて断つてきた。そこで、個別に申し入れを為すべく情報を収集し、くまもと九条の会の代表で論客といふ猪飼隆明氏の存在が浮上し、猪飼氏に直接登壇の申し入れを行なひ、受諾して戴いたのだつた。更に、ドタキャンが生じない様に、完全公平な進行ルールを確立して万全を期した。
シンポジウムで猪飼氏は、「現憲法はマッカーサーが押し付けたと言はれるが、さうではない。」として、占領軍が評価し参考にしたといふ鈴木安蔵(憲法学者・後に静岡大学教授)の『憲法研究会』が作成した『憲法草案要綱』を紹介した。この憲法研究会は自由民権運動の流れを汲むといふ。だが、その草案が「九条」規定に結び付いた事までの立証は提示されなかつた。また吉田茂が帝国議会の答弁で九条を高く評価した事にも触れた。その上で「もし日本が攻められる様な事があつた場合、私は戦ふよりも平和の理想に殉じて死ぬ方を選びたい」と述べた。ここが九条の会の代表たる面目であらう。この発言を受けて小川氏は「猪飼先生の立派な覚悟は解りました。私も老人ですから先生と一緒に死にませう。」と相手を持ち上げつつも「しかし、私達の子供や孫達を殺すわけには行きません。」と断固たる決意を語られた。教育一筋に生きてこられた小川氏の本領が発揮された一言であつた。この時点で勝負ありの観がした。又、猪飼氏は竹島や尖閣列島の事について「中国や韓国が日本を攻めてきたのは元寇の時位で、攻めて来る事はまず考えられない」などと能天気な認識を示してゐたが、その間違ひは私でも指摘できる。塚本正登士『日本防衛史』(原書房・昭和五十一年刊)には、元寇以外でも、九世紀から十五世紀までの間、対馬が何度も朝鮮人や女真族によつて侵攻され大変な被害を受けた歴史が記されてゐる。(この事については、近日中に対馬に赴き、詳しい資料を入手して紹介したいと考へてゐる。)
シンポジウムの参加者からは、「九条改正反対の人が何を考へてゐるかが解り大変勉強になつた、改めて憲法改正の必要性について確信を持てるやうになつた」「来年も継続してこの様な企画を行なつて戴きたい」との声が多数寄せられた。九条改正論議の賛成・反対の相互交流戦が愈々始まった。私も更に学習を深め調査も行ひ、理論武装して今後の言論戦に備へて行かうと決意してゐる。
―その戦ひと精神(十一)
愈々、憲法改正是か非か!を問ふ「交流戦」が始まつた。 護憲派を招いた日本会議熊本第7回憲法シンポジウム
国民運動を志す吾々には、常に新しい価値を運動の中に付与し積み重ねていく責務が課せられてゐる。国民運動とは、無から有を生み出す戦ひであり、創造していく戦ひなのである。私は、日本会議が全国で開催してゐる国民運動セミナーでの講演の際、『国民運動四則』として「情熱」「智慧」「人の和」「行動」の四点を提示し、幕末に維新の志士達を庇護した野村望東尼の「もののふの大和ごころを縒(よ)りあはせすゑ一すぢの大縄にせよ」の歌を紹介してゐる。「大和ごころ」を縒り合はせて、「大縄」を生み出して行く営為こそが、組織内で積み重ねられる「会議」だと思ふ。幸ひ、日本会議熊本には、祖国日本を思ふ至純の同志が多数結集し、片岡正憲事務局長を中心に週一回の事務局会議で「智慧」を出し合ひ「行動」を創造してゐる。
今年の憲法記念日には、七回目となる憲法シンポジウムを開催し、新しい価値付与を行ふ事が出来た。それは、これ迄の、改正「賛成派」「反対派」それぞれが別個に集会を行なふといふ形態から、吾々「改正賛成派」が「反対派」を招いて、同じ土俵でじつくりと討論し、双方の意見の違ひを鮮明にして国民にその選択を呼びかけるといふ「交流」形式を生み出した事である。反対派から、くまもと九条の会代表・大阪大学大学院教授の猪飼隆明氏、賛成派としては、埼玉県の狭山ヶ丘高校校長で民間教育臨調協力委員の小川義男氏をお招きした。コーディネーターは弁護士の青山定聖氏が引き受けて戴き、二時間半対決討論を行なつた。
