モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

その13 フェルメール展:エサイアス・バウルス『中庭の女』

2008-12-12 09:44:44 | フェルメール

1枚の絵葉書が届いた。

その絵葉書は、年末の挨拶だったが裏にある絵は、
東京都美術館で開催されているフェルメール展で、気になった絵二つのうちのもう一つだった。

その絵は、エサイアス・バウルス(Esaias Boursse 1631–1672)が描いた『 中庭の女 』だ。


(絵葉書) エサイアス・バウルス 『中庭の女』(作1660年頃)ボイマンス美術館蔵

なんとおしゃれな年末の挨拶だろう。
達筆なのか、へたなのかよくわからない自筆で書かれており判読に苦労したが
おしゃれさに免じて許してあげたくなってしまう。
いや失礼、センスのよさに感心してしまった。

ただし、このセンスのよさは私しかわからない可能性もある。
或いは、フェルメール展を見に行って、“気になった絵”として意識している人だけかもわからない。

日常という物語が語られている絵
何ということもない絵であり、
中庭に面したベランダで老女なのか熟女なのかわからないが、女が洗濯をしている。
或いは大根を漬けているのかもわからない。(?)
目の前の手すりには洗い終えた赤い布か或いは腰巻が干されている。(ちょっと短いか?)

ベランダの下にはペンペン草が生えており,左側のレンガ壁は薄汚れ始めている。
立派ではないが、貧しくもなさそうな一家の生活のワンシーンが描かれている。
部屋の中に一歩はいると・・・・といったシーンが浮かび上がりそうで、
ここから物語が始まりそうだ。

この絵は、豊かではないが貧しくもない一家の日々の労働、家事を描いた一枚であり、
勤勉・誠実・清潔な一家のありふれているが一つしかない物語が描かれている。

1660年に描かれているが、この時期では“売れないだろうな~”とも思う。
画家は描きたいものを描く。
しかし次の絵を描くためには、食って寝て絵の具代と取材費が必要だ。
売れなければ次の絵がかけなくなる。

1600年代の100年は、オランダが世界の海を支配した時期であり、
世界の物資がオランダを経由し、豊かな市民(実業家、商人など)が出現した。
彼らは、事務所、市庁舎、公共の建物、自宅である邸宅に飾る絵を求め、
宗教画とは異なる実世界のリアリズムを絵に求め写実主義絵画が勃興した。

これ以前の絵の買手は、王侯貴族・教会だったので、新しい芸術が誕生するのは当然としても、
バウルスの絵は、あまりにも今的で売れ線から外れている。と思う。

フェルメールには華があるが、バウルスには影がある。
フェルメールは、ハイソ(High societhy)に好まれる贅があるが、バウルスは余分なモノがなく素あるいは貧だ。

フェルメールにはあった、壁にかける絵・地図、テーブルに置く置物・楽器など
絵を構成する高価な嗜好品がなく、たった一つの生活必需品しか描かれていない。
ここに同世代のバウルスとフェルメールとの違いがありそうだが、
『中庭の女』とフェルメールの『小路』、何故かダブって見える。

似ている。双生児のようだ。

フェルメールは、誰に師事し絵を学んだかよくわかっていない。
前回その12で、10歳年長のカレル・ファブリティウスから影響を受け
対象をリアルに捉え心を描く「写心」を学んだのではなかろうかと推理した。

そして、光と影の描き方は、同世代のライバル、バウルスからも学んだのではないかと思えてならない。
その上で違いを、バウルスよりは、明るく、上流志向で、高価な絵の具を使い目新しい色彩で創った
と思えてならない。

フェルメールは、バウルスからもっと重要なことを学んだような気がする。

Boursse, Who are you ?
バウルスは、アムステルダムで生まれたフェルメールと同世代の画家で、
イタリアで絵の勉強をしたという以外あまり知られていない。
とにかく貧しかったようだ。
いつの世も芸術家は本業で飯が食えないのが当たり前で、パトロンと呼ばれる支援者がいなければアルバイトなどをやって食いつなぐ必要がある。

彼は、オランダ東インド会社の艦隊付け画家の道を選び、1661-1663年はスリランカに航海し、
ケープ、喜望峰、スリランカなどの街の景観や人々を描いたようだ。
そして、2回目の航海の1672年に船上でなくなった。

バウルスは、大きな宿屋を営むような裕福な父も、愛してくれる妻も、財政的な支援をしてくれる義母も、子供たちも、何もなかった。
ただあるのは、対象をリアルに見つめ、そこに物語を埋め込むだけの情熱だけだったのかもわからない。

写実的な絵画はそれだけで新しく価値がある時代に、写実だけに止まらず感情・心を描き、
さらには読み解く楽しみがある物語を埋め込んだフェルメールが後世に評価されるのは当然だろう。

そのキーコンセプトを教えたのではないかと思われるバウルス、
彼の『中庭の女』にある赤い布(腰巻)は、全てを消したがゆえに目立ち、
ここから物語が始まるような気がする。


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