天津ドーナツ

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本当の自尊心の大切さ…〈今日のピークパフォーマンス方程式〉メールマガジンより

2011-10-16 17:49:32 | 顧問・アドバイザーから
<今日のピークパフォーマンス方程式>

【 自尊心を大切に(その3) 】

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■一昨日、昨日と、


 自尊心が高ければ高いほど
 成長志向、向上心の原動力となる、
 
 不遇な状況にあっても奮起し、再起するための
 モチベーションをもたらしてくれる、

 
 そんな話をしておりました。
 
 
 今日もこのテーマで考察をし、
 まとめに入りたいと思います。
 


■一時的に恵まれない、報われない状況に
 陥ったとしても、
 
 自尊心の高い人はそれをバネにする
 ことができます。

 
 つまり、目標や、
 本来自分はこうあるべきだというイメージと
 
 現状とのギャップが耐え切れないほどに
 大きくなり、その不満が

 「健全なやる気」

 につながってゆくのです。
 
 
 
■しかし、自尊心が低いと、


 「こんな自分だから、
  こうなってしまったのも仕方ない」
 
 「私はこの程度の、これくらいの人間なんだ」

 
 と思ってしまい、
 
 そこで踏みとどまることも、
 逆境から抜け出そうとすることもなくなります。

 
 結果として、当然再起することはできず、
 ずるずると後退していくことでしょう。



■このメルマガでは、何度も、

 
 ▼「やり方」よりも前に「あり方」
 
 ▼「術」よりも前に「道」
 
 
 というお話をさせていただいておりますが、

 この自尊心というのは

 「あり方」であり、
 「道」の範疇である、
 
 という言い方もできるとか思います。
 
 
 
■まず大事なのは


 「あり方」や「道」(自尊心)
 

 であり、その上で
 

 「やり方」や「術」(方法論)
 

 が問題になってくるわけで、
 

 逆にいくら「やり方」や「術」、
 
 すなわち知識やスキルやノウハウを
 磨いたとしても、
 
 肝心の「自尊心」が低ければ
 それを役立たせることができないのです。



■決して

 「やり方」や「術」

 を否定しているわけではなく、

 それらは成果を上げるために
 必要不可欠なものなのですが、

 「ものには順序、順番がある」
 
 ということをお伝えしたいと思います。

 
 今日も人生とビジネスを楽しみましょう!

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知識やハウツーばかり詰め込み、その実、本物の自尊心がなく、

「空威張り」「卑屈」のどちらかしか選択できないのだとしたら、

待っているのは「困難に遭うたびに後退する」という現実です。



同時に、「前に進みたいと思っている、本当の自尊心を持っている人」は、

自尊心のない人と一緒に後退するのは嫌ですので、自然に離れていくことになります。

ことば”のスケッチ・ブック…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-10-16 10:05:39 | 日本語学習法
今日は、肩の凝らない話をしよう。
 ふっと耳にとまった“ことば”をご紹介する。
 
 * “言語道断”
 ある文化センターで、マスコミ志望の学生に講義をしているときのことだ。
 「では、今日はこれまで」と終わった途端、一人の女子学生が近寄ってきた。
 そして、真顔でこう言うのだ。
 「先生の今日のお話しは“言語道断”でした!」
 わしゃ驚いた。
 「うっ 何か変なことを言っちまったかね。女性を侮辱するようなことでも・・・」
 「え、あれっ わたしの言葉は・・・間違ってましたか?」
 「なんの話をしているのだね」
 「だって、あの “言語道断”って ほめ言葉じゃなかったんですか?」
 「おいおい 君は記者志望だろうが 言葉は命だぜ 生煮えの言葉を使わぬことだね」
 「はあ・・・」
 
 * まもなくしますと 
 ・私鉄の駅で電車を待っていた。拡声器のスイッチが入り、駅員がいった。
 「まもなくしますと2番線に〜上り〜熱海行きの電車が入りま〜す。白線の内側でおまちくださ〜い」
 待てよ。“間もなく”とは、間がないことだぜ、“しますと”ってのは余計じゃないかね。
 
