本日の散策コースは保土ケ谷区緑の軸。
全コースのうち、相鉄西谷駅から陣がした渓谷、西谷浄水場経由、たちばなの丘公園から相鉄上星川駅までのコース。
まずは西谷駅で本日のコースを確認。
帷子川に架かる学校橋を渡ります。
西谷中学校へ向かう坂道と石段の登ります。
上り坂の途中からの対岸の風景。
中学校を通り過ぎてしばらく行くと蔦に覆われた野菜の無人販売所がありました。
分かれ道でどちらが緑の軸か悩んだタイミングで設置されている緑の軸の標柱。
細い道を進みながら、左手民家に気になる石段。
なんかありそうな感じがして石段を登るとお地蔵さん。
松月庵。
この庵に人が住んだ歴代の人を供養する石碑がありましたが、来歴は不明。
帰宅後、「保土ケ谷区 川島町 松月庵」で検索すると曹洞宗 隋流院の縁起に松月庵の文字がありましたが、ここを指すかはよくわかりません。
坂を下り信号の右手にm公園があり、ここは元は川島小学校の跡地。
保育園やグランドになっています。
川島小学校は先ほどの信号を左に登った先にあります。
敷地内に入ると見所マップがあり、先ほどの松月庵も記載されていました。
見所を確認すると今回の緑の軸コース上にはあまりないようです。残念。
年内にこの見所マップを参考にして散策しようと決定。
公園で一休みした後に杉山稲荷社と杉山神社へ。
先ほどの見所マップの解説によると杉山神社は「天文年間(1532-1555)、上杉朝定との戦の時、北条氏康がこの地に陣を張った夜、・・・。」と書かれていました。
神社の境内を抜けて石段を降り、道なりに進み環状2号線の高架に突き当たる前に右手民家脇に道に曲がりそのまま進むと陣ヶ下渓谷の入り口へ。
陣の下ですので、先ほどの杉山神社の北条氏康が張った陣から来ているかと思えば、さにあらずこちらは「陣ケ下の地名は、源頼朝の家臣である和田義盛がこの近辺に狩のための陣を張ったことに由来」という説があるようです。
和田町や釜台町の町名の由来が源頼朝と和田義盛の狩りをしに来た時のエピソードからなっているなどあまり知られていませんがここら辺は歴史上の人物が色々と行き来していたんですね。
渓谷ですので、渓流へ降りてちょっと撮影。
ドレスを着たモデルさんを撮影しているおじさんがいたので早々に退却。
環状2号線の上を通る橋を渡って反対側の山へ。
次に目指すは西谷浄水場。横浜水道記念館があります。
横浜の水道の歴史を勉強するならば、ここです。
何度か訪れており、このブログでも何度か書いていますので今回は画像のみで説明は省略。
浄水場から西谷浄水場の信号まで戻り、消防署を右手に見る尾根道へ。
しばらく道なりに歩いて行き、マンションが見えてきた交差点からたちばなの丘公園へ入る緑の軸の道はちょっと見落としがちな道。
一応、舗装はされていますが雑草が足元に伸びてきており道だと知らなければちょっと遠慮したい道。
しばらく歩くと、3方向に分かれる地点へ。
左二つはたちばなの丘公園内への道。今回はちょっと寄り道して外周を進む右の小道へ。
しばらく獣道から民家脇の道に出て下り切り突き当たりを左に曲がると市沢・追分の谷戸。
ゲンジボタルの自生地だそうで、手つかずの自然が残る場所だそうです。
左手に山を見ながら進んで行くと階段状の上り坂。
多分、上の方へ行けば、たちばなの丘公園へ通じているだろうと(はず)と考えそのまま道なりに。
登り切り突き当たったところで左に行き、予定通りたちばなの丘公園入り口。
ポツンと残されたコンクリート塀。この塀は日本カーリットという火薬工場の外塀の跡。
たちばなの丘公園は日本カーリットの跡地の一部を利用して整備された公園です。
土塁にように盛り土がされ、所々に作業を行なっていた小部屋の当時の遺構が残されています。
たちばなの丘公園を出て、道なりに降って突き当たったところで左へ。
山を左手に見ながら右手は谷戸。
道から脇に入って仏向矢シ塚公園へ。
水辺にはアメンボ。目を凝らして見るとそこにはエビ。
アメリカザリガニではないエビです。飼育することはできないので採取せずに見るだけで帰路へ。
ふれあいせせらぎの道。
下草狩りなど手を入れられていないようで、雑草が伸び放題。
中の道を歩く気にならず、歩道から撮影。
いよいよ最終コース。
薬師堂と石碑。指差しをしている道しるべはかなりレアな気がしますがどうなんでしょうか?
信号手前、神社の石段下にある馬頭観音。
ゴールの上星川駅。
駅前にあったマンションがなくなり駐車場になっていて、ほぼ満車であったのは驚き。
相鉄瓦版というフリーペーパーに上星川駅は1日平均2万5千人の乗降客があると記載されていたので当たり前か?
