ばるほど、、外国人が日本で新型コロナの治療するということは
こうゆう事なんですね。
外国人は優先的に治療が受けられるという事、国籍を公表していないから半分が外国人なのかもしれないと
いう憶測が飛び交う。
さらに、日本人が感染した場合は病床が不足しているということで自宅で待機されたケースがあった。
その後、自宅で亡くなっていたことが発覚した。
日本人はなぜ?治療が受けられないのか?
指定伝染病にしたことで多くの外国人、中国人がタダで治療できるからと入国してきた。
税金で、せっせと中国人を治療してきた。
信じられない国だ。
コロナの感染者が増えているのに外国人の入国を許している。
毎日1000人が入国しているようだ。
日本人は自粛してくれって?
ソースから
今年1月に中国・武漢から旅行で日本を訪れた中国人夫婦がそろって新型コロナに感染し、入院することになった。異国の地での体験はどう映ったのか。そして、夫婦が語る、日本の病院で最も感動したこととは何だったのか。(『東方新報』取材班)
● 繰り返しの検査で 陽性が発覚
日本は1月16日、新型コロナウイルスの初めての感染事例を発表した。神奈川県で見つかった武漢に滞在歴のある1人の日本人患者だ。
この日はちょうど中国の春節休暇が始まる前の晩で、武漢から来た観光団、フリーの旅行客が大量に日本に入国している時だった。その中の幾人かが、日本初の海外から流入した感染者となった。
李文君さん(仮名。41歳)と董莉さん(仮名。36歳)も春節休暇で日本観光にやってきた、武漢で暮らす中国人夫婦である。夫の李さんは美容院を経営、妻の董さんは保険会社に勤めている。
2019年秋に日本行きを決め、それから数カ月間、日本での観光を心待ちにしていた。
夫妻は1月21日に武漢を離れ上海経由で大阪に向かい、その後、北海道観光を楽しんだ。
東京に着いたのは27日。だが、29日に董さんが発熱したため、翌日に民間の診療所で診察を受けた。
24日以降、日本では東京と愛知県で続けて、武漢からの旅行客3人の感染が判明していた。3人はいずれも発熱の症状が出た後、日本の病院で感染が確認された。
そのため、董さんも新型コロナに感染したかもしれないと思った。
診療所の医師はまず董さんに流行性感冒の検査をしたが、結果は陰性だった。その後、胸部レントゲンを撮影し、その写真から董さんの肺に影があるのが見つかった。
そこで成田市の赤十字会病院でさらに検査を行うこととなり、直ちに救急車が到着し、2人を病院へ搬送した。
病院に到着後、董さんは喉の粘液採取による検査を行ったが、結果は陰性。新型コロナではないと診断した。
しかし董さんの熱は一向に下がる気配がないことから、心配した李さんは自費で入院することを決めた。
そして入院から5日後、ようやく熱も下がり、一安心していた矢先、たんの検査で陽性結果が出てしまった。
病院の態度は一変した。董さんが隔離病棟に移されただけでなく、李さんも濃厚接触者として隔離されてしまった。
李さんに発熱などの症状はなかったが、喉から採取した粘液とたんで検査をした結果、翌日に陽性と判定され、夫婦そろって隔離病棟で入院することになってしまった。
日本ではこの頃、新型コロナの感染者数が増加し始めていた。李さんは後日、董さんが日本で21番目、李さんが23番目の確認症例だったことを新聞で知った。
董さんは病院の対応が入院の途中から変化したと感じていた。実は日本の保健所から病院に対し「喉の粘膜の検査だけでは結果が擬陰性となる可能性がある」との警告があり、病院は董さんへの再度のPCR検査を決定したという事実を、後になって知った。
再検査の時、喉の粘膜の検査を先に行ったが、この結果はやはり陰性だった。しかし病院は、さらに管を使って肺の近くからたんを採取した。彼女はせきが出ないので、やむを得ずたんを吸い出す方法を採ったのだ。そしてこの検査で初めて陽性の判定が出た。
一方、いわゆる「無症状感染」の状態だった李さんは、PCR査の結果、喉の粘液もたんも全て陽性となった。
● 言葉の壁は 翻訳アプリを活用
日本は3月28日から4種の薬品の臨床治療を開始すると宣言した。そのうち富山化学工業が2014年に開発した流行性感冒治療薬「ファビピラビル」の効果が傑出し、ウイルスの増殖を防止し、病状改善の効果を見せた。
しかし、李夫妻の感染が確定したのは2月初めで、その時にはまだ有効な薬物治療が実証されてはいなかった。
