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喜びの種☆

yoshicoの徒然日月
ひとふたみよ
いつむゆななやここのたり、、ももちよろず
天の数歌

縄文のひなまつり🎎ヤヨイミカ

2025-02-28 01:17:37 | ナメコト(行事)
ヒナマツリ【旧暦3月3日・西暦2025.3.31】

西暦の3月3日は、旧暦2月4日、
ようやく春を感じられる季節、梅や河津桜が見頃を迎えます。

旧暦の3月3日は、西暦3月31日。
春分を超えると、
まさに春爛漫🌸ハルウララ
桜も桃も満開となる季節です!

旧暦のヒナマツリ🎎
三日月と桃の花のコラボ🌛晴れるといいね

ヲシテ文献より、古来日本の「ヒナマツリ」をご紹介します。
日本で最初の結婚の儀を記念し、トツギのノリ(法)を教え導くお祭り。
満開のモモ(桃・百・子孫繁栄の象徴)の花の許、
クサモチ(よもぎ餅)とミキ(御酒)で
メ・ヲ(メカミ・ヲカミ、女・男)のヒナマツリです。








やよいのはしめ         
ももやなき みきひなまつり
ゑもぎもち たみなわしろに
たねおまく
   ミカサフミナメコトのアヤ


やよゐきて ももさきめをの
ひなまつり くさもちさけに
ひくゑもせ
   トシウチニナスコトのアヤ



「ヒナ」とは半人前(未熟・七分目)のこと、
「メヲト」となり一人前のヒト(一から十)となる意が込められています。

トツギのミキ(御酒)は、身籠る(ミ)女性から先に飲み、兆す(キ)男性にすすめます。
三三九度は、ヤヨイミカ(日)のトツギ(ト・)固め(コ・つ)のミキ(酒)のこと。
三日月をミキに浮かべてすすめます。
サカツキ(盃)の名は、逆さに映る月のことから。



また、メヲトとは、
ヨメ(良き女)とヨオト(良き男)が
それぞれの役割で力を合わせ、
一家を為し固め、子孫につなげるという意です。
トツギとは、「トのヲシヱ」をつなぐ儀なのです。
日本語はなんて素晴らしいのでしょう♡

桃の花の下、夕暮れの細い三日月を愛でながら、男女でお酒を酌み交わす、、
春の大人のひな祭りとして復活させたいですね!
うれしいひな祭りの節にあわのうたをのせるとピッタリはまって楽しくなりますよ♪
きょうはたのしいたらさやわ~~(^^♪


ヲシテ文字で感じよう!
📌メヲト:メ(女性)・ヲ(男性)・ト(力を合わせ、子孫につなげる)▲夫婦。
📌トツキ:日本最初の国号「トコヨクニ」とは、トの教えを建国の理念とした事。
「タミが力を合わせ、得意を持ち寄りみんなでより良い世を為しつなげてゆく」意。
結婚式は「ト」を継ぐ儀なのです。×嫁ぐ。



「ヒナマツリ」の所縁について、
ホツマツタヱ2アヤ・「アメナナヨ トコミキのアヤ」より抜粋でご紹介します。
四代アマカミのウヒチニ・スヒチニから結婚の制度が始まりました。
その馴れ初めのお話です。

よつぎのヲカミ         
ウビチニの スビチおいるる   
さひあひの そのもとおりわ   
コシクニの ひなるのたけの   
かんみやに きのみおもちて   
あれませば にわにうゑおく   
ミトセのち やよひのみかに   
はなもみも ももなるゆえに   
もものはな フタカミのなも   
モモヒナギ モモヒナミなり
    

四代アマカミはウヒチニ(ヲカミ)でした。
稲作(陸稲)の導入により社会構造に変革がもたらされ、
時代の要請として、女性の社会的役割が求められてきました。
ウヒチニはスヒチニを正后に定め、ここに婚姻の制度が起きました。
サヒアヒとも呼ばれる婚姻制度は、広くタミにも広まってゆきます。

その元オリは、、
ウヒチニが、モモ(日本固有種のモモ)の木の実をお持ちなって
皇位(みくらい)に即かれたことから。

コシクニのヒナルノタケ(福井県越前市中平吹町・日野神社・日野山)の
カンミヤの庭に植えられましたところ、
三年の後のヤヨイ三日、
ハナ(花)も、モモ(百ほどにも多く)に咲き、ミ(実)も成りゆくようです。
それで、モモ(生じて固まる)のハナと名付けられました。
ウヒチニ・スヒチニのフタカミをモモヒナギ・モモヒナミ
お呼びするようになったのは、モモのハナとミに由来します。


ヒナはまた ひとなるまえよ   
キミわソの きのみによりて   
ヲカミわキ メカミわミとぞ   
なつきます ひとなるのちに   
やよひみか ミキつくりそめ   
たてまつる

           

また、「ヒナ」とはヒト(一から十)になるマエ(以前)で、
メヲトとなり初めて一人前という意味です。
ハナもミも、そ(ソ・揃う所)の木の実の由来によって、
ヲカミは「キ」、メカミは「ミ」と名が付きました。
ヒトとして表明する婚姻の儀は、ヤヨイの三日にミキ(お酒)を醸し奉ります。


ももとにくめる         
ミキにツキ うつりすすむる   
メカミまづ のみてすすむる   
のちヲカミ のみてましわる   
とこのみき みあつければや
   


