2年半前に「せとうちアートの旅」で大塚美術館に行った時にモネの絵を見ながら友達が
「原田マハ、知っている?」
色々な画家が登場して面白い本があるんだけど・・・と教えてくれました。
そして読んだのが「ジヴェルニーの食卓」でした。
マティス、ピカソ、ドガ、セザンヌら印象派たちの画家の出てくる、どこまでが本当の事でどこからがフィクションなのかわからない面白さに惹かれて原田マハのファンになり、いろいろな本を読んできました。
今回は「奇跡の人」です。
アメリカ留学帰りの去場安の元に、伊藤博文から手紙が届いた。
「盲目で耳が聞こえず口もきけない少女」が青森の弘前の名家にいると言う。明治20年教育係として招かれた安は
その少女れんに出会った。使用人たちに「獣の子」のように扱われ、暗い蔵に閉じ込められていたが、れんは強烈な光を放っていた。
彼女に眠っている才能を開花させるため、二人の長い戦いが始まる。
後書きの解説から
大枠はヘレン・ケラーが言葉と言うものの意味を理解する「ウォーター」までのエピソードまでの、あの
「奇跡の人」の流れそのままと言っていい。
それならヘレン・ケラーの伝記を読めばいいのではないか?
もし、そう思ったなら。
そういう人にこそ本書を読んでもらいたい
なぜ原田マハがこの物語を津軽に置き換えたのか?
それこそフィクションの持つ力がある。
二つの奇跡から読み解いてみよう。
一つ目の奇跡は障害者の進むべき道が限られ、女性の幸せが一つの枠に押し込められていた明治時代のこの国で、その仕組みかられんと安が外に出ようとした事である。
二つ目は言葉である。
言葉を持って伝えたい思いを相手に伝えると言う事である。そんな当たり前のことがどれだけの奇跡の上に成り立っているか、言葉で思いを伝えられることがどれほど幸せな事か、本書は高らかに謳いあげているのだ。
そして、この本を読み終えてから見たのがNHKの「スィッチインタビュー」指揮者の大野和士×原田マハでした。
対談を聞いていて、
そうか!原田マハの本が好きなのは読んでいて映像が色付きで伝わって来るのも大きな要素なんだなと思いました。
スイッチインタビュー 大野和士×原田マハ
「原田マハ、知っている?」
色々な画家が登場して面白い本があるんだけど・・・と教えてくれました。
そして読んだのが「ジヴェルニーの食卓」でした。
マティス、ピカソ、ドガ、セザンヌら印象派たちの画家の出てくる、どこまでが本当の事でどこからがフィクションなのかわからない面白さに惹かれて原田マハのファンになり、いろいろな本を読んできました。
今回は「奇跡の人」です。
アメリカ留学帰りの去場安の元に、伊藤博文から手紙が届いた。
「盲目で耳が聞こえず口もきけない少女」が青森の弘前の名家にいると言う。明治20年教育係として招かれた安は
その少女れんに出会った。使用人たちに「獣の子」のように扱われ、暗い蔵に閉じ込められていたが、れんは強烈な光を放っていた。
彼女に眠っている才能を開花させるため、二人の長い戦いが始まる。
後書きの解説から
大枠はヘレン・ケラーが言葉と言うものの意味を理解する「ウォーター」までのエピソードまでの、あの
「奇跡の人」の流れそのままと言っていい。
それならヘレン・ケラーの伝記を読めばいいのではないか?
もし、そう思ったなら。
そういう人にこそ本書を読んでもらいたい
なぜ原田マハがこの物語を津軽に置き換えたのか?
それこそフィクションの持つ力がある。
二つの奇跡から読み解いてみよう。
一つ目の奇跡は障害者の進むべき道が限られ、女性の幸せが一つの枠に押し込められていた明治時代のこの国で、その仕組みかられんと安が外に出ようとした事である。
二つ目は言葉である。
言葉を持って伝えたい思いを相手に伝えると言う事である。そんな当たり前のことがどれだけの奇跡の上に成り立っているか、言葉で思いを伝えられることがどれほど幸せな事か、本書は高らかに謳いあげているのだ。
そして、この本を読み終えてから見たのがNHKの「スィッチインタビュー」指揮者の大野和士×原田マハでした。
対談を聞いていて、
そうか!原田マハの本が好きなのは読んでいて映像が色付きで伝わって来るのも大きな要素なんだなと思いました。
スイッチインタビュー 大野和士×原田マハ
読んでいただいたのですね。
最近は本を読むのが面倒になりましたが、たまには読書もいいと思います。
読んでいただいて「良かった」と言っていただけると嬉しいです。