2000年 オーストリアに行きました。 今まで鉄道模型ツアーで行っていたのですが、今回は実質上初めての一人旅。
そして、ツアーはメッセの関係で2月だったので、見る景色が木も草も枯れて土色の世界か、雪景色だけでした。皆んなで言っていた言葉が、総天然色の世界を見てみたいね、という事でした。
そこで、木も草も緑の季節、7月に行きました。 56歳の時です。
オーストリアはどこかと、テレビのクイズで見ると、まあ、若い芸能人は殆ど全員と言って良いほど知らない。
日本からオーストリアの地図です。 左の緑がオーストリアで、スイス、ドイツ、ハンガリー、イタリアなどに囲まれた小さな国です。
でも、ウイーンとかモーツアルトの名前は知っているでしょう。 そういう有名どころの国なんです。
では、私の目的は
多分、このヨーロッパSLの旅で見た、ツィラータール鉄道を見たい! です。
実はこの鉄道
昭和51年に出た、鉄道模型趣味別冊、ナローゲージモデリングの表紙裏から数ページ、ツィラータール鉄道が載っていたんですけれど、まだ若かった私は海外の鉄道など全く興味はなく、そんなところに行けるなど、夢にも思いませんでした。
それが、今、自分の気持ちで行くことになった。
そうなんです、長年のうちに気持ちが変わって行きたくなったら、なんとしてでも行けると思うんです、そこで、インターネットでホテルを予約して、HISで飛行機のチケットを購入して、いよいよ出発です。
オーストリアの地図です。 右隅にウイーンがありますが、関西空港からの直行便でウイーンにゆく。 そこで、飛行機を乗り換えてザルツブルグに行き2泊、そこから鉄道でインスブルックにゆき3泊してツィラータール鉄道ほか、近くを回る。そして、インスブルックから飛行機でウイーン経由で日本に帰るという行程です。
ウイーンからザルツブルグまでは小さな飛行機。 多分スチュワーデスに撮ってもらった。
ザルツブルグ空港到着 18:30で薄暗くなりかけている。 ザルツブルグの街はあの山の方だろうか?
空港の建物です。 さて、この中で、円をオーストリアシリングに変えなければならない。 そこで、換金所に行くと閉まっていた。 まだ、そんな遅くないのに。 これではタクシーに乗れない。 困った。 小さな空港なので店も少ない。 どうしたのか忘れたけれど、なんとか換金して、タクシーに並ぶ。 来た車はトヨタのランドクルーザーだ。 これがタクシーなのだ、驚きながら、予約していたホテルに到着。 タクシー代は円換算で1600円とメモしてあった。 案外安かった。
ホテルはここ。 翌朝撮ったので雨だったのだが、着いた時にフロントで「景色が良い部屋がありますが、そちらに変えますか?」と聞かれた。 「エクストラフィーが要るのですか?」「そうです」「じゃあいらない」 うっかりすると高い部屋を勧められるのでまずは断ったのでした。
さて、朝、雨でしたが、まずは翌日インスブルックに行く特急の予約を取りにインスブルック駅にバスでゆく。
今回は、鉄道はほとんど使わないので、ユーレイルパスなどは持っていない。いちいち切符を買うことに。
ミラベル宮殿。 庭が綺麗だ。 こうやって花を植えてあるんだ。 帰国後私も花壇の花をこのようにぐにゃぐにゃ曲げて植えるようにした。
庭は立派で、写真はいくらでも写したいが、なにせフィルムカメラなので、あまりたくさんは撮れない。
さて、ここで、夜ピアノコンサートがあることがわかった。 よし、聴こう、チケット売り場は?
これがわからない、庭の中を周り、建物の中にも入って販売所を探すが、見つからない。職員に聞いても知らない。
諦めようと思っていたところに、何か探しているのですか?という日本語の声が聞こえた。 若い男女が声をかけてくれたのだが、チケット売り場を探していると言うと、宮殿の外で売っていますよ、とのことで、外の出店みたいなところでチケットを買うことができた。 ありがとう。
ミラベルの横は川だ。 見たことがあるいかにもザルツブルグという景色だ。 多分「サウンドオブミュージック」のポスターででも見た景色だろう。
そして、この橋を渡って歴史街に入る。
細い路地は人がいっぱいだが、上の看板がすごい。
いろいろな看板が並んでいる。
格好良い看板だ。
旅行書におもちゃ博物館があると書いてあったが、この建物のはずだが見つからなかった。
赤い牛やビールの看板がある。
この辺りの、レストランで昼食を摂る。 ビールを頼んで飲んでいたのだが、少し離れた席の人がビールのジョッキを持ってキョロキョロしている。 実は乾杯をする人を探しているのだ。 ドイツでもそうだが、ビールを飲むときは誰でもいいから近くの人とカンパーイと言ってビールを飲む習慣のようだ。 そこで、私が相手をして、カンパーイとやって、その人は飲み出した。
向こうの人は日本人よりもずっとフレンドリーだなと思ったのでした。
帰国後、私が作ったウイーンチロル鉄道です。 ザルツブルグのつもりです。
ビールの看板や赤い牛もいます。
まだまだ、ザルツブルグは続きます
つづく