「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

国民運動四則に基づく闘いの日々 

2008-06-16 13:55:43 | 【連載】 日本の誇り復活 その戦ひと精神
【連載】「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(三十二)『祖国と青年』5月号掲載

国民運動四則に基づく闘いの日々
 
「情熱」「智慧」「行動」「人の和」を力に
 
 日本会議熊本では、毎週事務局会議を開催して、運動課題について、如何に行動すべきかを協議してゐる。

私は七年前に日本会議熊本理事長に就任した際、国民運動四則として「情熱」「智慧」「行動」「人の和」を定めた。根本は国を思ひ不正義を許さず行動していくとの「情熱」である。一人一人の持つ至誠・熱き心こそが国民運動を切り拓く力となる。だが、行動を実現するには「智慧」が生れねばならない。「智慧」は志を共にする者同士が前向きに語らひ合ふ事によつて、自づと天下(あまくだ)つてくるものである。「智慧」は信念ある「行動」を導き、道は必ず切り拓かれて行く。一人では微力だが、数人の心が共鳴し合つた時に、パワーが生み出される。「人の和」の生む総合力である。

 私達は三月四月と、日本会議本部の要請に基づいて「新学習指導要領」に対するパブリックコメント提出を会員及び神社界・防衛関係団体に、解り易く工夫して働きかけた。私自身もメールで42件送付した。又、五月三日の第9回憲法シンポジウムの準備も例年通り力を入れて行つてゐる。だが、それ以外にも次の諸課題に取り組み、全国に発信してきた。

 三月二十九日には救う会熊本と一体となつて「拉致被害者を救出するぞ!国民大集会IN熊本」を開催した。1200名を結集した今回の集会では、共催の熊本県が名前ばかりではなく、広報・動員・運営と実質的な協力を行つた。勿論、今年初めの企画段階では、名目だけの共催だつたのを、「北朝鮮人権法案」に則つて、如何に熊本県を実質的に動かすかを協議して智慧を出し、その確信に基づき加納救う会熊本会長が熊本県の担当課である国際課に何度も通つて訴え、遂に熊本県を本気にさせたのである。加納氏の至誠と行動とが自治体を動かしたのだ。

十年を迎える救う会熊本は「朝鮮会館減免訴訟」勝利に引き続き、全国に先駆けて自治体を動かし千名集会を実現するといふ大きな成果を生み出した。それが出来たのは、正に「情熱」「智慧」「行動」「人の和」といふ国民運動四則の成果である。

 その集会準備に奔走してゐる中でも、事務局会議では次の課題が提案されてゐた。昨年来取り組んできた北方領土問題を七月の洞爺湖サミットに如何に訴えて行くかである。根室との連絡パイプが出来た熊本から何かを発信しやうと協議した。

先づは三月三十日の日本会議全国理事会で協力を訴えた。次には、サミット前にと四月に前倒(まえだおし)して札幌で開催される「2008北方領土返還要求北海道・東北国民大会」に向け、根室を四月十八日に出発した元島民後継者の方々による北方領土返還要求キャラバン隊を支援すべく、出発式での写真をメールで送つてもらひパネルにして熊本市の街頭で展示して署名を訴えた。一般市民の関心はあまり高くはなかつたが、高校生や中学生が多数署名に応じてくれた。更には熊本県議会議長から大会に祝電を寄せて戴いた。

七月に向け国際社会に如何に訴えかけるか。一つは各県で掲示してある北方領土返還要求の看板にロシア語と英語での表記を入れて貰ふ事、一つは三カ国語表記のポスターやステッカーを作成して、札幌市を中心に多くの場所や車に掲示してアピールしてもらふ事が提案された。その為には関係諸団体の協力と資金提供が必要となる。それを実現するには行動しかない。そこで連休明けに一週間、片岡事務局長を北海道に派遣する事となつた。

 三月末、熊本市の中学校校長会がこの春から男女混合名簿を導入する事を決定したとの情報が入つた。詳しく調べると、ジェンダーフリー真つ盛りの平成十三年に実施された「くまもと市男女共同参画プラン」の中に「十年で男女混合名簿完全実施」が記されてをりそれに基づいてこの三カ年での完全実施を決定したといふ。だが、身体的な男女差が明らかになつてくる中学校では不評であり、現場は困惑してゐる。四月からの学校の対応も、男女混合と男女別の二種類の名簿を場合に応じて使い分けるといふものであつた。

十年前の亡霊が学校に現れて現場を苦しめてゐるのだ。国は平成十二年に策定した「男女共同参画基本計画」の見直しを、平成十七年に行ひ、既に「ジェンダーフリー」を否定してゐる。本来ならばその段階で、「くまもと市男女共同参画プラン」の見直しに着手すべきだつたのだ。今になつて、のジェンダーフリーの亡霊が教育現場を襲つて来た。六月議会へ向けた亡霊退治の闘ひが始まつた。

 三月十日にチベットで起きた僧侶達に対する中国共産党の容赦なき弾圧は、自由と人権を擁護する国際社会からの非難を生み、北京五輪「せい火」リレーに対する世界各地での抗議行動となつて表れた。その「せい火」が四月二十六日に長野にやつてくる。熊本では既に平成十五年にチベット亡命者の悲惨な証言を聞く機会があり、吾々には黙つて見過ごす事の出来ない問題だつた。

四月初旬の事務局会議で長野行きを協議し三名がそれに応じた。更には、福岡の楠先生が一〇〇〇本のチベット国旗小旗と特大のチベット国旗を用意して頂き、三名の有志派遣を申し出られた。十八日に合同で準備会議を開いて行動計画を検討し、熊本では横幕やチラシなどを準備する事となつた。横幕は、日本会議熊本の代表委員をされてゐる二人の方が快く提供して戴いた。決意は決意を生み、全国に同志の輪は広がつた。広島では二十六日に原爆ドーム前で座り込みを行ひ世論にアピールする事となり、宮崎でも取り組みが決まつた。

 この様に様々な闘ひの課題が事務局会議で提案され、行動を生み出して行く。

かつて学生の頃、九大日文研の事務所に書いて掲げてあつた作家村上一郎氏の詩が思ひ起こされる。それは確か

「僕よもっとロマンティックであれ、もっと理想主義的であれ、もっと戦闘的であれ、そんな無理な事を、という絶望とすれすれの所で、僕よ常に青春であれ」

といふ内容だつた。私自身は全国を飛び回り不在も多い、だが、熊本の同志達の情熱と智恵と行動と人の和によつてこれらの課題が着実に取り組まれてゐるのである。

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