昭和レトロ情景館、レイアウトの見学を終えて1階に降りてきました。
ここには、軍艦や飛行機が展示されています。 空母? 下は大和
正面には一際目を引く大きな軍艦が。 長門です。 大きさは両手を広げたくらいあります。
主人が出てきたので聞きました。
「これって、木で作ったのですか?」
『真鍮製です』 一斉に「え〜〜〜」
『0.3mmの真鍮を半田付けして作りました』 「ええええ〜〜〜〜〜〜」「骨の板は?」
『1mmの真鍮板を使いました』 『電動糸鋸で切って船の断面の形にして』
「すご〜〜〜」
『水に浮かべた時に、吃水まで沈む様に、そこにコンクリートを流し込んでいます』
「え〜〜〜〜、そんな事までしているんですか」
『ラジコンで動きます』 「どひゃ!!!、 動くんですか・・・・・・・」
もうちょっとよく見える様にと、照らしてくれました。
艦橋が良く見えます。 細かく作ってあります。
いや〜 恐れ入りました。
改めて、この船体、真鍮板で作ってあるんですよ。
もちろん、他の船も飛行機も作っている。
我が仲間も鉄道模型以外、車やこういうものにも興味があって、タイタニックがあるとか飛行機は零戦か紫電改か、などなど。
建物を出てからも、長門は金剛とどうのこうのなど話がつきません。皆、子供の頃、戦艦など作っていますからね。
私も長門には思いがあって、大和ができるまで旗艦だった。 大和は秘密裏に作られたので、国民は大和を知らなかった。 だから長門を先頭に艦隊を組んで進む姿が目に焼き付いていた、まあ写真ですけれど。
艦隊は各船が1kmぐらい離れて並んでゆくのですが、その速度を合わせて前に追い付かない様にとか離れない様にとか、何せ図体が大きく、簡単に速度調整ができないので、艦隊を組むのは難しかった様です。 DCCで加速、減速率が小さな車両で前の車両と一定間隔で走るのが難しいのと同じです、と、ちょっと鉄道模型ネタを入れたりして。
ネットから画像を拾うと、右端が長門だそうです。
こうやって、進む姿はすごいのですが、太平洋戦争でほとんどの船は沈められて、長門は生き延びたのですが、燃料がない。
戦前に大金持ちの奥さんが海軍にお金を寄付したいと言ったそうですが、海軍の将校が「奥さん、大金持ちだとは思いますが、奥さんが大金を寄付されたとしても軍艦を東京から大阪まで航行する燃料費にもならないので止めておきなさい」と言ったそうな。 個人の寄附程度ではとても追い付かないぐらい大量の重油が必要だったのです。
それぐらい燃料を使うので、戦争末期には軍艦はほとんど動かない。 長門はそれまでの戦いで傷んでいたこともあり、横須賀に係留のまま、大砲も外されて、港の守りに陸に設置されたり、もう戦艦としての機能はない。
そして、終戦。 長門はアメリカ軍に引き取られて、なんと、ビキニ環礁での原爆実験の時の耐久テストの役割をさせられ、1回目の原爆には耐えたもののその後沈没して海の藻屑となったのでした。 なお、この時には日本海軍の他の船も同じ運命でしたが、アメリカ海軍の古い船も同様に実験台になっています。
つづく