 ・テレビを点けた。甲高い声のレポーターと称する女性が叫んでいたな。
 「考えられない大安売りです。この安さ!それも“駅からほどない所に”この市場!・・・
   
 * やってられないね
 ・あるチャンネルの女性司会者。ワインのソムリエと陶器の鑑定家が会話していた。
 ソムリエが、古陶器鑑定の奥深さに感じ入って言った。
 「いやあ どの道でも、プロになるということは、年月のいるものなのですね」
 鑑定家が言った。
 「そうですね。最低でも10年はかかると思いますよ」
 すると女性司会者が割り込んできた。
 「あのオ あたしは4年ですけどおー」
 ソムリエと鑑定家は顔を見合わせた。
 ・・・・
 言いに言えぬ間が生まれた。
 
 ・さらに話が進み、注いだワインの味をソムリエが問うた。
 目利きがワインを口中で転がし、考えながら言った。
 「そうですね。陶磁器になぞらえますと“華麗な明王朝時代の五彩(ゴサイ)のような味”とでも申し上げましょうか・・・」
 女性司会者すかさず割り込んで言った。
 「へええ これが二度目の奥さんの味なんですかあ・・・」
 二人の反応は、見るも気の毒だったね。
 
 * ご丁寧なア お敬語でエー
 ・犯罪が凶悪化する街の路上でアラフォーの主婦がインタビューを受けていた。
 胸の開いたブランドもののブラウスに、ネックレスが二重にぶら下がっている。
 カメラの焦点はぼかしてある。
 「ンーン・・・とてもオー最近はアー、ええ、ひどくてエー こないだなんかアーわ
 外人さんンッ 結局ウ そんときわア二人でエー 外人さんがア店に入ってこられてエ、あたしとオ 話をされているときにイ、もう一人のかたがア、ガラスの鍵のとこをオ、破られてエ、けっきょくウ、宝石をオ、大分持って行かれたみたいなんですよオー、んーン、二人組ってエ 警察は言ってましたけどオ・・・」
 
        ーーーー日本語の将来に栄光あれーーーー

知識・資格が役に立つとき…『致知る』メールマガジンからの転載です

2011-10-16 09:07:00 | 顧問・アドバイザーから
致知随想」ベストセレクション
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       「私の人生を拓いたもの」
       
       
            黒澤眞次(くろさわ・まさつぐ=イカリ消毒社長)

        
               『致知』2004年4月号より


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 昭和三十八年八月、事務所に電話が入りました。
 
 
 「大変です、爆発事故です!」。
 
 
 私と兄は取る物も取りあえずに
 現場の池袋のデパートに向かいました。

 その日、デパートは定休日でした。
 全館の消毒を依頼され作業をしていましたが、
 昼休みに一服しようとマッチに火をつけた瞬間、
 可燃性の殺虫剤に火が燃え移ったといいます。
 
 隣では別の業者がシンナーを使って塗装しており、
 そこに火の手が及び爆発。
 デパートの七、八階が全焼し、
 死亡者が出るほどの大事故となってしまいました。
 翌日の新聞には「戦後最大の大火災」の文字が躍りました。

 その前年、創業者である父が急逝。
 社員十五名程度の小さな消毒会社でしたが、
 二十二歳になったばかりの兄と私、
 十代の弟が力を合わせて運営してきました。
 
 それがまさかこんな事態になってしまうとは……。
 死んでお詫びしようか、それとも刑務所で罪を償おうか。
 
 いずれにしても、とにかく謝罪に行かなければなりません。
 
 翌日、兄と二人でデパートのオーナーの元を訪ねました。
 
 すると、


「起きてしまったことは仕方がない。
 せっかくお父さんが残された会社なんだから、
 二度と事故を起こさないように気をつけて頑張りなさい。
 
 君たちはまだ若い。
 世のため人のためになる仕事をしてほしい」


 と、責めるどころか、私たちを励ましてくださったのです。
 兄も私も溢れる大粒の涙を止めることができませんでした。

 その後、消防署や警察で事情聴取を受けました。
 そこで聞かれるのは、決まって
 「危険物取扱主任者」の資格の有無。
 
 恥ずかしながら、その時までそんな資格があることなど、
 まったく知りませんでした。
 
 他にも業務に必要な資格があるのではないかと調べてみたところ、
 実に多くの知識・資格が必要だったのです。
 
 結局、あの事故は無知が引き起こしたものなのだ。
 消毒の仕事は一歩間違えば人の命をも奪ってしまう。
 二度と事故を起こさないためにも、
 一所懸命勉強しなければならない、と切実に思いました。