モモの花の許、白酒を酌み、細い三日月を映し浮かべてミキ(酒)を勧めます。
メカミがまづお飲みになり、ヲカミに勧めます。
ミ(実・女性)を結ぶ、キ(木・男性)春の兆しのお酒の名の通りです。
ミキを飲みて男女が交わります。
「トコ」(トのヲシヱの精神で絆を固める・床)の「ミキ」(お酒)です。
「ミ」(生じ来る)のメヲト(夫婦)としての意識が篤く備わります。


あすみあさ さむかわあびる   
そでひちて うすのにこころ   
またきとて なもウビチニと   
スビチカミ これもウビにる   
ふることや おおきすくなき   
うすのなも このひなかたの   
ヲわかむり うおそではかま   
メわこそで うわかつきなり 

  

正月三日朝に、サムカワで清めましたときのこと、袖が濡れてしまいました。
ヲカミはメカミをかばって水浴びをしていたので、
ヲカミの袖は大きくヒチテ(濡れて)、メカミは少ないヒチでした。

「ニココロ」
にこやかな、やさしい、相手の幸せを願う思い遣りのお心です。
「ウ」(大きい)と「ス」(少ない)の「ニ」(思い遣り)の心の仕草に現れた
尊いことと、ウヒチニ・スヒチニとお呼びするようになりました。

また、「ウヒ」とは、クニタマ(地球)の形作られる以前の状態も意識した命名です。
ウヒが煮上がって、固体・液体と気体の分離が進みクニタマに形成されました。

大きい少ないのウスのフルコト(故事)から、ヒナカタ(雛形)が作られます。
ヲ(男)はウオソデ(大袖)とハカマ(袴)、
メ(女)はコソデ(小袖)とカツキ(被衣)です。


このときに みなつまいれて   
ヤソつつき もろたみもみな   
つまさたむ あめなるみちの   
そなわりて たぐひなるより   
としかぞえ ヰモつきあまの   
まさかきや 
          


雛形が示されたので、広く国民にも結婚の制度が広まります。
まず、ヤソ(八十)のトミ(臣)たちが婚姻を行い、
タミ(国民)もツマを定めました。

ウヒよりクニタマが形成され、そこから人類の発生が起きたわけですから、
アメ(宇宙・天体)の形成からの歴史を踏まえたミチの「トツギ」の制度は、
「アメナルミチ」ともいえるわけです。
これよりタクイ(家族、血族)も生じてきます。

中略

フタカミの ましわるときに   
トコミキや トコわトホコに   
コおもとむ
           

フタカミ(イサナギ・イサナミ)の交わる時も、トコミキ(酒)が用いられました。
トコミキの「トコ」とは、
「トのヲシテ」の「ト」と「ホコ」の「コ」でもあり、
「オノコロ」の「コ」にも掛かって意味します。
国家の安定を実現するためにも、「コ」(子)を求むるわけです。


ささけわとこよ         
ゐのくちの スクナミカミの   
たけかふに すすめがもみお   
いるおみて ミキつくりそめ   
すすめけり モモヒナギより   
ササナミと なおたまふより   
なもささけ そのカミいまに   
ささけやま ここのくみとわ   
やよいみか さかつきうめる   
カミのなも ヒナカタケとぞ   
たたゆなりける

         

そもそも、「ササケ(酒)」の名は、
トコヨ(琵琶湖湖岸地方)のヰノクチのスクナミカミ(後のスヒチニ)の所にあった竹株に、
スズメがモミ(籾)を入れているのを見て、お酒に醗酵するのを発見したことに由来します。
タケの別名のササからササケ(笹食・酒)と命名されました。

ミキを醸して奉り、モモヒナギ(四代アマカミ)より「ササナミ」という名を賜りました方は、
「ササケヤマ(沙沙貴神社、滋賀県近江八幡市常楽寺)」に当時いらっしゃったとのことです。

ココノクミ(固めの杯)の謂れは、
ヤヨイミカ(三月三日)に結婚の儀式を初めて執り行った故事に因んでいます。
今の世の三三九度とは、、
ヤヨイ三日のトつぎ固めの御酒の意ですね。
サカツキ(酒に逆さに映る細い月、杯)の名称を生んだ四代アマカミ・モモヒナギを尊んで、
その山をヒナガタケ(日野山、日永嶽、福井県越前市)と讃えるのです。


「トコミキ」の所縁について
ホツマツタヱ4アヤ・「ヒノカミ ミヅミナのアヤ」より抜粋です。
七代アマカミ・イサナギ・イサナミのお話です。

あるひヲカミが         
ヲヱとえは ヒメのこたえは   
ツキのヲヱ ながれととまり   
ミカののち みのきよけれは   
ヒまちすと ヲカミもゑみて   
もろともに おがむヒノワの   
とびくたり フタカミのまえ   
おちととむ おもわすいたく   
ゆめここち さめてうるほひ   
こころよく ミヤにかえれは   
ヤマスミが ササミキすすむ 

  

そんなある日のことでした。
ヲカミ(イサナギ)が月の障りを尋ねますと、イサナミは「三日前に月の障りが終わり、
身も清く気持ちも良いので、ヒ(太陽・ご来光)待ちをしましょう」とお答えになり、
イサナギも「それは良いことですね」と笑顔で答えます。

一心に心を併せ、日の出を拝んでいますと、
ヒノワがフタカミのすぐ目の前に飛び来たって輝いているように見え、
まるで夢のような心地でした。

心の中がポカポカとしてウキウキと快く、、ミヤに戻りますと、、
オオヤマスミが、ササミキ(お酒)を勧めてくれました。
このタイミングの良さには、得も言われぬ神妙さを感じます。



