「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

新渡戸稲造の愛国心を曲説する空想的平和主義の学者(『祖国と青年』平成18年7月号掲載)

2006-07-11 17:24:11 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
 日本会議の国民運動セミナーの講師として宮城・福島を訪れた際、岩手県盛岡市まで足を伸ばして新渡戸稲造会総会に参加した。私は、新渡戸の人徳を慕ふが故に、地道に新渡戸に関する研究書・啓蒙書を出されてゐる同会に加入してゐる。

 総会では、新渡戸研究第一人者の佐藤全弘氏(大阪市立大学名誉教授)による「愛国心と国際心―新渡戸稲造の国家観」といふ興味深い講演があつた。だが、佐藤氏の講演には失望感を抱かざるを得なかつた。佐藤氏は、今回のテーマを選んだ理由に、現在の教育基本法改正に見る愛国心教育の押し付けがある事を述べ、冒頭に川柳「君ケ代へ立たねば非国民ですか」「国なんぞ当てにはせぬが腹が立ち」「国境を知らぬ草の実こぼれ合ひ」を紹介された。更に講演の最後にも川柳で「どの国の母にもつらい銃の音」「鉄砲をもつからいくさしたくなり」「新政権変えてはならぬものも変え」と内閣の教育基本法や憲法改正の動きを批判された。自らの政治主張の為に新渡戸稲造を引用するといふ牽強付会の講演であつた。

 佐藤氏は、新渡戸稲造の『編集余禄』の中の「憂国(マトリオティズム)」(全集二十巻))の文章を引用して、父性的な「パトリオティズム」の「愛国心」には、他を攻撃する危険な要素が含まれる為に、新渡戸はそれを否定し、母性的な「マトリオティズム」即ち「憂国心」を唱へたのだと強調された。だが、引用された文章をじつくり読んでいくと、決して二者択一で論じられてはゐない。新渡戸は、憂国心は「わが国語でアイコクシン―国を愛する心―と訳されるパトリオティズムの一面を示していることは言うまでもない」と前提した上で、「明治以前の時代の愛国者は自らを国の為に嘆く者と称し、国を愛する者とは呼ばなかった。」「己が国を愛する人は、その罪や欠点すらも愛するであろうが、それにひきかえ、己が国を悲しむ(ウレイ)人は、その罪と欠点のゆえに憂うるのである。」と述べてゐる。これは決して愛国心否定の文章ではない。当時(昭和六年)の世相を憂へて、「愛国心」の排他的な側面に警鐘を鳴らし、別の側面であり本質的な「憂国」の情の大切さを訴えてゐるのである。

 更に佐藤氏は、新渡戸稲造の「愛国心と国際心」(全集二十巻)や「日本人の国民的特徴」(全集十九巻『日本文化の講義』)の文章も紹介されてゐたが、共に愛国心についての否定は見られない。新渡戸は言ふ。「国際心は愛国心を拡大したものである。」「真の愛国者にして国際心の持ち主とは、自国と自国民の偉大とその使命とを信じ、かつ自分の国は人類の平和と福祉に貢献しうると信じる人である。」「国際心を抱こうとする人は。まず自分の足で祖国の大地にしっかりと根を下さねばならない。」「愛国心の正反対のものは、国際心ではなくて、好戦的愛国主義(ショウビニズム)である。そして、国際主義の正反対のものは、愛国心ではなくて、空想的な世界主義である。」と。

 新渡戸稲造が国際連盟事務局次長としてジュネーブで活躍した時の事を回顧して記したものに『東西相触れて』といふ書物がある。この中で新渡戸は自国を背負つて国際会議の場に臨む愛国者達の事を感動を以て記してゐる。オーストリアの総理大臣ザイペル氏の祖国の命運を担ふ演説を聞いて新渡戸は、「口先の人ではない、その唇を通して出る言葉は一言一句、血を吐く如き趣があつた。之を聞いて我輩は覚えず胸がつまる心地して会場を逃げ出し、自分の室に走り帰つて暫く眼を休めてゐた。」と記し、その文章に「報国の丹心と斯くの如きものか」と題した。国家を背負ふ愛国の至情に鋭敏に共鳴する魂の持ち主が新渡戸稲造であつた。カナダ人宣教師のベイツ博士は、「新渡戸博士逝く」の文章の中で「博士は、およそ祖国に加えられた中傷や不正には、すぐさま憤りを発し、怒りを燃やす心をもっておられた。」と述べてゐる。(『現代に生きる新渡戸稲造』)

 佐藤氏は、新渡戸稲造が1929年に「英文大阪毎日」に記した「日本の国際協力」といふ社説を引用して、現代日本のイラク復興支援などの国際協力が自発的でない事を批判されたが、新渡戸はこの文章の中でも「日本が平和の側に立つだけでは十分でない。日本は平和を自国の寝床としてはならぬ。日本は平和のために働かねばならぬ。」と国際協力の必要性を訴えてゐる。六月初旬に私は、この二月にイラク復興支援から帰国された自衛隊の責任者方のお話を聞く機会があつた。その方は、自衛隊のイラク撤収問題について、「自衛隊は日本政府のイラク復興支援の命を受けて派遣され、地元の人々からも大きな評価を得た。イラクからの撤収を云々する前に、日本国が今後イラクに対して如何なる支援を行つていくのかといふ国家意思の表明が先ずあるべきだと思ふ。」と毅然として語られた。実際イラクで生命を賭して活動して来られた方の言葉には迫力があつた。それに比して「平和を自国の寝床」としてゐる佐藤氏の様な「九条」信奉者には、国際協力について語る資格さえないと思ふ。

 私は、新渡戸稲造の研究者になるつもりはない、だが新渡戸稲造の人格と生き方に感動を覚えるが故に新渡戸稲造の如く生きたいと願ふのである。その為に、新渡戸が記した文章を機会ある毎に読み、自らの生き方を省みてゐる。知的探求と人格的探求とは全く違ふ結果を生み出す。明治という国家勃興の気概溢れる時代に青春を生きた新渡戸稲造の心の中には、現代に生きる我々には想像も及ばない程の沸沸たる愛国心が燃え盛つてゐたのである。そこに自らの生き方を昇華せんとの努力なき文献研究は魂無き訓詁学にすぎない。新渡戸稲造は最晩年、昭和天皇の命を受けて満州事変後の日本の孤立を打開すべく渡米し、一年間に亘る講演旅行を行つてゐる。新渡戸の最後の言葉は「まだ死ぬ訳にはいかない。祖国への奉仕が終はつてしまふまでは死ぬ訳にはいかないのだ。」といふものであつたといふ。佐藤氏には、かくの如き祖国に捧げる人生の覚悟があるのかを問ひたい。

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