 その日から仕事の合間を縫って資格試験の勉強を開始。
 翌年には社員全員が「危険物取扱主任者」の免許を取得しました。
 
 高校卒業後すぐにこの仕事を始めたこともあり、
 大学に行っていない分、自分は資格で他の人に追いつこうと、
 その後も一年に一つ資格試験に挑戦し、合格していきました。

 数年後、ある朝、妻と一緒に近所を散歩していた時、
 朝五時から「朝の集い」の看板に出合い、
 「どなたでもご自由に参加できます」
 との内容に興味を惹かれ、
 早速、好奇心から夫婦揃って集いに参加。
 それが倫理法人会へ入るきっかけとなりました。

 その席で、「朝を制する者が人生を制す」という
 丸山先生の言葉を聞いた時、
 以前軽飛行機操縦のライセンス取得で
 ともに学んだ上智大学教授の故・酒井洋先生を思い出しました。
 
 電気工学の工学博士でありながら、ヴァイオリンを弾き、
 中国語の通訳免許を持ち、書道の大家。
 
 ご著書『ナポレオン睡眠法』では、
 人間は三時間寝れば十分と主張し、
 ご自身も三時間の睡眠の後、明け方から
 勉強されているとおっしゃっていたのです。

 以来、私も早朝三時半に起床し勉強を続けてきましたが、
 思いのほか集中できることを実感しています。
 
 特に経営者にとって時間は何より貴重ですが、
 日中は会社内での仕事に追われ、
 夜は得意先とのお付き合いもあり、
 結局、経営者が自分のための時間を持てるのは朝、
 それも「朝飯前」しかないのです。


 私は早朝勉強に切り替えてから一年に二つの資格取得に挑戦し、
 現在は七十八の資格を有するまでになりました。
 
 社内にも「環境スペシャリスト制度」を導入し、
 現在在籍する六百五十名の社員たちは、
 平均して五つ以上の資格を取得しています。

 社員がそれぞれの知識を持ち合って相談すると、
 あちこちで融合化反応を起こし、
 次々と新商品に結びついていきます。
 
 例えば、殺鼠剤に慣れたネズミは抵抗性を持ってしまい、
 ちょっとやそっとの毒では死ななくなってしまいます。
 
 さあ、どうしようかと話し合っていると、
 栄養士の資格を持っている社員は、
 
 「人間もおいしいものばかり食べていると
  体の調子が悪くなるから、
  逆にネズミが喜んで食べて臓器を悪くさせる
  栄養剤がいいのではないか」
  
 と提案。すると他の社員は
 「脳震盪を起こさせ、その間に電気ショックを与える」
 「一瞬のうちに凍死させる」など、
 どんどん新商品のアイデアが出て、
 現在わが社では五百三十一もの特許を持つに至りました。

 資格を取る、勉強するということは、
 経営道、人生道に繋がると思います。
 
 学びによって気づきを得て、
 はじめてお客様が感動する商品を作れ、
 サービスができるのです。

 私は資格により実に多くの人との出会いがあり、
 気づきがありました。
 
 私の人生は
 
 
 「資格によって師に出会い、
  資格によって道理を尋ね、
  資格によって人生を拓いてきた」
  
 
 と思っています。
 
 七十八の資格のどれ一つとして無駄なものはなく、
 
 すべてが私の人生を豊かにしてくれました。
 本来ならあの事故で潰れてもおかしくなかったわが社が、
 いまこうして六百五十名の社員とともに
 増収増益を続けているのも、
 先に述べたデパートのオーナーの励ましと、
 「学ぼう、勉強しよう」という社風の賜物と思っています。

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日本語能力試験という資格は、おそらく、特許につながるなどの「自分・会社、そして社会のために役立つ何か」を

生み出す力にはならないと思います。

ですので、「能力試験」や「大学の定期テスト」がクリアできる範囲でしか勉強していない人は、

社会に出てから苦労すると思います。

この苦労と言うのは、「頑張っているのに幸せじゃない」と感じてしまうという意味です。

なぜなら、人は、自分の人生を自分でコントロールできていると感じることが、

幸せのひとつの要素だからなのですが、何も生み出すことができない人は、人に言われたことを言われたままにやっていくことしかできないからです。

母語レベルの低い人に翻訳の仕事はできない…日経ビジネスオンラインからの転載です

2011-10-12 05:11:09 | 日本語学習法
中国語小説などを日本語にする翻訳家の友人に聞けば、翻訳の仕事で一番重要なのは訳出するアウトプット言語のレベルの高さだそうだ。だから、一般に母語を訳出言語にする。日本人翻訳家は中国語作品を日本語に訳し、中国人翻訳家は日本語を中国語に訳出する。友人翻訳家ははっきりと「母語のレベルの低い人に翻訳の仕事はできない」と言う。