かれヲカミ トコミキしるや   
メのこたえ コトサカノヲが   
ミチきけは トコミキはまつ   
メがのみて のちヲにすすむ   
とこいりの メはことあげず   
ヲのよそヰ メがしりとつく   
したつゆお すえばたがゐに   
うちとけて たましまかわの   
うちみやに やとるコタネの   
トツキノリ こおととのふる   
トコミキは クニうむミチの   
ヲシヱぞと 

          

ヲカミはトコミキについてメカミに尋ね、メカミはお答えになられました。
「トツキ(結婚)の際、トコミキのことは聞いたことがありました。
コトサカノヲに尋ねましたらば、このようにお教え下さいました。」

イサナミは言葉を続けます。
「トコミキ(寝所にてのお床入の際にお召し上がりになるお酒)は、、
まず始めに女性から飲み、次いで男性に勧めます。
その後、床入では女性はコトアゲ(願文を言う事)をしないことになっています。
男性の誘いに、女性が寄り添いとつく(トツク・交わる・トを継ぐ)のです。
そして、シタツユ(精子)を得てお互いが本当に打ち解けるようになります。
アモト(大宇宙の中心)から、ヒトの形成の元となるタマが降され、
ウチミヤ(子宮:見えないものが物質を結び合せて具体化させてゆく場所)に
コタネ(子種)が宿る、これが「トツキノリ」です。」
コタネ(子種)の宿り整うるプロセスは、国家形成の方途とよく似ています。


「ひなまつり」と「スクナヒコナ」
ホツマツタヱ9アヤ・「ヤクモウチ コトつくるアヤ」より抜粋です。

スクナヒコナは         
アワシマの かだがきならひ   
ひなまつり をしえていたる   
かだのうら アワシマカミぞ
 
  

さらに後、スクナヒコナは、
アワシマ(琵琶湖周辺もしくは淡路島、、フタカミに由来、、)のカタガキ(コト)の楽曲演奏を習い、
ヒナマツリ(四代アマカミのトツギノリ)を全国各所に教えつつ巡りました。
行き至った場所はカダノウラ(現和歌山市加太)でした。
そこで、スクナヒコナはアワシマカミと讃え呼ばれるようになります。
※加太淡嶋神社(延喜式記載の古い神社)として、伝承も残されています。
 雛流し、二万体の人形で有名な神社です。
 ご祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)






『宇治山田市史』宇治山田市役所編 年中行事より
「宮中神事」
◎桃花御饌【三月三日】
式は新菜御饌(わかなのみけ・正月七日)同様であるが、今日の御饌は長き草餅で、
内宮は桃枝を筒に立て、外宮は桃枝を五寸位に伐り、束ねたる草餅に横に挿して供える。

「民間行事」
◎桃の節供【三月三日】
民間では小豆飯を炊き、桃の酒を祝う外、女子のある家では雛祭とて内裡雛を飾り、
草餅を搗き菱餅を供へ、女児の庭訓に資したものである。
市中の人々は主人筋・師匠・得意先などへ節供の禮とて礼服にて廻禮する事もあった。
この廻禮は明治維新後絶えたが雛飾りは近来年を追うてだんだん盛んになった。

◎汐干狩【三月三日】
三月三日の汐干に二見浦には市中の老若男女の貝拾ひ遊びをする風俗であった。
能く干る時は、立石より凡そ十町許りも干潟となったと云ふ。(五十鈴落葉)



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
 http://woshite.com/page5.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
編集:冨山喜子

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ヲシテ文字瞑想✨️トのヲシヱ

2025-02-28 00:41:51 | ヲシテcafe
「トのヲシヱ」とは、
縄文、トコヨクニ建国の理念。
あなた ト わたし
トモダチのト!
トトノウのト!





参考:ブログ喜びの種☆より「トのヲシヱ」
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/5fb1d7b764405833dcba1894bda703c7



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ヲシテ文字瞑想✨️「キツサネとイキサツ」

2025-02-26 13:44:04 | ヲシテcafe
「経緯」と書いて「ケイイ」、「イキサツ」と読みます。
「ケイイ」は、物事のいきさつ。細かい事情。
「イキサツ」は、ことの成行きやそれに伴ういろいろの事情。

では、ヲシテ文字の「イキサツ」にはどんな意味があるのでしょう?
日本語の「イキサツ」とは、、、






参考:キツヲサネ(東西中南北)

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キサラキ・ムママツリ(旧暦二月朔日・2025.2.28)

2025-02-14 23:20:48 | ナメコト(行事)
旧暦キサラキは、仲春とも言われ、春分を迎えます。
縄文カレンダー・トホカミヱヒタメ暦では、
「ヒ」のナメから「タ」の守りへ移る過渡期です。
2025.2.28の新月(旧暦2月1日)より、
徐々に春めいて、日差しの暖かさを感じられるようになりますね

◎キサラキについては、こちらもご覧ください。
ヲシテ文字瞑想✨️キサラキ
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/48efc6393b05e53019240b281fdb50dd





ムママツリ【キサラキ初旬(旧暦二月初旬】

きさらきや こりゑこゝろみ
むままつり よろぎひいつる
かみかたち
    トシウチニナスコトのアヤ



きさらきは メヲほぼやわし
きざしおふ たねかしまつる
いなるかみ のりゆみひらき
もちまてに そこにふきたつ
はつひかせ これかみかたち
 ミカサフミナメコトのアヤ



