子供が増えたり、引っ越したり・・・・・・
ライフステージが大きく変化するごとに
或いは、カミさんの声が大きくなったりするごとに
新たな荷物が増え、代りに、これまでのものを捨てざるを得なくなる。
取捨選択。選択と集中。
などなど・・・・・・簡単なようで簡単ではない。
愛着、偏愛、狂気などの明快な軸がない限り、
取捨選択も、選択と集中も、私生活においては説明不能だ。
私生活だけでなく、世紀を超えるロングセラーブランドでも同じだと思う。
合理的な説明抜きに
この1冊の本は、いくつかの変遷を乗り越え、捨てることが出来ずに生き残っている。
中野孝次著 ブリューゲルへの旅
表紙:農家の婚礼(1568年、ウイーン大学美術史美術館所蔵)
1976年に初版が発刊され、1977年7版を購入している。
30年間も捨てずに持っている唯一に近い本だと思う。
何故、捨てずにいたのだろうか?
30年後のいま、読むためにとっておいたような気がする。
中野孝次氏は、この作品で、日本エッセイストクラブ賞を受賞し、
51歳から評論家・作家として登場してきた。
中野孝次氏の終生の想いは、1枚の絵から始まったようだ。
それは、
ブリューゲルの『雪中の狩人』との出会いだ。
(出典)Wikipedia
ブリューゲルは、1525年(?)フランドルというオランダ南部・ベルギー西部・フランス北部にまたがるところで生まれた。といわれている。
このフランドル地方は、英語読みではフランダースであり、
毛織物産業が栄え、当時の商業・経済の最先端地域であるとともに裕福な地域でもあった。
この経済力を背景に文化も活発化した。
そんな繁栄の都市で、ブリューゲルは、農民の生活を描き続けた。
中野孝次氏は、『雪中の狩人』に出会い、
「ここがお前の帰っていくべき場所だと語りかけてくるようであった。」
と書き留めている。
そして、
「そこにあるのは厳しい冬の自然の中の生の営みである。・・・・(中略)・・・・・
私はそれまでこんな絵を見たことがなかった。・・・・・(中略)・・・・
わたしはその前で自分自身の半生と(わたしはそのとき41歳だった)会話していることを発見したのである。」
と。
ブリューゲルの絵は、中野孝次氏の内面を写しだす鏡だったのかもわからない。
そして、
この本は、私のブリューゲルの旅へのガイドブックとなるはずだ。
そんな予感が、30年も前にあったのだという気がする。
『雪中の狩人』の最初の啓発は、
小学校までは、大雪となると絵と同じような白の世界になってしまい、
陽射しがちょっと出ると、雪がとけ、こげ茶色の木々の地肌が顔を出す。
そんな既視感があリ、違和感のない世界であった。
むしろ、中野孝次氏同様に、ブリューゲルを飽きるまで見てみたい。
と思うようになって来た。
その前に
乃木坂にある国立新美術館で、『フェルメール展』が開催されており、
これをまず見なければ・・・・。
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