彼女も幼い子供を持つ母親だが、世間ではやる幼児期の英語や外国語教育には興味がなく、むしろ幼児の外国語教育は母語の発達の妨げになると考えているようだ。その根拠として、中国人で素晴らしい日本語を操る人、日本語で美しい文章も書けるような人はだいたい大学在学中か卒業後に日本に留学に来た人で、母語レベルが非常に高い人だ、という。

そう言って彼女が例に挙げるのは、在日の中国人紀行作家の毛丹青さんだ。確かに彼が日本語を習得したのは北京大学を卒業して何年か働いた後に日本留学してからだった。毛さんの日本的な端正な文章表現と日本人が見逃すような中国人の目から日本を見た新鮮な視点や感性がにじむエッセイや紀行文はファンが多い。私も大好きである。毛さんは中国語の随筆も発表しているが、中国語の文章は日本語で書く時以上にユーモアや余韻のある素晴らしいものである。

当たり前といえば当たり前だが、外国語で書く文章がうまい人は母語で書く文章はもっとうまい。いかに語学が堪能な人でも非母語は母語のレベル以上にいかないのだ。ならば、外国語を高いレベルで習得するためには母語のレベルをまず上げなくてはならない、だから幼児期に外国語を学ばせる時間があるなら、美しい日本語の文章をたくさん読ませたい、というのが友人の意見である。

実は友人翻訳家の言ったことと同様の話を前にも聞いたことがある。

元台湾人で日本国籍を取得した評論家の金美齢さんが ご自身の子育ての中で、母語・日本語を大切にするという教育方針を持っていたとおっしゃっていた。金さん自身は、台湾が持つ複雑な歴史のため、幼少期は台湾語、小学校では日本語、中学になって中国語が公用語だった。大学は日本に留学したものの英文学を専攻し長らく英語講師の仕事をしていた。

その経験を踏まえて「私の世代はどの言葉も中途半端な人が多い。幾つもの言語を同時に習得すると中途半端になる」と語っていた。

言語のレベルは思考のレベルと比例する。子供のころから複数の語学を同時にやっていれば、確かに一見、美しい発音で流暢に言葉を操るように見えても、思考が浅ければ、言葉に中身がなくなるだろう。中途半端な言語を幾つも習得することは、切れぬ包丁を何本も持つようなもどかしいもので、優れた母語の包丁を1本持つ方が、優れた思考を料理できるのは当然だ、と。

日本語は柔軟で寛容な言葉

日本語というのはきちんと鍛えればなかなか、切れ味鋭い言語だ。

日本語は狭い日本内だけでしか使われておらず、国際言語に程遠く、英語などと比べると使い勝手が悪いと思う人がいるかもしれない。確かに日本語というのは、かなり複雑で、母語とする日本人からみても敬語などの完璧な習得は難しい。しかし、ひらがな、カタカナの表音文字が2種類、そして漢字という表意文字があり、これらを駆使すれば西洋であれ東洋であれ、外国の抽象的な概念や未知の思想も日本語にかなり的確に翻訳できる。

擬態語、擬音語が豊かで、語尾を変えるだけで男言葉や女言葉の変化が可能。敬語があり、ダブルミーニングや掛詞も豊富。外来語の多さなどを考えると、実に柔軟で寛容な言語と言っていいのではないか。そういう言語で磨かれる思考というのも柔軟で寛容なものになると思うのだが。

日本のような小さな島国でも国際結婚や移民が増えてきた。バイリンガル、トライリンガルが当然の時代になると言われ、最低でも英語ができて当たり前の時代がきているというという人もいる。

それは一面正しいのだが、国際社会を渡っていく上で、言語以上に重要なのが、高いレベルの母語に支えられたアイデンティティ、ナショナリティといったものだろう。自分の頭の中にあることを、きちんと言葉に表現する、文章に書くことは喜びである。それができて、初めて自分が何者であるか分かるのだから。

子供にネイティブ並みの英語やネイティブ並みの中国語を学ばせる努力もいいのだが、せっかく素晴らしく切れ味のよい言語、日本語を母語にする機会があるのなら、まずこれを徹底的に磨いてから、次の言葉に取りかかってもよいだろう。

