丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

小説「二枚目」後書き

2011年04月27日 | 詩・小説
   後書き

 40年前に書いた物語で、おまけに毛色の変わった小説だったから、ほとんど内容を覚えていなかった。終盤の海辺での物語だけを覚えていた。だから、最初のページから、主人公ってこんな名前だったんだ、とか、誰、この人物?という驚きばかり。
 そういうことで、エディターで書き改めていく作業の毎日が新発見ばかり。こんな物語だったんだとか、この後いったいどうなるんだろう、とか。ホントに自分が書いたのだろうか、まあ見方によっては面白かったとも言えよう。

 当時の後書きを読めば、なんと構想から4年後に完成した作品だとか。ということは中学の時に考えていたらしい。前作の「白夜の人」とほぼ並行して構想を練っていたそうだ。4年のうちに主人公設定も変わったとか。それに恋愛小説に少々飽きてきたらしくて、きわどい場面は極力無くすようにしたらしい。そんなこと知らないから、ラストはけっこうきわどくなってしまった。最終章の直前まではほぼオリジナル通り、若干てにをはとか細かい描写・表現・会話の変更はあっても、基本的に元を変えずに書き進んできたのだが、最終章だけ終わり方をどうしようと考えていたら、オリジナルとかなり変わってしまう構想になってしまった。
 結末とか流れ自体はオリジナルを変更していないけれど、場面設定やら会話やら、大きく変わってしまって、それまではオリジナルを横に置きながら「書き改める」作業をしていたのだが、最後の部分だけはほとんどノートを見ずに書き進めた。だからそこだけやたら長くなってしまった。個人的にはこの終わり方の方が良いと思ってはいるが。

 人物は極端に少なく4人だけ。オリジナルの後書きでも、これまでの傾向と違ってあえて減らしたというように書かれていた。人物が勝手に動き出したのは毎度のこと。オリジナルでも「マリ子」が当初の予定以上に出演しだしたとか。また京子なる人物も、当初の予定にない計算外の行動に出てしまって、内容が大きく変更したようだ。これには作中の「マリ子」も困っているという表現があるが、作者自身困ってしまったようだった。まあ登場人物が勝手な動きをし始めるのは良い傾向だとは思っている。物語が生き生きとしだしている証拠だとも言えるから。だから最終章が今回大きく変わったのも、過去の作品をただ書き直しただけでなく、40年の時を越えて蘇った証拠とも言えよう。

 しかし、正直言って、こんな傾向の小説は今ならとても書けないと思う。本来復活させるリストに入っていなかったのだが、書き直して正解だったかも。