当日は、会場が超満員となる四百名の聴衆で溢れ(当日券購入者も九十五名に及んだ)、テレビ局・新聞社も従前以上に大きく報道した。昨年迄も毎回報道されては来たが、今回は改憲派・護憲派の直接対決といふ事で、新聞はパネリストの顔写真や会場の様子などをカラー写真で掲載して大きく取り上げた。テレビ局もこれ迄は、改憲派・護憲派双方の集会を報道してゐたのが、ニュースキャスター自らが会場に来て吾々のシンポジウムのみを大きく報道した(除一局)。熊本日日新聞の記者は、「明日は大きく掲載します」と語り、開会前に講師控室に来て各パネリストに挨拶し名刺交換をする程の力の入れやうであり、朝日新聞の記者も「このやうな企画を待つてゐたんです。一生懸命に記事を書きます。」と興奮気味に語つてゐた。吾々は、事前に作成した案内チラシに「今、憲法論議が変はる!憲法九条改正 是か非か! 改憲派・護憲派が徹底討論」との文言を掲載したが、見事、マスコミを始め憲法問題に関心を抱く多くの県民を引き付ける行事となつて大成功を収めたのである。
国民が憲法に関心を抱く五月三日に、憲法改正賛成派・反対派が同じ土俵で議論し合ふといふ企画を実現したのが、吾々の側であつた事の意義は大きい。憲法論議に対する吾々の絶大なる自信が、反対派を招いて議論をしやうとの企画を生み出したのである。実は、このシンポジウムが実現するまでには、一年間の日本会議熊本・熊本日日新聞社・くまもと九条の会の間での様々な働きかけがあつた。昨春、熊本日日新聞が九条の会に肩入れをするやうな報道が続いた為、日本会議熊本の会員の方々からの強い抗議が行なはれて軌道修正させたし、今回の前哨戦とも言ふべきシンポジウムが昨年九月に弁護士会主催で開催され、私が登壇して九条の会の事務局長と対決した。その時に私が、「来年の五月三日は日本会議熊本とくまもと九条の会の共催でシンポジウムを行なひませう」と正式に申し入れを行なつた。だが九条の会は逃げて断つてきた。そこで、個別に申し入れを為すべく情報を収集し、くまもと九条の会の代表で論客といふ猪飼隆明氏の存在が浮上し、猪飼氏に直接登壇の申し入れを行なひ、受諾して戴いたのだつた。更に、ドタキャンが生じない様に、完全公平な進行ルールを確立して万全を期した。
シンポジウムで猪飼氏は、「現憲法はマッカーサーが押し付けたと言はれるが、さうではない。」として、占領軍が評価し参考にしたといふ鈴木安蔵(憲法学者・後に静岡大学教授)の『憲法研究会』が作成した『憲法草案要綱』を紹介した。この憲法研究会は自由民権運動の流れを汲むといふ。だが、その草案が「九条」規定に結び付いた事までの立証は提示されなかつた。また吉田茂が帝国議会の答弁で九条を高く評価した事にも触れた。その上で「もし日本が攻められる様な事があつた場合、私は戦ふよりも平和の理想に殉じて死ぬ方を選びたい」と述べた。ここが九条の会の代表たる面目であらう。この発言を受けて小川氏は「猪飼先生の立派な覚悟は解りました。私も老人ですから先生と一緒に死にませう。」と相手を持ち上げつつも「しかし、私達の子供や孫達を殺すわけには行きません。」と断固たる決意を語られた。教育一筋に生きてこられた小川氏の本領が発揮された一言であつた。この時点で勝負ありの観がした。又、猪飼氏は竹島や尖閣列島の事について「中国や韓国が日本を攻めてきたのは元寇の時位で、攻めて来る事はまず考えられない」などと能天気な認識を示してゐたが、その間違ひは私でも指摘できる。塚本正登士『日本防衛史』(原書房・昭和五十一年刊)には、元寇以外でも、九世紀から十五世紀までの間、対馬が何度も朝鮮人や女真族によつて侵攻され大変な被害を受けた歴史が記されてゐる。(この事については、近日中に対馬に赴き、詳しい資料を入手して紹介したいと考へてゐる。)
シンポジウムの参加者からは、「九条改正反対の人が何を考へてゐるかが解り大変勉強になつた、改めて憲法改正の必要性について確信を持てるやうになつた」「来年も継続してこの様な企画を行なつて戴きたい」との声が多数寄せられた。九条改正論議の賛成・反対の相互交流戦が愈々始まった。私も更に学習を深め調査も行ひ、理論武装して今後の言論戦に備へて行かうと決意してゐる。
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