ロンドン。認知症を患う81歳の父アンソニーと、父を助ける娘のアン。
認知症患者の視点で構成されたストーリーは、そのまま心理サスペンスとなって観る者に迫ってくる。状況はもちろん、人の顔や名前もその場ごとに変化する。
認知が先か、思考が先か。
アンソニー・ホプキンスが、アカデミー賞主演男優賞を最年長の83歳で受賞した作品。娘役のオリビア・コールマンも、助演女優賞にノミネートされた。
このある意味支離滅裂な世界に釘付けになってしまうのは、やはり俳優の演技の切実さに因るのだろう。
私は整合性に欠けた世界に戸惑いながら、反応する登場人物の確かな感情を見ている。
目の前の現実(と認知される世界)に、アンソニーは疑問を投げかける。わずかずつ、巧妙にずらされた世界に戸惑い、苛立ち、怒りながら、心の奥底に残るとある愛着も見えてくる。
苛立ちは介護者のアンにも向けられ、またアンの妹ルーシーの不在が、繰り返し言及される。
ラストシーンは目覚めであり、ほっとすると同時に酷でもある。我々は目覚めても、アンソニーは毎日目覚め、また眠るのだから。
「父」である必要はないと思うが、自尊心を保ちながら、世界と繋がって行くにはどうしたら良いのだろうと、考えさせられた。
認知のズレは「老い」だけの問題ではなく、もっと一般化出来る。人間は多くの場合、解釈を先にして世界を認知しているようだから。
分からないけど、信頼出来る誰かさえ忘れてしまうのだとしたら、もうそこには「自分」もいないのかもしれないな。
フロリアン・ゼレール監督、2020年、97分。英・仏合作。原題は、『The Father』。
第93回アカデミー賞、主演男優賞(ホプキンス)、脚色賞(クリストファー・ハンプトン、フロリアン・ゼレール)受賞。
劇作家であるゼレール監督の戯曲『Le Pere(父)』(モリエール賞最優秀脚本賞受賞)の映画化であり、監督デビュー作。「家族三部作」の第一弾目。第二弾、『The Son 息子』は現在公開中。こちらも観たい。
アンソニーが大切にしていて何度も聴き入る曲。心の深くに刻まれているようだ。↓
「耳に残るは君の歌声」(原題“Je crois entendre encore“オペラ「真珠採り」より:ビゼー)
The Father - Les pêcheurs de perles
サリー・ポッター監督に同名映画があり(原題は『The Man Who Cried』)、この曲が使われている。哀愁漂う旋律に、アンソニーは何を聞いていたのだろう。
家のインテリアも少しずつ変化して行く↓変わらないのは、出ることのない玄関のドア。