丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

小説「二枚目」§15

2011年04月21日 | 詩・小説
   §15

 救急隊員が駆けつける直前にマリ子は自力で呼吸をし始めた。助かったのだ。
 病院に運ばれると、発見が早く、処置も早かったので大丈夫とのこと。知らせを聞いて浩二も京子さんを連れて駆けつけてきてくれた。二人の顔を見て俺はようやく張り詰めていた気が楽になり、ぐったりと倒れ込んだのだが、マリ子が大丈夫だと知ると二人ともさっさと帰ってしまった。なんて薄情な奴らなんだ。しかし落ち着いて考えると、あの二人は示し合わせて、俺と二人きりにさせようという魂胆らしかった。まあ良い。俺としちゃそんなことはもうどうでもよかった。それに、二度と会えないと思っていた京子さんに会えたのだから良しとしよう。

 俺らを二人きりに使用なんて奴らの考えは、はなから甘すぎるのだ。なにしろマリ子の両親がすぐに駆けつけてきたから、二人きりになるなんてことはまったく起きなかった。俺も親に後は任せても良かったのだが、責任上彼女の意識が戻るまでは側についてはいたが、意識が戻ったと知らされたら、俺の顔を見せずに引き上げることにした。意識がないうちは良かったが、正気になったらいろいろその時の状況を聞かされるだろうから、俺としてはどういう顔で向き合えばよいかわからなかったから。意識がないとは言え、彼女の唇を奪ってしまったことになるのだから、まともに顔を合わせるのが照れくさくもあった。
 京子さんは毎日病院にやってきたようだ。いろいろと話を聞かされたようで、浩二からそういう情報だけは聞いていた。

 退院してマリ子も元気になったようで、数日後、親子3人で俺の家にあいさつにやってきた。
 堅苦しいことは俺は大嫌いなんだが、あちらとしては俺は大事な娘の命の恩人と言うことになるようだから、きちんとお礼を言いたいということらしい。俺としちゃ、穴があったら入りたいくらいに遠慮したいところだし、できればその場は抜け出してどこかに行ってしまいたいくらいだったのだが、俺がいないと話にならないようなので、最後の手段として俺は耳栓をすることにした。こうすればちっとは気が楽になるだろう。本当はヘッドフォーンでもしたいところだがあまりに非常識だし、耳を怪我したことにして包帯でも巻けばいいかもしれないが、かえって大騒ぎされるだろう。さすがにそこまではできそうにもないが。
 結果として耳栓など何の役にも立たなかった。もう俺は向こうのあいさつなど上の空で聞くしかなかったが、他のことを考えようとしても頭に浮かぶのは、あの人口呼吸の時のことだった。ますます俺はマリ子の顔をまともに見られなくなった。
 一方マリ子と言えば、これまた神妙にかしこまっていやがる。やはり俺の顔を見られないようで、たまに二人目が合うと、あいつ、ちょっと顔を赤くしやがった。こんな感じのあいつを見るのは初めてだった。あいつもかなり意識しているようである。無理はない。俺でさえ動揺しまくりなんだから。