2024/04/04
今日は、抗がん剤治療をしました
まず!朝一番は、歯科行きです
エレベーター前に行くと、窓が開いてる
そういえば昨夜くしゃみが続いたわよ
受付に行くと、〇〇さんですね、どうぞ
〇〇さん、来られました
こちらの席へどうぞ~
〇〇さんは、綺麗にしてらっしゃるから
先に先生が見られます
そして先生
上下の葉を数本コツコツしてる
そして一番奥の動く歯はスルー
で!
『大丈夫です、歯科衛生士さんに変わります』
と言って、歯科衛生士さんに変わりました
持って行った自分のブラシに薬用歯磨きのようなものを付けて
歯全体に塗りつけて終わり
えええー
先月の先生の方がもっと丁寧だったわよ😱
口を濯いで下さい、ティッシュは沢山使って良いです、カップの横に置いて下さいね
なるほど、あの薬用歯磨きの効能で、今日一日を凌げるということなのね
ちょうどその時、モノレールが通りました
ブルーが目に入ったので、銀河鉄道999かと思ったら、JCOMがラッピングを変えたらしい
先生が、此処を通る時間は、早朝深夜以外は、上りが〇時2分、下りが〇時3分ですよ
そのお話のほうが長かったわよ🤣
ローソンに行って「さゆ(白湯)」を買ってみて
帰りに給湯器でお湯を~
持ち帰った「さゆ(白湯)」を別のポットに移したら~
59度のお湯の方が温かい😭
食事前に毎回お湯汲みをするのが、正解だわよ
しばらくすると、お若い男性先生が点滴棒を持って来ました
見ると、まだ重たい点滴棒😅
看護師さんに軽い方をお願いしました
それはそれで良かったのですが〰
どちらでルート取りをなさいますか?
っとお尋ねしたら右
そうね、見た目は右側の血管が素直なのです
でも!開通しないのです🥲
以外に針は刺さったように見えるけど、案の定流れてこない
で!で!ここからが珍事件
針を、抜いたけどアルコールで拭こうとされるから、アルコールと、かぶれるテープはNGです
と言うと、
そのまま待っていて下さい
と言うから、そのまま待っていたのよね
しばらくして、お若い男性先生が戻って来て
あ〰と言って看護師さんを呼んできた
ら〰
なんとまあ血液が下に流れてた😱
私は目を閉じていて、全く感じなかった
やはりしびれがここまで来ているのね😿
シーツは後で変えてもらうことにして、お若い男性先生は左腕を見てたけど〰
一晩簡単な手の甲を選択!
ここはどうしても動くから痛いのよね
もし漏れるようになったら取り直してね
っと看護師さんにお願いして、スタート!
途中、突然くしゃみが出だした
どうやら、お向かいさんが退院したので、お掃除する人が窓を開けたらしい
そうそう、2月はそれでお腹が冷えて下痢になったよね🥵
今回はお掃除中だった担当者が、私のクシャミを聞いてすぐに締めたらしく大事にはなりませんでした
何度もトイレに行ったけど、この点滴棒は、360度方向転換が出来るので楽
薬の量は少ないままだったので、午後3時に終りました
ら〰代理の看護師さんが外しに来て、アルコールで拭こうとするから
アルコールはだめなのです
と言うと、
ビックリ
今月の移動で来たから詳しくないけどと言いながら『アルコール綿花禁止』と書いた札を持ってきてくれた
そうよね~
今まで小さな張り紙したことはあるけど、担当者は、電子カルテを見ているから、意識していない
ましてしや、移動で変わってきた人は慣れるのに懸命
今まで居たベテランさんはあちこちに移動して、半数が混ぜこぜに出たり入ったりしてるらしい
昨日は知らない看護師さんばかりだったので、どうなることかと思っていたら
今日日中は、担当になってくれた人、抗がん剤の確認に来てくれた人(この人たちは西側病室担当していた人で、お若いけどしっかりもの)
以前担当してくれた人たちが、後輩ができて中堅になったのね
アルコールにアレルギーがあるからアルコールで薄めている抗がん剤が私の体に良いはずはないよね
治療中は寝てしまうけど、しばらくすると覚醒効果が出るのか?
