その6:フェルメールのこだわり “フェルメールブルー”
フェルメールは、青と黄色の組み合わせを愛した。
『牛乳を注ぐ女』 『真珠の耳飾りの少女』 『恋文』などは、
青と黄色が最も目立つ使われ方がされており、
それがゆえにか、際立ったオーラを発している。
国立新美術館で見た『牛乳を注ぐ女』の大きさは、45.4×40.6cmと決して大きくないが、
ライトに照らされた絵は、
黄色の上着が窓からの光りを受けてキラメキ
スカートの上にかけている青のエプロン的なものが、黄色の上着を際立たせている。
フェルメールが愛した青を、
“フェルメール・ブルー”というそうだが、
フェルメールの死後、
相当な借金が残った原因となっているほどとても高価だったようだ。
このブルーの原料は、“ラピスラズリ(lapis lazuli)”という鉱物で、
古代ローマの植物学者プリニウスが「星のきらめく天空の破片」と
表現するほどの美しい宝石で、
ツタンカーメン王の黄金のマスクの鮮やかなブルー
現代でも、トルコ石とともに12月の誕生石として使われている。
この鉱物をすりつぶし、溶液で溶かし、植物油脂でといたものが
“ウルトラマリンブルー”で、通常の青い絵の具の100倍の値段だったそうだ。
フェルメールは、この高価な“ウルトラマリンブルー”を下地に使うなど
隠れたところでも使用しているというから借金が残ったわけだ。
“フェルメールブルー”との因果関係は確認できなかったが、
フェルメールが生まれ育ったデルフトは、白地に青模様の陶磁器が有名だ。
この青を”デルフトブルー”という。
デルフトブルーコーヒーカップ
デルフトでの陶器生産は、16世紀にイタリアから陶器の製法が伝わり、
1603年オランダ東インド会社が設立されることにより、中国から磁器が伝わり、
独特なデルフト焼きが出来上がった。
フェルメールの活躍と時期を同じにし、“ブルー”へのこだわりが
今日でも価値を高めている。
しかも、デルフト、フェルメールのブルーへの影響・貢献は
アジアであった。
デルフトブルーには、中国の磁器が、また絵柄には日本の伊万里焼が
フェルメールが愛したブルーの原料は、アフガニスタンが産地であり、
海を越えてきたブルーだから“ウルトラマリンブルー”といわれた。
大航海時代の先端情報・技術がオランダに集まり、
フェルメールは、この基盤の上で、光と構図と絵の具とで
写真かとも思うリアリズムで対象を捉え、
生き生きした人間を色っぽく描いている。
レンブラント(1606年―1669年)は、フェルメールよりちょっと先輩に当たるが、
暗黒に一筋の光を描くことが多く、重く・苦しい呪縛を感じる。
17世紀を代表する画家二人が同時期のオランダで活躍し、
経済の成長発展は、その上での文化の大きな花を咲かせるという
社会科学的な原則が働いている。
フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
その2:近代資本主義の芽生え
その3:遠近法は15世紀に発見された!
その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生
フェルメールは、青と黄色の組み合わせを愛した。
『牛乳を注ぐ女』 『真珠の耳飾りの少女』 『恋文』などは、
青と黄色が最も目立つ使われ方がされており、
それがゆえにか、際立ったオーラを発している。
国立新美術館で見た『牛乳を注ぐ女』の大きさは、45.4×40.6cmと決して大きくないが、
ライトに照らされた絵は、
黄色の上着が窓からの光りを受けてキラメキ
スカートの上にかけている青のエプロン的なものが、黄色の上着を際立たせている。
フェルメールが愛した青を、
“フェルメール・ブルー”というそうだが、
フェルメールの死後、
相当な借金が残った原因となっているほどとても高価だったようだ。
このブルーの原料は、“ラピスラズリ(lapis lazuli)”という鉱物で、
古代ローマの植物学者プリニウスが「星のきらめく天空の破片」と
表現するほどの美しい宝石で、
ツタンカーメン王の黄金のマスクの鮮やかなブルー
現代でも、トルコ石とともに12月の誕生石として使われている。
この鉱物をすりつぶし、溶液で溶かし、植物油脂でといたものが
“ウルトラマリンブルー”で、通常の青い絵の具の100倍の値段だったそうだ。
フェルメールは、この高価な“ウルトラマリンブルー”を下地に使うなど
隠れたところでも使用しているというから借金が残ったわけだ。
“フェルメールブルー”との因果関係は確認できなかったが、
フェルメールが生まれ育ったデルフトは、白地に青模様の陶磁器が有名だ。
この青を”デルフトブルー”という。
デルフトブルーコーヒーカップ
デルフトでの陶器生産は、16世紀にイタリアから陶器の製法が伝わり、
1603年オランダ東インド会社が設立されることにより、中国から磁器が伝わり、
独特なデルフト焼きが出来上がった。
フェルメールの活躍と時期を同じにし、“ブルー”へのこだわりが
今日でも価値を高めている。
しかも、デルフト、フェルメールのブルーへの影響・貢献は
アジアであった。
デルフトブルーには、中国の磁器が、また絵柄には日本の伊万里焼が
フェルメールが愛したブルーの原料は、アフガニスタンが産地であり、
海を越えてきたブルーだから“ウルトラマリンブルー”といわれた。
大航海時代の先端情報・技術がオランダに集まり、
フェルメールは、この基盤の上で、光と構図と絵の具とで
写真かとも思うリアリズムで対象を捉え、
生き生きした人間を色っぽく描いている。
レンブラント(1606年―1669年)は、フェルメールよりちょっと先輩に当たるが、
暗黒に一筋の光を描くことが多く、重く・苦しい呪縛を感じる。
17世紀を代表する画家二人が同時期のオランダで活躍し、
経済の成長発展は、その上での文化の大きな花を咲かせるという
社会科学的な原則が働いている。
フェルメールとその時代のオランダ
その1:フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展
その2:近代資本主義の芽生え
その3:遠近法は15世紀に発見された!
その4:リアリズムを支えた技術、カメラ・オブスキュラ
その5:プロテスタンティズムと風俗画誕生
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