待合せの時間の1時間前に小田原駅到着。
雪混じりの中、外で待つのは辛いので観光センターに行き、観光案内地図を入手して駅近くに何かないかと探して見ると北条氏政・氏照の墓所があるようなので地図を頼りに行ってみる事にしました。
地図の縮尺の感覚を間違え、ぐるぐると商店街をまわってしまいました。
地図上の道を道路の感覚で探していたので良く判らなかったのですが、実際は駅から本の数分のおしゃれ横町という細い通りを入ったところにあります。
豊臣秀吉に攻められ小田原城が落城した際に北条氏直は高野山に追放され、父の氏政と弟の氏照は田村安斉邸で自刃し、当時この場所にあった北条氏の氏寺、伝心庵に埋葬されたそうで、その後放置された墓所を稲葉氏が城主の時代(1633-1685)に北条氏追福のため整備しましたが、関東大震災で墓所が埋没する被害を受け、翌年地元の有志により復元され現在に至るそうです。
墓所の柵には鈴がたくさん結び付けられています。
幸せの鈴というものらしく、北条氏政、氏照が長引く秀吉との攻防戦の中、戦火にまみえる領民を思い、開城を決意したといわれる故事にならい願いをかけて箱の中にある鈴を願いをかけて持ち帰りかけた願いがかなったら、幸せの鈴を結びに付ける事で領主の供養になるというらしいです。
地元の人が供えているのでしょうか、花が添えられておりお線香もあげられていました。
小田原も箱根への通過地点と考えることなく、また小田原城を見る事だけを目的としないで町中を散策するのも楽しいのではないかと思います。
では。
雪混じりの中、外で待つのは辛いので観光センターに行き、観光案内地図を入手して駅近くに何かないかと探して見ると北条氏政・氏照の墓所があるようなので地図を頼りに行ってみる事にしました。
地図の縮尺の感覚を間違え、ぐるぐると商店街をまわってしまいました。
地図上の道を道路の感覚で探していたので良く判らなかったのですが、実際は駅から本の数分のおしゃれ横町という細い通りを入ったところにあります。
豊臣秀吉に攻められ小田原城が落城した際に北条氏直は高野山に追放され、父の氏政と弟の氏照は田村安斉邸で自刃し、当時この場所にあった北条氏の氏寺、伝心庵に埋葬されたそうで、その後放置された墓所を稲葉氏が城主の時代(1633-1685)に北条氏追福のため整備しましたが、関東大震災で墓所が埋没する被害を受け、翌年地元の有志により復元され現在に至るそうです。
墓所の柵には鈴がたくさん結び付けられています。
幸せの鈴というものらしく、北条氏政、氏照が長引く秀吉との攻防戦の中、戦火にまみえる領民を思い、開城を決意したといわれる故事にならい願いをかけて箱の中にある鈴を願いをかけて持ち帰りかけた願いがかなったら、幸せの鈴を結びに付ける事で領主の供養になるというらしいです。
地元の人が供えているのでしょうか、花が添えられておりお線香もあげられていました。
小田原も箱根への通過地点と考えることなく、また小田原城を見る事だけを目的としないで町中を散策するのも楽しいのではないかと思います。
では。