眠れない
横になると、吐き気が強くなるので、今は座っています
朝食
昼食
お魚はパス
夕食
お肉、サラダはパス
追記
4月4日はお世話になった伯母様の命日だったと思う
のんびりしてしまって、スマホの手帳記録が継続されていなくて、曖昧な記憶しかない
ママリン一番頼りにしていたが脳梗塞になり77歳で亡くなった
早期発見はしていたけど、、
芸事が好き、人のお世話が好き連合婦人会の会長さんだったらしい
公民館のお世話ついでに、貸衣装のお世話もしていて、祖母の法事の時、喪服を持っていない親戚の若嫁共全員のじゅばん帯揚げ帯草履まで着物をまとめて風呂敷に入れた大きな荷物を駅から一人で抱えて歩いてもって来てた
そんな元気だったのに
宴会の帰りに雨が降り、着物の裾を巻き上げて、『ヤッコさんだよ』っとポーズを取って帰ったらしい
自宅に帰ったときにこたつに潜り込んで寝込んでしまった
義叔父が、帰宅した時間がどれほど過ぎていたのかは?
叔母は『寒い』と言ったらそのまま寝てしまった
自宅で一晩過ごしてから救急搬送されたけど、数日間昏睡状態のまま目を開けることはなかった
早期治療が間に合わなかった
現在の治療方法なら完治していたと思う
ママリンは、数日間毎日見舞いに行ってた
そして、同じ4月4日、我が家の愛猫ジュリーが旅立った
職場の友達からハムスターを飼ったから、大きなシャムネコをもらってくれる人を探していると聞いた
ちょうど我が家の猫が家出してしまった後で、寂しかったので貰い受けました
我が家に来たときはまだ1歳半くらいのやんちゃ盛りでした
がすぐに大人しくなってイタズラなんてしない子になりました
唯一、朝背中にダイレクトジャンプをしてくるのが困りものでしたけど
それも自身の体重が重たくなったことに気づいたのか?
2歳頃には自然に飛びかからなくなりました
とにかく大人しくて良い子だったのです
が
昭和51年7月当時住んでいた家が類焼し、家から出るときに、ママリンがドンドン家から離れた所に行ってしまうのが放っておけない
家から外へ出たことのないジョリーは家から2.3間離れたお宅の路地に逃げ込んでしまいそのままになりました
私達は姉んちにお世話になりました
なにせ運びやすい一階に置いていた損傷の激しい沢山のガラクタを一気に運び込んでしまった
私の卒業アルバム、音楽の楽譜、洋裁道具全て2階に放置されたまま
姉が卒業用に買っていた書籍があったので、自分のものは残して、それを優先して運び出したけど、実家に何年も置いていたものっていらなかったらしい
あの頃に携帯電話があれば、その本はいらないと聞いたら、私の卒業アルバムや音楽の楽譜は今手元にあり楽しい思い出が残ったかもです
ママリンの命令で姉んち車庫のものを片付けることが優先なので、火災現場にはこなくて良いと言う
会社の仲間が沢山片付けに来てくれたけど、自然に隣の叔父宅の荷物運びになっちゃって私のものは現場に残されてしまった
で!洋裁用に使っていた机は雨ざらし、引き出しの中のものはかろうじて、焼け残った家に保管してくれていた
火事にあっているのだから、洋裁するのに使えるものは限られてたけど、それでも捨てきれずに使っているうちに、新しくとりあえず買い揃えたものより、選び抜いて買っていた前のもののほうが手に馴染みます
ルレットなどはまだ残ってるわよ
これら洋裁道具、布類、は切れ、は切れ以上のは小物でも大物でもできるインポート生地ばかり、、今は処分対象です
愛着があるので、放出する気がしない
布類は劣化するので、空気は遮断していますけど、新品というわけにはいかないしね
もっと昔に、着せ替え人形にでもなってくれる姪でもいたらよいのだけど
今は、流行が変わっていくから個性が違いすぎてありえない
昔、私が好きで集めたものが今の人に気に入られないのは当然よね
私が死んだら全部棺桶に詰め込んで燃やして欲しい
棺桶が重くなりすぎて断られるかな~
こんど、葬儀社に聞いて見ると良いのかもね
あれって重さ制限あるのかな?
