「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

「良知の言葉」第22回「爾只だ他を欺く要(べ)からず、実実落落に他に依着して做(な)し去(ゆ)かば、善は便(すなわ)ち存し、悪は便ち去らん。」

2023-08-29 15:06:50 | 「良知」の言葉
第22回(令和5年8月29日)
「爾只だ他を欺く要(べ)からず、実実落落に他に依着して做(な)し去(ゆ)かば、善は便(すなわ)ち存し、悪は便ち去らん。」(『伝習録』下巻六)

 今回からは、「致良知」に関する実際的な質問に対する、王陽明の言葉を紹介して行く。その質問は、今日私達が陽明学を実践して生きて行く上に於いても、大いに参考となる。

 門人の陳九川が、「どのようにして良知を致せば良いのですか」と質問した事に対して、王陽明は次の様に答えた。

 「良知こそが君の則るべき規準だ。良知は、君の思いが及ぶところについて、それが正しい事ならば正しい事と知り、間違っている事ならば間違っていると知って、いささかの騙しも許さない。君はそれを誤魔化さずに、堅実にそれに依拠して行っていくことだ。そうすれば、そこには善が存在し、悪は消え去ってしまう。何と、穏かで楽しい事ではないか。」

 この最後の箇所は、原文では「穏当快楽」という言葉が使われている。

 良知は正邪の判別を忽ち行い、些かの騙しも許さない。ただ良知の声を素直に聞いて、それに従えば良いのである。心に兆す良知以外の声に耳を傾けてはならない。その声は、自己保身であり、私欲に惑わされる事によって生じて来る迷いの声なのである。

 例えば、人の多い電車の中で座席に座っている時に、足元の覚束ない老人が近くに来た時、「ああ、大変そうだ」と惻隠の情が起こり、良知は「助けてあげよう」と自ずと身体を動かす。だが、「いや、他の人が席を変わるかも知れない。」「俺も疲れているのだから、見て見ぬふりをしよう。」等と、邪念が良知を蔽ってしまう事もありうる。そうすると、身体は動かない。それ故、良知の声が起ったなら、即座に行動する事である。

 自分を欺かない事が大切なのである。その自分とは「良知」なのである。江戸末期の陽明学者の大塩中斎(平八郎)は、その哲学の柱の一つに「虚偽を去る」を掲げている。彼は「虚偽」を徹底して嫌った。それ故に、世の不正が許せなかったのである。「虚偽」の反対は「正直(せいちょく)」である。良知を致して生きる事は、日々「正直」に生きて行く事である。

 私は、父母が正直な人間だったので、自ずと「人は正直に生きて行くべきだ」との感覚が家庭で培われた様に思って居る。現代では、テレビなどで価値観が混乱させられるが、要は、家庭の親の価値観が、学校の規律が、「正直」を大切にする事に重点を置いたならば、良知に従って生きる、真っ当な人間が育つと思う。先ずは、私達自身が「良知を致し」「虚偽を去る」生活を実現して行きたい。そうすれば、王陽明の言う如く「穏かで楽しい」生活が現出するであろう。


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