「まだ感染が確定していなかった最初の頃は解熱剤と抗生物質の注射が続きましたが、確定してからはそういう治療は全て中止され、ただ陽性が陰性に変わるのを待っているだけのような感じでした」
董さんは当時の様子をこう振り返る。一方、李さんは入院中特に何の治療も受けていない。
2人は心配のあまり、医者を訪ねて、薬を出してほしいと希望した。ところが帰ってきた返事は「保健所の指導により、まず政府で公式に認可された特効薬がないこと、次に夫妻は軽症患者に属していることで、おふたりには薬の服用の必要がありません」ということだった。
夫妻は2つの部屋に分かれて入院していた。部屋は隣だったが、壁で隔てられているため、お互いの顔を見ることはできず、スマホで連絡を取り合った。
隔離病室といっても、ICUではなく、伝染病隔離専用の減圧室。空気は外部から流入するが、室内の空気は外に流れ出ない仕組みの部屋だ。通常の個室と同様、テレビとシングルベッドがあり、洗面、トイレが備わったものだった。
「医師たちは毎日部屋に来ました。防護服、マスク、フェイスガード、防護メガネ、手袋を身に着けていましたが、武漢の医師のような全面封鎖式の防護服ではなく、部分的には皮膚が露出し、服の厚さもとても薄く、比較的簡単なもののようでした」と李さんは語る。
夫妻は日本語が出来なかったが、入院中の病院との意思の疎通はスマホの翻訳アプリを使えば可能だった。また、保健所から電話が来た時には有人通訳サービスを使ったので会話の問題も生じなかった。
董さんは1月30日に入院し、2月11日の退院まで、合計11日間の入院だった。李さんの方は2月4日に入院し、25日の退院まで、入院は21日間にわたった。
異国での入院にもかかわらず、2人はかえって安心感があったという。李さんは「医師が毎日何度も来て、血中酸素濃度や体温や血圧を測るので、自身の体の状態は医師によってしっかり管理されていると感じました」と話す。
● 入院中に感激した 病院対応の数々
唯一慣れなかったのは食事だった。日本の料理は味が淡泊で、夫妻の口に合わなかった。
無理を承知で病院に希望を伝えたところ、病院は夫妻のために、中国人の食習慣に特に気を配り、青椒肉絲(ピーマンと豚肉の千切り炒め)やマーボー豆腐のような比較的口に合いそうなおかずを用意してくれたのだった。
さらに入院中の李夫妻を最も感動させたのは、2人に対する病院のあらゆる面でのケアだった。中には医療の範疇(はんちゅう)を超えることもあった。
夫妻の観光ビザは入院中に期限切れになったが、病院が入国管理局に連絡し、ビザ延長の申請書も全て記入してくれたため、1カ月の延長が許可された。
入院中の2月8日に李さんの誕生日が来たが、病院から誕生祝いカードが贈られた。何が書いてあるかは読めなかったが、夫妻はとても感激した。
また、夫妻の心理を専門にカウンセリングする医師がいて、いつも部屋に来てその日の気持ちを尋ねてくれた。この医師は2001年に武漢に行ったことがあり、武漢の印象がとても良かったと言い、また夫妻のためにおいしいスナックと飲み物を買ってきてくれた。
退院の時、夫妻は少々病院を離れがたいような気分にもなった。董さんは今でも退院時に医師たちと記念写真を撮ったことを時々思い出す。ただ残念なのは、医師たちはいつもマスクを着けていたので、本当はどんな顔だったのかわからないことだという。
2人が退院した時、請求されたのは日本円でおよそ28万円にすぎなかった。
病院の説明では、新型コロナの感染が確定後の医療費のほとんどは日本国が払ってくれるとのことで、夫妻に請求された費用の大部分は感染が確定する前のものだった。
「まさか旅行に来ただけの私たちまで、日本国の福利が享受できるなんて」と、夫妻は日本の対応に感謝した。
結局、夫妻が帰国したのは来日から37日後の2月27日のことだった。
夫妻が日本で入院している時、武漢では感染大爆発が起きていた。当時武漢の病院には患者が急増、感染症臨時病院もまだ出来ておらず、多くの人がすぐに入院治療を受けられる状況ではなかった。国内の多くの友人たちからは「あなたたちは日本ですぐに治療が受けられて、運が良かったね」とうらやましがられた。
こうゆう事なんですね。
外国人は優先的に治療が受けられるという事、国籍を公表していないから半分が外国人なのかもしれないと
いう憶測が飛び交う。
さらに、日本人が感染した場合は病床が不足しているということで自宅で待機されたケースがあった。
その後、自宅で亡くなっていたことが発覚した。
日本人はなぜ?治療が受けられないのか?
