先般、竹中氏が国会質疑の中で構造改革を行うと何故“景気“が良くなるか?と言う質問に対し“セーの法則があります“と答えたと言う事を紹介しましたが、しかし、そこで問題になるのは世情言う所の“セーの法則“なるものが一体なんであるかについて、余り検討されておらないのでは?又通説的に言うようにセーは果たして、“供給は需要を生む“と言ったのかと言う事ですが、これに付き、吉田静一他編“経済学史“(S60年発行)によれば、その“経済学概論“の生前の最終版で“生産に於ける限界“を認めとされます。p134(概論自体は6版まで出版された)因みに吉田静一氏は日本に於けるフランス経済史の権威の一人でありますが 同署を引用すると
”ところで、セーはこの販路説を[重要な真理]と自負したにもかかわらずそれをシスモンデイやマルサスの批判から守る事が出来ず、生前の最終版では、販路の章の末尾で生産の限界を認めざるを得なかった。生産における諸困難はある点を越えると急激に大きくなり、生産物の使用から生ずる満足を間もなく超える事になる。そうなれば生産物の効用は費用を償わなくなり、生産は停止する、と言うのである。セーの後退はこればかりでない。必需品に対する欲望を充足した後の、消費者の欲望は次第に差し迫ったものでなくなり、それを満たすために犠牲を払う事は徐々に少なくなることも彼は認めた。こうしてセーは、生産に限界があることを認め、販路説の破綻を露呈する結果になった。”
注)セーの”経済学概論”は6版まであり、初版は1803年、生前最終版は1826年、6版は1841年であり、因みに1825年にイギリスを中心に激しい恐慌が発生した。
一般に日本の経済学学会は伝統的にマルクス派の影響か独語方面は一般的ですが、特にフランス語系統は余り充分とは言えず、経済史においてもフランス関係はやはりやや弱いようです。そういった事からこの様な“通説“理解が生まれているのではと思われます。現在のように温暖化が重要問題になり、単に“景気が良くなれば“と言うような立論はもう認める事は出来ません。やはり、全体の産業構造を消耗的でないものに変換して不要不急な部門の縮小と、必要な場合は全体の縮小再生産でも雇用を維持できる方向に例えば欧州でも成功しているように、ワークシェアリング等も取り入れ、今世紀の時代的要求に合った経済構造に変換する事が愁眉の課題になっているのではないでしょうか?