キサラキ(旧暦2月)に入ると、
ヲカミ(二陽)のキザス(萌す・兆す)働きが強まり、
ヲカミ・メカミの並び立つ(二陽・二陰)「春分」へと向かいます。
メ(固まる力)とヲ(生えゆく力)の拮抗のお祭り。
ノリユミ(後のヤブサメ)を行います。


ヲシテ文献には、馬の記述がたくさんあります。
まず、天地開闢のとき、
アメミヲヤがクニタマ(地球)を、
ウツロヰをムマ(馬)に乗り巡り、、とあります。(18アヤ)
アブミ(鐙)やクツワ(轡)など、馬具の使用法や
乗りこなす技術も伝えています。(19アヤ)
各地域からアマテルカミに献上された馬のそれぞれの特徴も興味ふかいです。
カトリカミは、アマテルカミのムマヤヲサメ(馬司)で、
その師匠はトヨケカミで、乗馬の達人でもありました。



「タネカシマツル・イナルカミ」とは、
 現在の「祈年祭」・「鍬山神事」に通じると考えられます。
『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事には、弓のことも記されていました。


◎祈年祭【キサラキ四日】※旧暦二月四日。改暦後西暦二月十七日。「神宮諸祭典」
 祈年は「トシゴヒ」と読む。年は古語で穀物のこと。
 農本の國として農事の初に本年の五穀豊穣を両宮の大前に祈り奉る祭儀。
 この日神宮には祭主宮を始め奉り、大少宮司以下が神前に奉仕し、
 宮中からは勅使が立ち、儀仗兵の堵列もあって、荘厳に祭典が施行さるる。

※現在の伊勢神宮ホームページによると、、
「祈年祭」は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈る「としごいのまつり」とも呼ばれます。
「トシ」とは稲の美称であり、「コイ」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の
 豊かな稔りを祈ることを意味します。
 稲の育成周期が日本人の一年、農耕が生活のすべてであった時代、豊作を祈ることは、
 国家の安泰・国民の繁栄を祈ることに他なりませんでした。
 そのため祈年祭は国家規模で執り行われ、奈良時代の『延喜神名式』によると、
 神宮を始め全国二八六一社の神々に幣帛が奉られていました。
 特に神宮には天皇が勅使を差遣されてお祭りが行われており、朝廷の崇敬の念が窺われます。


◎鍬山神事【二月朔】「宮中神事」
 神田に下種するについての鍬山神事は、内宮は二月朔日、外宮は同月上亥日に行われ、
 内宮では禰宜・内人・物忌等、當年「歳徳神」の在る方を鍬山として之に登り、
 山口の神を祭り、木本祭を為し、木を伐って忌鍬を作り、之を持って山を下り、
 神田に臨んで耕田の型をするのである。
 また神官の一人が桶に小石を入れて種と称へ、之を蒔く型をする事もあった。
 この時田舞といふ舞を為し、折敷を鼓の様に打って歌をうたふ。その歌の一つに

 あなたのし 今日の楽しさ
 いにしへも かくやありけむ
 今日の楽しさ

 外宮では、役人が榊枝を伐って忌鍬を作り、歳徳神の方に祭場を設け、
 役人が多賀山下に至って山入りの行事をなし、禰宜以下本宮に参拝して祭場に列座すれば、
 役人が修祓した後も忌鍬で耕田の状をなし、禰宜もまた其の鍬をとり、
 神歌を唱えて耕田のまねをして豊年を祈り、役人又祓を修し、各員八度拝して退坐するのである。
 是より諸所の神田も耕作せられ、民間のも耕作せらるる事となったのであるが、
 明治五年二月にこの神事は廃せられた。


◎弓の事【正月中】
 弓を射て遊ぶことは古くよりあった事で、宇治地方でも正月中、不動明王院の門内に射場を設け、
 町の人々が素襖(すおう)・鳥帽子で之を競射したが、維新後絶え、明治十年頃より
 町民の協議によって「弓の事」と称し、神事に擬して形のみを再興した場所は、
 中之切町、山神社の下川辺であった。
 宇治神社:https://blog.goshuin.net/uji-ise/


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。


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アワウタの秘密✨️

2025-02-14 16:34:52 | ヲシテcafe
アワウタは、

日本語の48音韻宇宙のノリ(法則)
五・七調、十二音韻の四行歌に編んだウタ。

言葉を整え、道理を教える手習いウタとして
教え広められました。

和歌の五七調の成り立ちは、
「ヰネ(五音)・ナナミチ(七満)」と称えられ、
一年十二ヶ月のうち、
根を構築する五ヶ月間と
芽生え、満ち満ちてゆく七ヶ月間が
繰り返し訪れ、
常に再生して若返る(常若・ワカ)、
天地自然のリズムの内に私たちの営みがあると説いています。

アワウタを日々唱えると、
ヨソヤ(48)のナミ(波動)が身の内に響き渡り、
巡りが良くなり、心身も整いゆくとされています。

youtubeヲシテム
アワウタのひみつ✨️タナハタアワウタver♪
https://www.youtube.com/watch?v=QbJ2_0EiT6U&t=14s



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ヲシテ文字瞑想✨️キサラキ

2025-02-14 00:05:27 | ヲシテcafe
二月のことをキサラキ(如月)といいますが、
ヲシテ文献には各月の名称がムツキ・キサラキ・ヤヨイ、、と
現在の旧暦と同じ名称が記されています。

キサラキとはどういう意味なのでしょう?