指定伝染病にしたことで多くの外国人、中国人がタダで治療できるからと入国してきた。
税金で、せっせと中国人を治療してきた。
信じられない国だ。
コロナの感染者が増えているのに外国人の入国を許している。
毎日1000人が入国しているようだ。
日本人は自粛してくれって?
ソースから
今年1月に中国・武漢から旅行で日本を訪れた中国人夫婦がそろって新型コロナに感染し、入院することになった。異国の地での体験はどう映ったのか。そして、夫婦が語る、日本の病院で最も感動したこととは何だったのか。(『東方新報』取材班)
● 繰り返しの検査で 陽性が発覚
日本は1月16日、新型コロナウイルスの初めての感染事例を発表した。神奈川県で見つかった武漢に滞在歴のある1人の日本人患者だ。
この日はちょうど中国の春節休暇が始まる前の晩で、武漢から来た観光団、フリーの旅行客が大量に日本に入国している時だった。その中の幾人かが、日本初の海外から流入した感染者となった。
李文君さん(仮名。41歳)と董莉さん(仮名。36歳)も春節休暇で日本観光にやってきた、武漢で暮らす中国人夫婦である。夫の李さんは美容院を経営、妻の董さんは保険会社に勤めている。
2019年秋に日本行きを決め、それから数カ月間、日本での観光を心待ちにしていた。
夫妻は1月21日に武漢を離れ上海経由で大阪に向かい、その後、北海道観光を楽しんだ。
東京に着いたのは27日。だが、29日に董さんが発熱したため、翌日に民間の診療所で診察を受けた。
24日以降、日本では東京と愛知県で続けて、武漢からの旅行客3人の感染が判明していた。3人はいずれも発熱の症状が出た後、日本の病院で感染が確認された。
そのため、董さんも新型コロナに感染したかもしれないと思った。
診療所の医師はまず董さんに流行性感冒の検査をしたが、結果は陰性だった。その後、胸部レントゲンを撮影し、その写真から董さんの肺に影があるのが見つかった。
そこで成田市の赤十字会病院でさらに検査を行うこととなり、直ちに救急車が到着し、2人を病院へ搬送した。
病院に到着後、董さんは喉の粘液採取による検査を行ったが、結果は陰性。新型コロナではないと診断した。
しかし董さんの熱は一向に下がる気配がないことから、心配した李さんは自費で入院することを決めた。
そして入院から5日後、ようやく熱も下がり、一安心していた矢先、たんの検査で陽性結果が出てしまった。
病院の態度は一変した。董さんが隔離病棟に移されただけでなく、李さんも濃厚接触者として隔離されてしまった。
李さんに発熱などの症状はなかったが、喉から採取した粘液とたんで検査をした結果、翌日に陽性と判定され、夫婦そろって隔離病棟で入院することになってしまった。
日本ではこの頃、新型コロナの感染者数が増加し始めていた。李さんは後日、董さんが日本で21番目、李さんが23番目の確認症例だったことを新聞で知った。
董さんは病院の対応が入院の途中から変化したと感じていた。実は日本の保健所から病院に対し「喉の粘膜の検査だけでは結果が擬陰性となる可能性がある」との警告があり、病院は董さんへの再度のPCR検査を決定したという事実を、後になって知った。
再検査の時、喉の粘膜の検査を先に行ったが、この結果はやはり陰性だった。しかし病院は、さらに管を使って肺の近くからたんを採取した。彼女はせきが出ないので、やむを得ずたんを吸い出す方法を採ったのだ。そしてこの検査で初めて陽性の判定が出た。
一方、いわゆる「無症状感染」の状態だった李さんは、PCR査の結果、喉の粘液もたんも全て陽性となった。
● 言葉の壁は 翻訳アプリを活用
日本は3月28日から4種の薬品の臨床治療を開始すると宣言した。そのうち富山化学工業が2014年に開発した流行性感冒治療薬「ファビピラビル」の効果が傑出し、ウイルスの増殖を防止し、病状改善の効果を見せた。
しかし、李夫妻の感染が確定したのは2月初めで、その時にはまだ有効な薬物治療が実証されてはいなかった。
