トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

よもやま相談室 説明会のご案内

2021-05-21 14:02:14 | 日記

5月22日(土)14時から、山山アートセンターのよもやま相談室に関する説明会が開かれるそうです。

相談室そのものは今後開かれるのですが、明日は説明会だそうです。

 

山山アートセンターは、端的に「とにかく生きよう」をコンセプトにしています。

何をしているか、を文章で読んでもよくわからないかもしれません。

誰もが何もわからない、だからみんなで集まって、とりあえず乗り越えられればいいよね、みたいな感じでしょうか。

うまく言葉にしてお伝えできないので、ぜひリモートで直接お話されてみるといいと思います!

 

難しく考えてしまう方も、何にも考えられない方も、とりあえず何か思うことがあれば、ご参加してみませんか?

ちなみに、この会、私も参加させてもらおうと思っています!


おさかな小学校 のご紹介

2021-05-20 09:23:00 | 育児

私は食事をとても大事にしています。

今、家族の時間を楽しむこと、子どもとの時間を楽しむこと、子どもの未来を作ることにつながると思うからです。

そして何より、自分が毎日幸せを感じられる大切な時間だからです。

 

病気がとっても悪くなった理由の一つに、もしかしたら食生活の乱れがあるような気もしています。

しかし、さあ!気をつけよう思ったところで、気づけば私自身が食卓のものに関して何にも知りませんでした。

食卓が謎って、なんだろう。

知りたいという私の欲求と子どもと共に楽しめるものがあったら、ということで本を買ったり、料理を一緒にしたり、オンラインイベントに参加したりしています。

今回は、そのひとつの、おさかな小学校をご紹介しちゃいます。

 

おさかな小学校は、小学生向けのオンライン授業をしてくれる、文字通りお魚について教えてくれる小学校です。

毎週土曜日の9時から30分間の授業と質疑応答時間が15分くらいです。

オンタイムで参加できない場合も、そうではない場合も、アーカイブで閲覧できるので、そこはご心配なく。

要望が多くて、大人の方向けにも公開されています!

 

校長先生の鈴木先生をすーさんと呼んで、あたたかい雰囲気の授業が展開されています。(すーさんという呼称を「わー」と思うのは、親世代だけなんでしょうけれど笑、普通に親やすいみたいです。)

この授業の魅力は

・食べるということを主眼に置いた授業であること

(魚の種類ごとにどこで釣るのか、魚をさばく光景を見せてくれたり、料理の種類などを教えてくれます)

・SDGsなどを意識して、魚や海を通じた環境問題を考えてくれるところ

・どんな質問も否定せずに、答えてくれるところ

です。

無料ではありませんが、今までなかった視点での授業に、親の私もはまっています。

 

そして、おさかな小学校は私の病後の指針のひとつに何か合っているような気がするんです。

ある農家さんが、自分が作ったものがおいしいと思う理由のひとつに「苦労した分、美味しく感じる」と言っておられました。

なるほど、確かに目の前にあるものは100円のおにぎり、ではなくて、このお米はどこで誰がどのように作り、この海苔は誰がどこでどう養殖して採り、海苔作りをしたのか、この梅は誰がどのように育てて誰が漬けてくれたものなのか、塩は誰がどのように加工したのか、を考えたらテレビやスマホを見ながら頬張ることもなく、おいしいなあ、ありがたいなあとより思えてきたのです。

私自身は何かを採ったり育てたりすることはできませんが、そうして苦労を知り、感謝して食べられると、ぐっと幸せになった気がするのです。

毎日のことで幸せが感じられるってすごくないですか?

主婦って3食作らなきゃなんだけど、みたいに文句言いたくもなるので。

だから、子どもにもそういうことをわかってほしいなと思って、一緒に授業を受けています。

 

知識をごりごりと教えられるのではなくて、食卓が楽しくなりますように、みたいなコンセプトの優しい心が詰まった学校です。

よかったら、ぜひ、ご覧になってみてください。


あなたたち、転んでもただでは起きないわよね

2021-05-17 07:32:58 | 日記

これは高校の時の先生に言われた言葉です。

私の同級生は、社会に対しても、また人格的にも優しい人が多くて、尊敬しています。

そんな彼らは、何か挫折するようなことや悩むようなことがあっても、ただ打ちひしがれているだけではなくて、何かをつかんで這い上がってくるよね、という褒める意味で先生は使っていました。

 

しかし、私が実際に病気で倒れている時は、これがまた刺さる言葉でした。

ただただ、倒れているだけの私は失格なのか?