漢字の「如月」は、AIによると、
中国最古の辞書『爾雅(じが)』に「二月を如となす」とあることから、
「如となす」は、万物が神意に従うように現れ出ること、
自然がいきいきと動き出す時期を意味します。

また、まだまだ寒さが厳しい時期ために、更に衣を重ね着するという意味から
「衣更着(きさらぎ)」になったという説もあるそうです。
「キ」は東の意でもあり、東風は春の季語ですね。

二月の異名も多々あって、
仲春(ちゅうしゅん)・梅見月(うめみづき)・木芽月(このめつき)など、、、
日本人てロマンチックですね✨️



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縄文の小正月❄旧暦1月望(西暦2025.2.12)

2025-01-27 01:28:26 | ナメコト(行事)
ムワタマツリ・トンドモチ【ムツキモチ(旧暦一月望・小正月)】

初春の満月!
旧暦ムツキ十五夜お月さま
西暦2025.2.12、22:53にmaxとなります。

日暮れからご来光までの夜空を一晩中照らす満月!
その朝にいただく小豆粥!
満月のエネルギー♡水に浸した小豆の月光浴!
アツキカユ✨
ヲシテ文字で感じるとまさにまさになヒモロケ✨


1月15日といえば、数年前までは成人式の祝日でした。
初春の満々の満月のエネルギーに因んでいたのではと思います。
成人を迎えられた方々へ謹んでお祝い申し上げます。
春、キザス東、のぼる朝日の波に乗り~いよいよです!



いつかの月の出。




もちのあさほぎ
あつきかゆ さむさにやふる
わたゑやみ さやけをけらに
とんどもち ゑさるかみあり
 トシウチニナスコトのアヤ


モチ(満月)の明けた朝に、ヒモロケ(日月のエネルギーの備わった食物)の
アツキ・カユ(小豆粥)で祝い、ワタ(内臓)へのヱヤミ(病気)を防ぎます。
ササ(笹・竹)、オケラ(薬草)を焚き、
モチ(トンドモチ・餅)を焼いてカユ(粥)に入れます。
小豆粥にお餅♡おしるこちゃんですね♪


1月の菜食ゆにわさんの縄文ヲシテ勉強会のランチはアツキカユでした♪

現在でも1月15日は「鏡開き」・「トンド焼き」(左義長・小正月の火祭行事)が
全国各地で行われていますが、なんとヒノモト縄文起源の風習といえます!
日本のお正月♡


めをおえば もちのあしたは   
ひもろけの あづきのかゆに   
ゑやみよけ ささおけとんど   
もちやきて かゆはしらなす   
かみありの かゆふとまにや
 ミカサフミナメコトのアヤ


カユハシラナスカミアリのカユフトマニとは、
かゆ(カユ・来たりて跳ね返る様)のウラナイ(見えない世界の成り行く方向を知る)です。


※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、
◎御竈木神事【正月十五日】「宮中神事」
神宮に御薪を奉納することで、これは昔、
朝廷にて臣下の薪を献ずる儀のあったのを移して、神前にも奉る式としたものであろう。
この日、一禰宜七荷、余の禰宜各六荷、権禰宜は各五荷、六位の権禰宜・大内人等は各三荷、
小内人は各二荷、諸社の祝部等は各一荷という定であった。
其の木は長さ七尺余りの白削りの細木で、九本を一荷としてある。
之を石壺の上に据えて「御木の数三千五百荷御入り候ふ」と申し、
政所が祝詞を奏し了って、御薪をば忌火屋殿に納める。

神事の祝詞には、
「吾々のかく奉るさまをば、平らけく安らけく聞食して朝廷賓位(みかどのみくらい)」は
動くことなく、常磐(ときわ)に堅磐(かきわ)に、夜の守日の守に護り幸い奉りたまひ
生まれまさむ皇子達をも慈しみ給ひ、百官(ももつかさ)に奉仕(つかえまつ)る人等をも
平らけく、安らけく、天下四方(あめのしたよも)の人民(おほみたから)の作る
五穀(いつくさのたなつもの)も豊かにめぐみ幸ひ給へ」
と祈る所に国民思想の明らかなる反映を見る。

訓読みのやまとことはのなんと美しい響き♡


◎小豆粥【正月十五日】「民間行事」
松飾りは、十四日の夜に納めるので、十五日朝に粥柱の角切餅を入れた小豆粥を煮、
飾りを取り去った跡へ供えるので、飾揚げの祝とも云った。※五十鈴落葉


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





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縄文の春七草【ムツキユミハリ】(旧暦1月7日・西暦2025.2.4)

2025-01-27 01:11:24 | ナメコト(行事)
七草・シムノフシヱ【ムツキユミハリ:旧暦1月7日】

ヲシテ七草
《ごげふ・はこべら・ゐたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なつ》


春の陽を享けて、野草アオナがいっせいに顔を出します。
弓張を祭る七草は、イノチ(生命)を養う行事です。
冬の間のビタミン・栄養不足など、滞ったからだに、
春の最初の芽吹きの力強いエネルギーをいただき、病や災いを払い整えます。


