東京での会議を終えて、今朝宇部空港に降り立ち、岩国に向かった。岩国の水西倶楽部の方々のご協力を得て日本会議国民運動セミナーを開催した。約50名の参加者の方々は学習会を積み重ねられて来ており、意識の高さが聴講の姿勢から感じられた。昨年来たときもそうだが、参加者の眼差しによって話す側の気持ちも乗ってくる。日本の文化の特質について中国や韓国との比較などをする中でお話をし、その日本の文化社会を形成している重要な要因としての皇室、靖国神社問題についてお話をし、更に教育基本法改正の重要性について訴えた。
丁度いわゆるA級戦犯問題として富田メモの事がマスコミで報道されていたので、このメモが出た政治的な思惑、メモの信憑性の問題、メモが出た文脈の不鮮明性、更には靖国神社の霊璽簿は2つ作られ一つは宮中に納められる事、松平宮司と高松宮殿下とのご親交、「A級戦犯」に対する昭和天皇のご発言(木戸日記)などを紹介しながら、このメモの政治性について示唆した。富田長官は昭和60年前後中曽根首相の意思を受けてA戦犯分祀に動いた事もあったという。そのメモのもつ政治性にも注目すべきだし、昭和天皇は晩年、戦争を振り返り、三国軍事同盟締結の失敗を悔やんでおられたので、その私的な思い出の松岡・白鳥へのご批判の可能性もある。
だが、「天皇に私なし」の日本に於て、この様な私的なご発言を記したというメモが、故人の思惑を超えて政治的な意図で流出した事自体が、天皇制の根幹を揺るがすものに他ならない。天皇陛下の側近及び家族の倫理観・忠誠心が問われている。だが、今上陛下もそうだが、宮内庁長官は数年で交代し、皇室典範問題でも明らかになった如く、政治に陛下を利用する体質さえ今の宮内庁の役人には蔓延している。ある方が、陛下は島に流された天皇と同じ位孤独の中にあられるのではないかと語られたそうだが、正に、天皇をお守りする立場にあった宮内庁長官の私的なメモが昭和天皇を冒涜するが如き感じで政治的に利用された今回の事件。本当なら、富田氏は退官の時か、晩年自らこの様な私的なメモは処分すべきであったろうし、遺族に固く非公開を言い残すべきだったと思われる。昭和天皇に忠義を尽くしてきたつもりの富田氏が、自らの不注意によって逆臣といわれる事態をもたらしたのである。宮内庁関係者は今回の問題を自らの問題として受け止め、私的な問題についても充分注意を払ってもらいたい。
講演終了後、錦川にかかる錦帯橋の下で、水西倶楽部の柏原理事長の計らいで、夕刻川舟に乗せて戴いて食事を楽しみ、更に鵜飼を見物させて戴いた。錦帯橋と山頂の岩国城がライトアップされ、清流の流れの上を吹き抜ける涼しい風を受け、たいまつの火の下で水中に潜る鵜の姿に時を忘れて見入った。忙中閑ありを実感した一時であった。
丁度いわゆるA級戦犯問題として富田メモの事がマスコミで報道されていたので、このメモが出た政治的な思惑、メモの信憑性の問題、メモが出た文脈の不鮮明性、更には靖国神社の霊璽簿は2つ作られ一つは宮中に納められる事、松平宮司と高松宮殿下とのご親交、「A級戦犯」に対する昭和天皇のご発言(木戸日記)などを紹介しながら、このメモの政治性について示唆した。富田長官は昭和60年前後中曽根首相の意思を受けてA戦犯分祀に動いた事もあったという。そのメモのもつ政治性にも注目すべきだし、昭和天皇は晩年、戦争を振り返り、三国軍事同盟締結の失敗を悔やんでおられたので、その私的な思い出の松岡・白鳥へのご批判の可能性もある。
だが、「天皇に私なし」の日本に於て、この様な私的なご発言を記したというメモが、故人の思惑を超えて政治的な意図で流出した事自体が、天皇制の根幹を揺るがすものに他ならない。天皇陛下の側近及び家族の倫理観・忠誠心が問われている。だが、今上陛下もそうだが、宮内庁長官は数年で交代し、皇室典範問題でも明らかになった如く、政治に陛下を利用する体質さえ今の宮内庁の役人には蔓延している。ある方が、陛下は島に流された天皇と同じ位孤独の中にあられるのではないかと語られたそうだが、正に、天皇をお守りする立場にあった宮内庁長官の私的なメモが昭和天皇を冒涜するが如き感じで政治的に利用された今回の事件。本当なら、富田氏は退官の時か、晩年自らこの様な私的なメモは処分すべきであったろうし、遺族に固く非公開を言い残すべきだったと思われる。昭和天皇に忠義を尽くしてきたつもりの富田氏が、自らの不注意によって逆臣といわれる事態をもたらしたのである。宮内庁関係者は今回の問題を自らの問題として受け止め、私的な問題についても充分注意を払ってもらいたい。
講演終了後、錦川にかかる錦帯橋の下で、水西倶楽部の柏原理事長の計らいで、夕刻川舟に乗せて戴いて食事を楽しみ、更に鵜飼を見物させて戴いた。錦帯橋と山頂の岩国城がライトアップされ、清流の流れの上を吹き抜ける涼しい風を受け、たいまつの火の下で水中に潜る鵜の姿に時を忘れて見入った。忙中閑ありを実感した一時であった。
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