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上記のことは、日本語を学んでいる中国の学生達にもいえると思います。

「きれいな発音で聞くに値しない話」は、やっぱり聞き手を引き付けることはできません。

日本語の勉強と同時に、いや、その前に、中国語を徹底的に鍛えてください。

(普通話とは限らないかもしれません)

* 50音図の落とし穴・・・さまよえる“フ”? 元NHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-10-09 10:33:33 | ドーナツの宝
ここ数日、富士山周辺の、ときならぬ“湧水”が話題になっていますね。“富士五湖”も、新しく誕生した“赤池”を加えて、“富士六湖”になったとか? ま、いつまで続くか判らないけれど・・・
 さて、この日本の象徴“富士山・フジサン”を、あなたはどのように発音しているだろうか。早い話が、ローマ字記号で書いて“hujisan”か、“phujisan”か、どっちらでしょうかという問題です。
  
 50音図のローマ字表記には、大まかに言って二つありますね。“訓令式”と“ヘボン式”です。文科省は“訓令式”を正式な音の表記としていますから、小学校で教えているのは“訓令式”が殆どですが、実際に社会一般で通用するのは“ヘボン式”が圧倒的で、パスポートなどは“ヘボン式”でなければ認めて貰えません。要するに、“訓令式”は、ほとんど使われていないので、念のため。(この二つの表については、後日とりあげましょう)
 ハ行について言えば訓令式では「ha hi hu he ho」で、“ヘボン式”は「ha hi fu he ho」と“フ”だけは“f”を使っています。本来、“f”は下唇を前歯で噛んで出す音で“ph”とは異なるのですが、アメリカ式の発音だと“f”と“ph”は似ているので、こうなったのでしょう。
 ここでは実際の発音について語りたいので、“hujisan”か、“phujisan”を発音して貰いたいし、どう違うかを感じて欲しいのです。
 念のために、発音の仕方を再度、確認しておきます。
 “h”の音は口の奥(舌の付け根と軟口蓋の間・便宜上ここでは喉音と言います)に隙間を空けて、息を通す音であり、“ph”の音は両唇の間に隙間を空けて通す音です。言い換えれば、口の中の最も奥で出す子音と、口の最前列の子音です。
 さあ、どうですか。あなたのフジサンはどっちだろう?
 “h”か“ph”か。
 
 実は以前、100人の東京育ちの人に発音して貰った結果があります。私的な結果ですが、なんと100人が100人とも唇の音“ph”でしたね!“hujisan”は一人もいなかったのです。
 では、「夫婦二人で・・・」と言ってみてください。ここには三つの“フ”がありますが、みんな同じ出し方をしているでしょうか。
 ゆっくり「夫婦二人で・・・」と言い、自分で、音を確かめてください。
 さあ、どうです?
 
 実は、これも同じ100人の人に発音して貰ったデータがあります。
 “夫婦”の最初の“フ”は、78%が唇音で圧倒的、二番目の“フ”は唇音44%:喉音46%で、やや喉音が優勢ながら伯仲し、三番目の“二人”の“フ”では86%と圧倒的に唇音でした。
 要するに、語頭に“フ”が来た場合には、圧倒的に唇音で、語中の音はバラバラ、同じ人でも、前後の音の関係によって、まちまちな使い方をしているのが実態です。まさに、「ハ行大移動」に取り残された音の象徴が、宙ぶらりんの“フ”音なのです。勿論、現在でも混乱したままなのです。
 納得できない方は、何度かご自分の“フ”を点検してみるとよいでしょう。もっとも、何回か繰り返しているうちに、かえって、こんがらがってくるかもしれませんがね・・・
 
 それにしても、富士山となると、100%が“ph”だったのには刮目すべきモノがありましたね。ある説によると、富士山をいにしえの日本人は、「フッジサン」と入声(にゅうしょう)で呼んでいたという話もありますから、自然なのかなとも思います。
 別の言い方をすれば、語頭にくる音が、“hu”では「頼りない音」だし、“聞き手”にとっても、聞き漏らしかねない音であることは、間違いのないところです。
 ともかく、ヘップバーンさんら外国人の耳には、ハ行のうち「ハヒヘホ」は喉の音と捉えましたが、“フ”だけは唇の音に聞こえたので、“f”で表記したことは確かですね。