ヒの守りは、立春から春分頃。
一日に例えると夜明け前の一番冷え込む時間帯。
早春賦の歌がしっくり来ます、、春は名のみの風の寒さや~♪

新月から七日目。
満月へと向かい、生え出でるエネルギーが強まります。
「ナナクサ」は春の最初のエネルギー!
庭もだいぶ緑色が目立ってきました。





しむのふしゑは
たるむつみ ゆみはりまつる
みそのなは ぬゑあしもちか
かさくさお こげふはこべら
ゐたひらこ すずなすずしろ
すせりなつ このなゝくさに
のぞくなり
   トシウチニナスコトのアヤ




しむのより ゆみつきのよは
ゐのみづに ヌエアシモチが   
ガダヲヱオ ごけふはこべな   
いたひらな すずなすずしろ   
すせりなず なみそにのぞく
 ミカサフミナメコトのアヤ


みそのなは… 味噌の七葉・菜葉?
なみそ… なみそ 七味噌・菜味噌?
春の七草、お粥さんだけじゃなく、味噌和えや味噌汁もいいですね♡
「味噌?」は、いつからあるのでしょう?

※味噌の起源ウィキペディア参照。
日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代からとする説もあるが、
豆を用いた現在の味噌とは違う液体状のもので、魚醤に近い。
日本においては縄文時代から製塩が行われ、
醤(ひしお)などの塩蔵食品が作られていたと見られる。
縄文時代後期から弥生時代にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。
古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。
現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代当時の文献に
「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。



すずな・すずしろ♡志摩の朝市




ヲシテ春七草の記述は、ホツマツタヱ <19アヤ・その2> にあります。
ノリのフミ テルタエのアヤ(抜粋)

フソヰすゝ モゝミソゑたの   
としサナト ハルのハツヒに   
ヨのヒツギ ミコオシヒトに   
ゆつります アメよりイセに   
おりいます 
          


マサカキ暦25スゝ130枝のサナト(キシヱ暦58年)のハルのハツヒ(元日)に、
アマテルカミは皇太子オシヒトにアマカミを譲位なさいました。
アマテルカミは譲位ののち、人を教え導くことに熱意を持たれ、
イセのミヤ(現伊勢神宮内宮)にお遷りになられ、日々教導に捧げてゆかれるお考えでした。


ときにツキスミ         
オゝクマド ひつめアオコマ   
たてまつる カミおもしろく   
おほすれば クマトにたまふ   
ミアエには ヌヱアシモチが   
がさくさも ごげうはこべな   
いたひらこ すゝなすゝしろ   
すせりなつ このナゝクサに   
のぞくなり           



ちょうどその頃に、ツキスミ(九州)のオオクマド(アメクマ)が、
ヒツメ・アオコマ(馬ムマ・詳細未詳、、)を曳き歩んで参りました。
献上されたアオコマ(馬)に大変興味を示されたアマテルカミは、
オオクマドにミアエ(御饗)を賜うことになさいました。
ヌエアシモチ(悪さをする鳥?)がガサクサ(禍や病気、皮膚炎。詳細未詳)も、、
とは、冬の間のビタミン不足など滞った健康幣害を解消するの意でしょうか、
生命エネルギーに満ち溢れた春の新芽の七草です。
「ごげう・はこべな・いたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なづ」、
この七草に除くなり。


さくらばなれば         
またのモチ こかねひつめの   
クロコマの タカギがひけば   
たてまつる 
          


サクラの季節の満月(春分頃)に、ヒタカミ(東北)より、
当主七代タカミムスヒ・タカギがコカネ・ヒツメ(黄金の蹄?詳細未詳)のクロコマを
献上なさいました。
タカギはアマテルカミの従兄妹であり、ご学友であり、
また、九代オシホミミのお后チチヒメのお父上でもあります。


みつほマナヰに         
のりみゆき しばしばまつり   
きこしめす これそらくもり   
あらざりき  
         


これらの献上馬にはアマテルカミのお后三名がお乗りになり、
マナヰ(トヨケカミの御陵)まで御幸をなさり、お祭りをなさいました。
ひ孫にあたるオシホミミの九代アマカミご即位のご報告です。
天下安寧の一助となり、また女性にも乗馬の技術が浸透したことには、
トヨケカミもお喜びのことと思われます。



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。



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縄文の節分❄トシワケ・オニヤラヰ

2025-01-27 00:48:45 | ナメコト(行事)
2月3日は立春🌸ハルタツヒ!
その前日が節分、今年は2月2日です。

一年の節目、年の変わり目は、、
西暦では元旦を迎える大晦日ですが、
縄文ヲシテの記述では、
新年が「ハルタツヒ」(立春)、
その前日が「トシワケ」(節分)です!
ややこしいですが、旧暦元旦は新月のムツキハツヒ(2025.1.29)

縄文カレンダーもそうですが、月の巡り(旧暦)の12カ月は365日ではないからです。
カウントダウンは立春点、2月3日23:10でしょうか?

さて、縄文の節分・トシワケの行事は、また後ほど





ヲシテ文献『ミカサフミ』タカマナルアヤ
「立春」に関する記述があります!

