私が賃労働として介護、介助に関わってから20年程が経ちます。
(と、数年話しているからもう少し長いのかもしれない)
10時間前後のロング介助時代から、月に1〜2日の短い介助をしていた頃までいろいろな時期があるのですが、
人生の大部分、介助に関わってきました。
その間たった一度も考えたことのないことがあります。
それは、介護、介助を「人の役に立つ仕事だからしたい」という考えです。
「人の役に立ちたいと思って、この仕事を選びました」
と、この仕事をしているととてもよく耳にします。
人から「介護の仕事なんて偉いわね」と言われたことも何度もあります。
でも、「人の役に立つ仕事」って何でしょう?
コンビニの店員さん、スーパーの品出しのお仕事、運転手さん、清掃員さん、
工場で家電の部品を点検するお仕事、ネットショップの梱包のお仕事、配送員さん、
メンテナンスのお仕事、ごみ収集のお仕事、建物の解体作業員さん、、、
どのお仕事も、無くては困る、人の役に立つお仕事ばかりです。
これらの仕事とどう違うのでしょう?
よく言われる「人の役に立つ仕事」って、一般的に「ケア労働」をさしますよね。
そして今現在ケア労働は、人手不足、低賃金、キツいなどの状況やイメージが、
変えられない普遍的なものようにされてしまっている。
労働環境は良くないけど、人からありがたがられやすく、「自分は人の役に立っているのだ」と自負しやすく、
やりがいを感じやすい仕事、ということにされてしまっているのかなと考えます…。
日本自立生活センターで働いていた頃、先日亡くなられた矢吹さんがよくおっしゃっていました。
「俺たちはただ寝て、起きて、食って、用を足して、
ただ暮らしているだけなのに、そこにやりがいを感じられてもなぁ」
一般的に「やりがい」と表現されるようなことって、働く人にとっては大事なことだと思います。
仕事が楽しかったり達成感を感じると、モチベーションが上がりますし。
だけど、働く人にとってに「やりがいのある現場」は、
介助、介護が必要な人にとってはごくごくプライベートな個人の居室なのです。
その人は「やりがい」のためにそこにいるのではなくて、
ぼーっとする時も、まぬけな瞬間も、ダウナーな時間もある、ただ生活の流れがあるだけ。
そこに自分がどういて、どう手伝えるのか、
それを考えて行うのが、私にとっての介護、介助の仕事の面白いところ。
私は、人が生きていくのに必要だから、この仕事をしています。
誰もが世話されて育ち、世話になって老いる。
助けられたつもりが助けている。助けたつもりが助けられている。
市川
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