喜びの種☆

yoshicoの徒然日月
ひとふたみよ
いつむゆななやここのたり、、ももちよろず
天の数歌

夏は来ぬ!

2019-05-17 01:34:44 | こよみ
令和元年ウツキハツヒ(西暦五月五日)より季節は「夏」に入りました!
「メ」の守りは、ウツキハツヒ(立夏頃)からサツキナカ(夏至頃)です。
        ※西暦2019.5.5~6.17(十五夜)まで。





ウツキの「ウ」は、大いなる、いままさに、初、動く、生まれる~などのイメージ。
*「動き」様々な変化・動く・生れる・移動を強調。
*「熱」の発生・伝達。熱のあるところには必ず「動き」がある。
*「原動力」大地から立ち昇るエネルギー、いままさに(現在)。
*「大いなる」大きいモノ・果てしないモノ・激しいモノ
立夏からぐんぐんと日が伸び、夏至に向かうエネルギッシュなイメージです。


漢字の「卯月」からは卯の花の咲く季節のイメージが強いですね。
卯の花はウヅキ(空木)の花の事、茎が空洞になっていることからの名です。
卯の花と聞くと、「夏は来ぬ」を口ずさみたくなりますね♪
歌詞を調べてみたら、作詞の佐佐木信綱さんは、和歌の創作・研究に功績を残した歌人で、
古典文学の研究や復刻にも尽力された方だそうです。
まさに「メの季節」を現代に歌った和歌♪
美しいヤマトコトハの調べ、掲載させていただきます。
※出典:世界の民謡・童謡
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/natsuhakinu.htm


「夏は来ぬ」

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて
忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の
窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ

※ヲシテ文字に表して言葉をイメージで感じてみてください。
きっとワクワクな発見がありますよ(*^^)v
身のまわりの夏の風情を探してみるのも楽しいですね。



連休最終日、子供にまぎれて私も腰までとっぷり、、^^;
良いミソギとなりました◎





メはツネにすむ
みづのかみ うづきはうめの
ヲおまねく さなゑあおみて
なつおつぐ  なかわたぬきて
 トシウチニナスコトのアヤ



【ウツキ:旧暦四月・西暦二〇一九年五月五日~六月二日】
天空より天の川がツネ(西北)より注ぐ季節の守り、メのカミは、ミツノカミ。
ウツキになると、日毎に昼が長くなり、ウヲ(最大・温)を招きます。
ヲカミ(四全温・昼)の及ぼしに、メカミ(冷・夜)の働きは水面下に潜り伏します。
早苗は青さを増し、夏を告げます。
万木生い茂る、夏の到来!
「ミハワタヌキテ」、衣替えの時節です。







つきなかは さびらきまつる   
ゐなるかみ
 ミカサフミナメコトのアヤ


サビラキマツリ【ウツキナカ:西暦二〇一九年旧暦四月望・西暦五月十九日】
サ(南)のヲシテは、太陽の恵みが広い大地にもたらされ、行き渡るイメージ。
太陽が一番高く昇る方角、ミにナミ享ける南、サビラキ(早苗開き・南開き)のお祭りをします。
田植えに必要な雨が、この時期に十分にもたらされる、
サミタレ(五月雨・梅雨)の恵みへの感謝の行事です。
お供えはフキの葉で包んだ豆ごはん。
フキは抗酸化作用もある身近な薬草です。
三重県の郷土料理「蕗俵」(ふきだわら)は、豆ご飯を蕗の葉で包みます。
田植えの時期に行う農耕神事では、田の一角に蕗俵を御供えし、豊作を祈願するそうです。





つきすえは あおひかつらの
メヲまつり 
  トシウチニナスコトのアヤ 


アオヒマツリ【ウツキスヱ:旧暦四月末・西暦二〇一九年六月二日】
縄文のアオヒマツリはウツキスヱ、盛夏(夏至)へと向かう準備のメヲマツリ。
イノチの源、メヲを讃えるお祭りです。

ヲ(温・陽)の象徴に「アオヒ」を奉ります。
葉に滴りくる雨(サツユ・サミタレ)に活き活きとしています。
 ア・天空に、オ・成り固まり、ヒ・開き来る。

メ(冷・陰)の象徴は、秋に実ってゆく力を貯め込んでおこうとする配慮から、
「カツラ」をお祭りします。
  カ・赤くなる秋の要素が、ツ・集まって、ラ・下の方に広がっている。

※京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の大祭、葵祭は、
 西暦五月十五日ですが、明治の改暦前は旧暦四月の中の酉の日に行われていました。


「アオヒマツリ」には、ホツマツタヱに逸話も綴られています。
十代アマカミ・ニニキネさまは、灌漑用水による京都の新田開拓の際、
災害をもたらす雷雨を火と水に分け、人の役に立つようにコントロールできるようにと、
火のカミは雷の害を防ぐため、「愛宕神社」に祀り、
水のカミは水害を防ぎ利水をはかるため、「貴船神社」に祀りました。
アマテルカミはたいそう喜ばれ、ニニキネさまに『ワケイカツチ』の讃え名を賜りました。
京都上加茂神社のご祭神です。

さて、時は十一代アマカミ・ホオデミさまご即位の際、
御后トヨタマヒメさまが、産屋の屋根の吹き合わせず状態でお生まれになったのが、
ウガヤフキアワセズ、十二代アマカミとなるカモヒトさんです。

ホオデミさまが皇位を継がれたのちも、ミヤコに上がろうとしないトヨタマヒメ、、
トヨタマヒメは、身重の身体で難破した船から岸まで自力で泳ぎ着いたことを恥じ、
また、産後の養生で寝転んでくつろいでいる姿を夫に見られてしまったことを恥じて、
ツクシの郷へ帰ろうと、貴船神社に居られました。
皇位を譲られたニニキネさまはオオエキミとなられ、
貴船神社のトヨタマヒメのもとへ訪れ、

「アオイの葉」(ヲの象徴)と「カツラの葉」(メの象徴)を携えて、
どちらかがかけているのではありませんか?とお尋ねになりました、、。

養生の室をのぞいたのはホオデミの恥じで、あなたの恥ではありません。
難破した船より海に落ち、自力で岸まで泳ぎ着いたことは立派な事で恥ではありません。
初代クニトコタチさまからの連綿と続くアマカミの御子を守らんとした、
健き(たけき)心をお褒めになり、
大切なことには執着し、つまらぬことから離れる、、
ツク・ハナルの教えに、トヨタマヒメをおさとしになられました。

後に、ニニキネさまはツクシ高千穂に向かわれ、
高千穂峰でカミアガリなさいました。
中腹の霧島神宮でお祭りし、
トヨタマヒメがワケイカツチのミヤ(上賀茂神社)でお祭りし、
ホオデミさまが都のミヅホのミヤ(琵琶湖東南岸)でお祭りしました。
喪があけて、ホオデミさまはトヨタマヒメに和歌を届けました。
トヨタマヒメは「アオヒ」と「カツラ」の葉を添えて返し歌を詠みました。
迎えの輿にのり、トヨタマヒメはミヅホのミヤにお輿入れです。
京都上賀茂神社の葵祭りは、ニニキネさまの教えの様子を現在に伝えるお祭りです。


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