「まだ感染が確定していなかった最初の頃は解熱剤と抗生物質の注射が続きましたが、確定してからはそういう治療は全て中止され、ただ陽性が陰性に変わるのを待っているだけのような感じでした」
董さんは当時の様子をこう振り返る。一方、李さんは入院中特に何の治療も受けていない。
2人は心配のあまり、医者を訪ねて、薬を出してほしいと希望した。ところが帰ってきた返事は「保健所の指導により、まず政府で公式に認可された特効薬がないこと、次に夫妻は軽症患者に属していることで、おふたりには薬の服用の必要がありません」ということだった。
夫妻は2つの部屋に分かれて入院していた。部屋は隣だったが、壁で隔てられているため、お互いの顔を見ることはできず、スマホで連絡を取り合った。
隔離病室といっても、ICUではなく、伝染病隔離専用の減圧室。空気は外部から流入するが、室内の空気は外に流れ出ない仕組みの部屋だ。通常の個室と同様、テレビとシングルベッドがあり、洗面、トイレが備わったものだった。
「医師たちは毎日部屋に来ました。防護服、マスク、フェイスガード、防護メガネ、手袋を身に着けていましたが、武漢の医師のような全面封鎖式の防護服ではなく、部分的には皮膚が露出し、服の厚さもとても薄く、比較的簡単なもののようでした」と李さんは語る。
夫妻は日本語が出来なかったが、入院中の病院との意思の疎通はスマホの翻訳アプリを使えば可能だった。また、保健所から電話が来た時には有人通訳サービスを使ったので会話の問題も生じなかった。
董さんは1月30日に入院し、2月11日の退院まで、合計11日間の入院だった。李さんの方は2月4日に入院し、25日の退院まで、入院は21日間にわたった。
異国での入院にもかかわらず、2人はかえって安心感があったという。李さんは「医師が毎日何度も来て、血中酸素濃度や体温や血圧を測るので、自身の体の状態は医師によってしっかり管理されていると感じました」と話す。
● 入院中に感激した 病院対応の数々
唯一慣れなかったのは食事だった。日本の料理は味が淡泊で、夫妻の口に合わなかった。
無理を承知で病院に希望を伝えたところ、病院は夫妻のために、中国人の食習慣に特に気を配り、青椒肉絲(ピーマンと豚肉の千切り炒め)やマーボー豆腐のような比較的口に合いそうなおかずを用意してくれたのだった。
さらに入院中の李夫妻を最も感動させたのは、2人に対する病院のあらゆる面でのケアだった。中には医療の範疇(はんちゅう)を超えることもあった。
夫妻の観光ビザは入院中に期限切れになったが、病院が入国管理局に連絡し、ビザ延長の申請書も全て記入してくれたため、1カ月の延長が許可された。
入院中の2月8日に李さんの誕生日が来たが、病院から誕生祝いカードが贈られた。何が書いてあるかは読めなかったが、夫妻はとても感激した。
また、夫妻の心理を専門にカウンセリングする医師がいて、いつも部屋に来てその日の気持ちを尋ねてくれた。この医師は2001年に武漢に行ったことがあり、武漢の印象がとても良かったと言い、また夫妻のためにおいしいスナックと飲み物を買ってきてくれた。
退院の時、夫妻は少々病院を離れがたいような気分にもなった。董さんは今でも退院時に医師たちと記念写真を撮ったことを時々思い出す。ただ残念なのは、医師たちはいつもマスクを着けていたので、本当はどんな顔だったのかわからないことだという。
2人が退院した時、請求されたのは日本円でおよそ28万円にすぎなかった。
病院の説明では、新型コロナの感染が確定後の医療費のほとんどは日本国が払ってくれるとのことで、夫妻に請求された費用の大部分は感染が確定する前のものだった。
「まさか旅行に来ただけの私たちまで、日本国の福利が享受できるなんて」と、夫妻は日本の対応に感謝した。
結局、夫妻が帰国したのは来日から37日後の2月27日のことだった。
夫妻が日本で入院している時、武漢では感染大爆発が起きていた。当時武漢の病院には患者が急増、感染症臨時病院もまだ出来ておらず、多くの人がすぐに入院治療を受けられる状況ではなかった。国内の多くの友人たちからは「あなたたちは日本ですぐに治療が受けられて、運が良かったね」とうらやましがられた。