「タカマ」とは私たちを取り巻く大宇宙のこと。
 ぜひ原文を何度も何度も声に出してイメージしてみてください。


アマメクリ ヒはをゝきくて
ヒトおくれ ミモムソヰたび
ヒトトシの ハルタツヒには
もとにきて ひとたびもとの
ほしにあい つきはおもくて
ソミノリお おくれヒにあふ
ツイタチぞ ほしにソミあふ
アメはヱナ ヒツキヒトみな
アメのエナ そとはタカマノ
ハラまわり


概要としましては、
1年365日は、ヒ(太陽)の巡りです。
ハルタツヒにはモトに来て、ひとたび元の星に会い、、
天体観測のその始まりの基準は「ハルタツヒ」(立春)です。

月の12ヵ月では365日に満ちず、
月は重くてソミノリ(13ヵ月)、遅れて「ツイタチ」になります。
トシワケは「ハルタツヒ」の前日です。

アメ(天)は、エナ(コミヤ・子宮)、
太陽も月も人も皆、アメのヱナ、
外はタカマ(大宇宙)のハラ(腹)まわり

太陽系まるごと、タカマ(大宇宙)のハラ(腹)の中、、という概念!



●トシワケ・オニヤラヰ

としわけのよは
まめおいり みなおにやらふ
かおひらき しめひきふさき
もののかき ほながゆつりは
はゑゆつは むぎにとしこへ
 ミカサフミナメコトのアヤ



「トシワケ」の夜は「オニヤラヰ」

オニとは、凝り固まった思いや憎しみ、嫉妬心などの事。
オニヤラヰとは、悪い芽が出ぬように豆を炒り、
マ(魔・悪心・障り)のメ(芽)を断つ行事です。




天地自然の安寧を祈願し、「トシノリカミ」「ヤマサカミ」をお祭りします。
カ(西)をヒラキ(柊)とヰワシ(鰯)で塞ぎます。
ウラジロやユヅリハで〆め飾り、麦を食して年越えのお祭りとします。

ちなみに、アマテルカミ最盛期のイサワノミヤのある志摩や鳥羽では、
現在でも「アラクサ」という行事が残っている地域があり、大晦日に豆まきをします。
豆炒りの時に先を削った木にイワシを刺して、パチパチと火であぶり、
その音と臭気で邪気を払うとされ、魔除けとして玄関にさしておくそうです。

節分といえば、豆と鬼、そして近年では恵方巻も風物詩となりました。
ちなみに、2025年の節分の恵方は「西南西(西南西微西)」。
恵方とは、その年の幸運を司る歳徳神のいる方角だそうです。
歳徳神は、としとくじんと読むようですが、
ヲシテ文献のトシノリカミが進化したものなのでしょうか?

◎トシノリカミ
初代クニトコタチの時代、
「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」(東西中央南北方位、季節の守り)と
「ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ」(食べ物・イノチ(生命)の守り・アメのもたらしと地上の育み)の
ソヒ(十一)カミを祭り、「トシノリカミ」としました。
東西南北中央、、中央にミハシラをイメージして、
宇宙からのもたらしと大地の育み、
とは、「ピラミッド」?!
わたしたちはみんな、その守りの内にある、、。ということですね。


◎ヤマサカミ
七代イサナギ・イサナミの時代(大きく事が整えられてきた時代)、
コヨミを守る役目を担ってもらうため、「ヤマサ」の八カミを添えて祭ることにしました。
自然神の八つの働きを祭ります。

ウツロヰ(大気)
シナトヘ(風)
カクツチ(火)
ミツハメ(水)
ハニヤス(土)
・自然界のヲヲトシカミ(穀物を成らせる)
スヘヤマスミ(木々が雨から土を守る)
タツタヒメ(火災からの守り)

トシワケには、天地自然の安寧を祈念する!



トシノリカミ・ヤマサカミについて、
ホツマツタヱ《22アヤ・オキツヒコ・ヒミツノハラヒ》より
抜粋で祭祀のノト(祝詞)をご紹介しています。
祓いの祝詞です。
ハライノリト
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/c3d9cb93ad8386a554ae10731a58b8da


参考文献・参照資料
◎ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎ホツマ辞典:池田満著・展望社 
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院 
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





『縄文カレンダー』2025年度版 A4判カラー・竹紙20頁の冊子形。
一冊1500円でお分けしています。※立春より送料込。
ご希望の方は、送り先のご住所、お名前、冊数を下記までメールにてお知らせください。
詳細↓
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/a0491dc7a142930a62a3a4e708b84fbe
冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp




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ハツヒマツリ【ムツキハツヒ(旧暦元旦・2025.1.29)】

2025-01-21 15:52:01 | ナメコト(行事)
2025年の旧暦元旦(旧正月)は、新月の1月29日。
「国立天文台」の「今日のこよみ」で1月29日を調べると、
日の出6:54、月の出6:53(三重県津調べ)
初日の出🌅ご来光を拝みたくなりますね✨️

今年は元旦のあとにトシワケ・節分、立春を迎えます。

縄文暦の年末年始の行事。      
2025年・R7
1月28日 シワススヱ
  29日 ハツヒマツリ・元旦・新月
2月2日  トシワケ・節分
  3日  ハルタツヒ・立春
  4日 ナナクサ・弓張
  12日 ムワタマツリ・小正月・満月
 

ちなみに、2024年・R6
2月3日 トシワケ・節分
  4日 ハルタツヒ・立春
2月9日 シワススヱ
  10日 ハツヒマツリ・元旦・新月
  16日 ナナクサ・弓張
  24日 ムワタマツリ・小正月・満月


春は名のみの風の寒さや~♪
早春賦のメロデイにアワウタを乗せて~~(*^^)v
旧暦ムツキ満月の小正月を迎えると
漸く春を実感できるようになりますね❀







ハツヒマツリムツキハツヒ・旧暦元旦



ヒはツサカセの 
ふたをがめ きたればひらく
はつひぐさ ハツヒマツリは
ふとまがり やまのかやくり
うみのめも ところたちはな
ゐもがしら
  トシウチニナスコトのアヤ