本日のコース
全コースのうち、相鉄西谷駅から陣がした渓谷、西谷浄水場経由、たちばなの丘公園から相鉄上星川駅までのコース。
まずは西谷駅で本日のコースを確認。
帷子川に架かる学校橋を渡ります。
西谷中学校へ向かう坂道と石段の登ります。
上り坂の途中からの対岸の風景。
中学校を通り過ぎてしばらく行くと蔦に覆われた野菜の無人販売所がありました。
分かれ道でどちらが緑の軸か悩んだタイミングで設置されている緑の軸の標柱。
細い道を進みながら、左手民家に気になる石段。
なんかありそうな感じがして石段を登るとお地蔵さん。
松月庵。
この庵に人が住んだ歴代の人を供養する石碑がありましたが、来歴は不明。
帰宅後、「保土ケ谷区 川島町 松月庵」で検索すると曹洞宗 隋流院の縁起に松月庵の文字がありましたが、ここを指すかはよくわかりません。
坂を下り信号の右手にm公園があり、ここは元は川島小学校の跡地。
保育園やグランドになっています。
川島小学校は先ほどの信号を左に登った先にあります。
敷地内に入ると見所マップがあり、先ほどの松月庵も記載されていました。
見所を確認すると今回の緑の軸コース上にはあまりないようです。残念。
年内にこの見所マップを参考にして散策しようと決定。
公園で一休みした後に杉山稲荷社と杉山神社へ。
先ほどの見所マップの解説によると杉山神社は「天文年間(1532-1555)、上杉朝定との戦の時、北条氏康がこの地に陣を張った夜、・・・。」と書かれていました。
神社の境内を抜けて石段を降り、道なりに進み環状2号線の高架に突き当たる前に右手民家脇に道に曲がりそのまま進むと陣ヶ下渓谷の入り口へ。
陣の下ですので、先ほどの杉山神社の北条氏康が張った陣から来ているかと思えば、さにあらずこちらは「陣ケ下の地名は、源頼朝の家臣である和田義盛がこの近辺に狩のための陣を張ったことに由来」という説があるようです。
和田町や釜台町の町名の由来が源頼朝と和田義盛の狩りをしに来た時のエピソードからなっているなどあまり知られていませんがここら辺は歴史上の人物が色々と行き来していたんですね。
渓谷ですので、渓流へ降りてちょっと撮影。
ドレスを着たモデルさんを撮影しているおじさんがいたので早々に退却。
環状2号線の上を通る橋を渡って反対側の山へ。
次に目指すは西谷浄水場。横浜水道記念館があります。
横浜の水道の歴史を勉強するならば、ここです。
何度か訪れており、このブログでも何度か書いていますので今回は画像のみで説明は省略。
浄水場から西谷浄水場の信号まで戻り、消防署を右手に見る尾根道へ。
しばらく道なりに歩いて行き、マンションが見えてきた交差点からたちばなの丘公園へ入る緑の軸の道はちょっと見落としがちな道。
一応、舗装はされていますが雑草が足元に伸びてきており道だと知らなければちょっと遠慮したい道。
しばらく歩くと、3方向に分かれる地点へ。
左二つはたちばなの丘公園内への道。今回はちょっと寄り道して外周を進む右の小道へ。
しばらく獣道から民家脇の道に出て下り切り突き当たりを左に曲がると市沢・追分の谷戸。
ゲンジボタルの自生地だそうで、手つかずの自然が残る場所だそうです。
左手に山を見ながら進んで行くと階段状の上り坂。
多分、上の方へ行けば、たちばなの丘公園へ通じているだろうと(はず)と考えそのまま道なりに。
登り切り突き当たったところで左に行き、予定通りたちばなの丘公園入り口。
ポツンと残されたコンクリート塀。この塀は日本カーリットという火薬工場の外塀の跡。
たちばなの丘公園は日本カーリットの跡地の一部を利用して整備された公園です。
土塁にように盛り土がされ、所々に作業を行なっていた小部屋の当時の遺構が残されています。
たちばなの丘公園を出て、道なりに降って突き当たったところで左へ。
山を左手に見ながら右手は谷戸。
道から脇に入って仏向矢シ塚公園へ。
水辺にはアメンボ。目を凝らして見るとそこにはエビ。
アメリカザリガニではないエビです。飼育することはできないので採取せずに見るだけで帰路へ。
ふれあいせせらぎの道。
下草狩りなど手を入れられていないようで、雑草が伸び放題。
中の道を歩く気にならず、歩道から撮影。
いよいよ最終コース。
薬師堂と石碑。指差しをしている道しるべはかなりレアな気がしますがどうなんでしょうか?
信号手前、神社の石段下にある馬頭観音。
ゴールの上星川駅。
駅前にあったマンションがなくなり駐車場になっていて、ほぼ満車であったのは驚き。
相鉄瓦版というフリーペーパーに上星川駅は1日平均2万5千人の乗降客があると記載されていたので当たり前か?
本日のコース