っと変な方向に脱線しました
話は家事で遁走したシャムネコジュリーのことです
私達が姉んちにお世話になって、仕事を一週間休ませてもらい荷物片付けは全て洗濯!
全部手洗いで広い庭のあちこちに、植木の上にも広げて干して~同級生一人が応援に来てもらいとっても助かりました
運良く数日間はお天気が続き洗濯作業は落ち着いたときに雨が、降り出しました
ようやく、火災現場に行ってみたら残っていたはずの私の卒業アルバム、音楽の楽譜などは全て捨てられていました
念押しをしていた洋裁道具を入れていた学習机は祖母が私に買ってくれたものなのでそれだけは雨ざらしで残っていました
がー1つ気になる、私の洋裁用の裁ちばさみがない?
残った道具のみ持ち帰ったけど~
それが!
3ヶ月後姉の家から叔父の家に仮住まいに戻った時
ふと叔父の仕事場に、私の裁ちばさみがあるのに気づいた😱
大事な裁ちばさみを、襖の紙切りに使っていたのですよ~
しかも、職人さんが研いでるから、なんか変!
叔父からはよく切れるから返さん!
っ言われたけど、イヤイヤこれは自分で買った思い出の鋏なのでと言い返してもらいました
改めて地元の中の鉄を通して庄三郎に送ってもらい、元の布地用に戻してもらいました
その後、左手用、等買い足しましたがわ微妙なところは、その小さくなったハサミが切りやすいです
とはいえ、作業をやめてしまったのはもう30年前なので昔のようなパフォーマンスは人も、道具も出来ない🫣
偉く話しが、飛びましたが
そんな火災現場から逃げていったジュリーは1月後位に現場にいるとご近所の方から連絡があり、行ってみると顔面出血していて、体は半分にやせ細っていました
顔面の出血は、以前玄関前に繋いていたときに、野良猫に顔を、引っかかれて出来た古傷が化膿して顔面全体に回ったようでした
当時、まだ近所には獣医さんが少なくて以前顔の治療を、してもらった獣さんにタクシーで行きました
今は姉の家に居候中で、連れて帰れないから、入院させて欲しいと頼みました
その時に、去勢を頼んだのです
でも!このシャムネコはとっても綺麗だから勿体ないと反対されて~
2ヶ月以上入院している間に顔の傷は奇麗にお剥げになってしまって
立派なシャムネコの見る影もない無かったけど、始めに治療した時、大人しくてとても良い子だと先生は、言っていた
入院中は特別に可愛がってくれていたようで、そのまま置いていたら返してもらえなくなりそうで、仮住まいはケージ飼いになるけど早く一緒に住みたかった
仮住まいの間は、夜間にお散歩に連れ出していました
家から、100メートル先まで抱っこしていって、そこから下ろして一緒にダッシュを2回位すると落ち着いて糞をしてくれていました
本当に賢い子でした
でもね~
今建て替えて住んでいる元の家はとっても古屋だったのです
引っ越してすぐ、甘甘になったママリンは、常時ゲージの蓋を開けっ放しにするようになりました
古い昔の家は床下に大穴があって、ジュリーは自由に外出するようになりました
夜私のベッドで寝るようになり、ケージはトイレ専用でした
夜帰ってこないことがあり心配していたら、交通事故で頭を打ったらしく額に傷ができていました
その時は私の布団に塗りつけるので、汚れて大変でした
去勢しておけば外出は抑えられたのですが~
古屋を貸しているときに、野良猫が住み着いていて、縄張り争いをしていたので、その時期に去勢したらどうなるのか???
っと思案している最中に、ジュリーはネココロリに感染し、わずか3日で虹の橋に旅立ちました
昔は完全家猫だったのが、不慮の火災で野良猫生活を味わってしまったため
また、野良猫との縄張り争い
病気を、持った猫との出合い等、不安なこと続きだった
ジュリーゴメンネ
えらく長い追記になりました
今は画像が無いので、カテゴリー猫のコーナーにジュリーを転記したいとは思っていますが、私のことですからわすれるでしょうね