ヒのナメは ツサにいなさの
ハツヒより フウおやわせて
オケラたき ワカメミツくみ
しとぎもち まがりかやくり
うなところ かくいもかしら
  ミカサフミナメコトのアヤ


春のハツヒ(元旦)を祝います。
ワカメ(若女)が初水を汲み、オケラ(薬草)を焚いて、シトギモチを作ります。
天地自然に感謝を込めて(アワのウヤマヒ)、
お供えは、フトマガリ(勾玉形の餅)、山・海の幸、カク(橘)、ヰモカシラ(里芋)。


◎元旦【ムツキ元旦】の「民間行事」
※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、

鶏鳴を聞いて井水を汲み、手水を遣い口を洗い清むる。
之を「若水」ということは当地に限った事では無いが、
殊更に厳粛にこの行事を重んずる点は、当地の長所といってよい。
荒木田守武長官の有名な発句「元旦や神代の事もおもはるゝ」とある句、
この風俗あって初めて其の真義が表れるものである。




「ムツキハツヒ」元日は、アマテルカミ「ご誕生の日」です。
ホツマツタヱ四アヤ《ヒのカミのミヅミナのアヤ》よりご紹介します。

フソヒスズ モモフソヰえた   
としキシヱ はつひほのほの   
いつるとき ともにあれます   
みかたちの まとかのたまご   
いぶかしや ウヲヤヲキナの   
ヤマズミが ことほぎうたふ   


マサカキ暦21スゝ、125枝、キシヱ(31年目)の元旦。
初日の出がほのほのと登り来るとともに、ミコはお生まれになられたのです。
ミカタチのマトカノタマゴ(幸帽児・ヱナ(胞衣)をかぶったままでの出産)、
極めて珍しく尊いお姿です。
ウヲヤヲキナ(後見役)のオオヤマスミは、皇子のご誕生に言祝ぎ謡います。


むへなるや ゆきのよろしも   
みよつきも よよのさいわい   
ひらけりと           
おほよすがらに         
ことぶくも ミたびにおよふ 


と、朗らかに声高く言祝ぎます。
その声は、三度、富士山の麓に響き渡ります。


ゆきよろし ひとのとわしの   
こたゑにも トヨケのカミの   
をしゑあり さわるイソラの   
みそぎにて ヱナのかこみは   
おのころの たまことならは   
ゆきよろし
           

「ゆきよろし」とは、どういう意味でしょうか?
祝賀に集う人々からの問いかけに、オオヤマスミは謹んで言葉を続けました。
トヨケカミが、皇子の誕生を希う祈願の八千回のミソキの間に、
だんだんと解ってきたことと、お教え下さいました。

誕生の安寧を祈っていましたら、そこに、
「災いの障りを及ぼしてくるかもしれないモノ」があることに気が付きました。
それは、良くない思い、羨み、妬み、怨みの心の攻撃的な思いなどです。
これを「イソラ」と言います。
「ヱナ」は、それらを防いで健やかな育成ができるようにしてくれます。
※ヱナ(胞衣)ヱ:アモトからタマが降され来る。ナ:和やかに包まれた音韻の意。
ヱナがタマを包み守る成り立ちは、
より良きように整い纏まる「オノコロ」の言葉のとおりです。

「ゆききのみち」という言葉があります。
「ゆき」とは、大宇宙の中心アモトに「タマ」が戻ること。
「き」とは、アモトから「タマ」がこの世に降され来ることです。

春の正月元旦の初日とともにお生まれになられた美しい皇子、、
きっと前世がとてもおよろしかったのでしょう。
とオオヤマスミはお感じになられたのでした。


シラヤマヒメは         
うぶゆなす アカヒコくわに   
ひくいとお ナツメがをりて   
うぶきぬの みはたてまつる
   

シラヤマヒメ(イサナギの姉)が産湯を用意し、産着は絹糸名人アカヒコと
機織名人ナツメにより柔らかな絹布の衣に仕立て献上されたものです。
※赤日子神社(延喜式記載・愛知県蒲郡市)
伊勢神宮への絹糸奉納が令義解(西暦833年)に記されています。


みめぐみや アメにたなびく   
しらくもの かかるヤみねの   
ふるあられ ヒスミにこたま   
このみづお ぬのもてつくる   
ヤとよはた ヤすみにたてて   
キミとなる クラヰのやまの   
イチヰさく よにながらゑて   
さくもつは かみのほずゑぞ

   
皇子誕生の瑞祥は、富士山にも現れ、山頂に白雲が棚引きかかり、
富士の八峰に、またヒスミ(ヒタカミ)にも霰が降り注ぎました。
このミツ(瑞祥)の表しを、八枚の絹布の旗で作りました。
ヤトヨハタと呼ばれ、アマカミご即位の際に、八隅に立てるのが恒例です。
位山のイチヰのサクは最上級です。
長命を得て、このサクを持つことができるようになる人は、
クニトコタチの教えを身に付けた人と申せましょう。<抜粋>


参考文献・参照資料
◎ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎ホツマ辞典:池田満著・展望社 
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院 
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





『縄文カレンダー◇2025』
A4判カラー・竹紙20頁
一冊1500円でお分けしています。
ご希望の方は、
送り先ご住所・お名前・ご希望冊数を下記メール宛にお知らせください。
✉yoshico1018@yahoo.co.jp
よろしくお願いします。

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