天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

話術と態度(アティチュード)…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-06-28 08:02:21 | 日本語学習法
 
少々昔の話になります。
 年配の方ならご存じ、声優の徳川無声さんを知る人が少なくなりました。
 私の少年時代には、無声翁が独特な節回しで語る「宮本武蔵」が始まると、ラジオにしがみつくようにして、耳を傾けたものでした。
 その無声翁が、生涯に只一冊、「話術」という著書を書いています。
 この本を読みますと、「話術は“間術”なり」とか、「間(マ)とは、動きて破れざるバランスなり」・・・など、名人といわれた無声翁の、“ことば”に関する数々の名言を見ることができます。
 この著書の発行は、昭和24年。かなり古い本ですが、名著として評判でしたから、今でも図書館で読むことが出来ると思います。
 
 その中に、こんな一節があります。
 ーーー雄弁術の神さまデモステネス(紀元前三百年ごろのギリシャ人)が、或る時、彼の雷名を慕って遙々訪ねて来た人から、
 「先生! どうか雄弁術の秘訣を教えて下さい。」
 と云われて、次のように答えた。
 「折角のお出でだから、虎の巻をお教えしましょう。雄弁術の大家になるには、何よりもまず、自分の態度に注意することが肝要です。」
 「なるほど。その次には何が肝要でありましょうか?」
 「態度に注意することです。」
 「いや分りましたが、その次は何が?」
 「態度に注意することです。」
 (中略)
 これも、或は後世のツクリ話かなと思われるが、然し、立派に真理を含んでいる話だ。 とかく世人は、雄弁と云うと、ただお喋りが上手ならよろしい、と考え勝ちである。
 それをデモステネスは、根本的の戒めとしているのだ。(白楊社)ーーー

 ここで無声翁の云う“態度”とは、英語で言えばアティチュードでしょうか、対話へ参加する姿勢を言っているのですね。
 「肝要なのは態度だ。いや態度に尽きる」というデモステネスの“ことば”は、無声翁にしても、同じ思いだったのでしょう。
 「釣はフナに始り、フナに終る」という“ことば”もありますが、講演やインタビューならずとも、対話に参加するベーシックな姿勢として「対話は態度に始り、態度に終る」それくらい大切な要素なのだ、と言いたかったのでしょう。
 
 要するに、“肉声の対話”は、その中身であるメッセージそのものよりも、メッセージを届けようという態度・姿勢・想い・・・と言った人間の表情・物腰に至るまでの総和が大切なのであるということではないでしょうかね。
 
 こうしたメッセージを包むエネルギーが、+にせよ−にせよ、対話する人間と人間の間にあることが、話す・伝えるーーー聴く・受け取るというメッセージ交換の主役なのだ。そうかんがえるべきだと、私も思うのです。
 「阿吽の呼吸」もそうですし、「つーかーの仲」だってそうでしょう。

 コレが、マイナスに働けば、「木で鼻をくくる」「他人事のような答弁」・・・と、昨今の国会での“目を覆いたくなるような無惨なコミュニケーション劇”を見るにつけ、憤りを通り越して、悲しくなるのは私ばかりでしょうか。
 無声やデモステネスが生きていたら、なんと言うでしょうかね。

 このブログでも、折に触れて、こうした問題を取り上げてゆきましょう。

      ーーーーーーーーー来月に続くーーーーーーーーー


創造の神と神聖な蜂の会話…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-06-28 07:59:32 | ドーナツの宝
創造の神さまが、多くの植物や、動物を作ったあと、いよいよ、人間を創る作業をなさった。
 ようやく、男と女の形は完成した。



 神は神聖な蜂を呼んだ。
 「さて・・・」と神は、まだ考え込んでいる。
 蜂は、神の考えがまとまるまで、ジッと根気よく待った。
 
 やがて、神は言った。
 「ここに、人間の男と女がほぼ出来た。さて、それぞれの心に、何を足してやったらよいかを考えていたのだよ。
 私は、男には、敵と闘う荒々しい力と、弱いものをいたわる優しい心を授けようと思う。
 そして、女には、敵から我が子を守り抜くたくましい力と、我が子をひたすら慈しむ力を加えてやることにしよう」
 
 蜂は言った。
 「それでは公平ではないと、不平を言うモノが出ましょうね」
 神も頷いた。
 「仕方あるまい」
 蜂は飛び上がり、神秘の花園から、まず“あらあらしい力”のエキスを採って帰ってきた。
 神は迷わず言う。
 「そのエキスは男の方に」
 蜂は、男の唇に一滴を注いだ。
 「さ、こんどは“子供を守る力”を、女の唇にたのむ」
 蜂は、忠実にそれを実行すると、聞いた。
 「今度は“優しい力”を男にですね。女にではなく」
 「そうだ。男の唇に“優しさ”だよ」
 蜂は、それを忠実に実行しようとした。
 「ちょっと待ってくれ、あ、結構、やはり、それは男にだ」
 神は、少しだけ迷われたのだ。
 蜂は、最後のエキスを採りに花園に出掛けた。
 神は、珍しく深く、お迷いになっているらしい。
 蜂は、最後の“慈しむ力”を持って帰ってきた。
 そのとき神は、決断した。
 「蜂よ。そのエキスは、半分づつ男と女に与えてくれ」
 蜂は、“慈しむ力”を、半分男に、半分女に与えると言った。
 「男の方が二滴と半、女の方が一滴と半、これでは違いすぎます・・・」
 神は呟いた。
 「公平ではなかろうが、全く同じものを与える訳にもいくまい・・・よし、それでは女に慎む力と、厚かましい力を半滴ずつ入れてやろう」
 

 聖なる蜂が仕事を済ませると言った。
「神よ。どのような力をお与えになっても、人間が神でない以上、その力を、神の思し召し通りに使う保証はないと思いますがね」
 神も、同じ思いだった。
「人間がどのように、その性(サガ)を育てようと、それは、人間の器量次第ということだろうな。しかたあるまい」

 そう言って、男と女を、地上にお下しになったのです。

ーーーーーーーおわりーーーーーー