いや、倒れさせてくれよー、生きているだけで辛いんだから。

と悪態をつきながらも、同級生の仲間入りをしたくて、もがき苦しんでいたような気がします。

 

そんな彼らが今の私に言ってくれることは

「とりあえず生きていればいいんだって!」

ということです。

生きていてくれてありがとうとか、よく頑張ったねとか。

 

本当にとりあえず生きてただけでいいのかな、と思ったのですが、私も主人の仕事を手伝ったり、娘はとりあえずここまで育ってくれましたし、わずかなる成果ですけど、必死に生きていると何かどこかで生み出せているものなんだと教えてもらいました。

このブログに開業の話や子どもの話をいっぱい書いているのは、そういう理由です。

完全に人の褌なんですけど、役に立ったと言われているし、そこから私も学んだことはたくさんあって、そういう時はそれでいいのです!と今は思うのです。

だから、志さえ失わなければ、倒れているだけの時があっていいのです。

 

ここまで這い上がってきた私だから、あえて言います。

倒れているまんまでいることは、とっても辛いです。

でも、いつかがきっとありますから、ぜひとも堂々と倒れていてください。

倒れていられる人は、その時は耐え抜くだけなんですけど、振り返ると何かを掴んでいるようなのです。

 

助けが必要なら、とりあえず叫んでみてください。

10人に笑われても、11人目に恩人が現れるかもしれません。

 

倒れ続ける根性は、きっと人を強くしてくれます。


娘を伴って

2021-05-16 06:04:00 | 開業

主人との開業準備は、時に困難を伴いました。

何より辛かったのは、人間と社会の汚い部分が突拍子もなくドンと目の前に広げられたことでした。
 
細かいことは省きますが。
ある時また娘を母に預け、私はドーピングをして、主人と出かけたことがありました。
 
行った先で、私たちは嫌がらせを受けました。
嫌がらせって、受ける時は何が起きてるかわからないのです。何だろう?みたいな。
気づいた時は本当にただただ呆然とするだけでした。
心は動きません。ん?何が起こったのかな?え?あー、なるほど。なるほど?みたいな笑
 
家に帰ると、母が娘を抱っこしていていました。
娘は手に、シャバシャバに溶けたアイスを持っていました。
ママが帰るまで、食べない、と、泣くでもなくわめくでもなく、かと言ってじっと待っていることも遊んで待っていることもできず、おばあちゃんに抱っこしてもらっていたと、母は笑いながら教えてくれました。
 
母が、冷凍庫からシャバシャバになったアイスを再冷凍させたものをもうひとつ持ってきて「もう一回凍らせたら、食べられるかなと思って!」とニコニコしながら私にアイスを食べる?とばかりにくれました。
近くのバス停まで行ってとせがまれ、何本か見送ったりもしたそうです。
 
長い時間、娘は我慢していたことを知りました。
いつもはわーわーと騒がしい娘が、私に仕方ないことだからと説得されていたのでぐっと堪えていたのです。
しかしその間、私たちがしたこと、と言えば嫌がらせを受けていた、だけなのです。
もちろん仕事の成果はひとつもありません。
 
私はシャバシャバアイスをもらって、ようやく悔しいという感情を自覚でき、泣くことができました。
 
私たちは一体何をしたんだ。嫌がらせを受ける筋合いはまるでない。
本当に頭がおかしい人は、普通の風貌をしていて、世の中を我が物顔で闊歩している。
おかしいことは、おかしくないと思っているところにこそある。
私の中でまた何かが壊れて、芯になるものがひとつ増えました。
 
で、その後、私は開業手伝いの際はほぼほぼ、娘を連れて行くことにしました。
対価がないので、仕事と思ってなかったところも大きいですね。
また嫌がらせを受けても、娘と一緒にいるなら大してダメージもなく、後悔しないや、と思ったのです。
 
半分自暴自棄で乱暴な発想だったのかもしれませんが、これはいろんな意味で大当たりでした。
 
私の病院と一緒で、娘の存在を許容してくれる方や企業さんに主人のクリニックは支えられることになりました。
 
例えば、お世話になっている税理士さんは、最初の経営計画とかの話をする際、時間もかかるしー、と娘の同行を認めるどころか、奥さまがお菓子にビデオにと散々お世話をしてくださいました。アルプスの少女ハイジのビデオを見せてくださったので、娘にとっては今でも「ハイジのおじさま」です笑。
一方の私たちは、わかりやすくかつ端的な説明を受けてました。主人は、この人情というか空気感もあって、その場でこの方を信頼するぞ!と思えたそうです。その場でお願いすることにしたため、逆にビックリされました笑
家具を買いに行った時は娘をしげしげと見られつつ、「え?どなたもいらっしゃらない?奥さんだけですか?」と何度も確認されたので、ああ、また邪魔だったんだなと気落ちしながら見積もりをお願いして帰宅しました。そうしたところ、「この話乗った!」みたいな感じで。結果的には目が飛び出るほど安い価格で売っていただけたのです。お金がない私たちにとって、この上なくありがたいお話でした。
普通?は仲介業者にお願いするようなことらしく、家族が直接買いに行っているので中間マージンを引いてもらえました。それに加えて母ちゃんが髪振り乱して頑張ってるんだから、応援するよーということでもあると、主人は感激していました。
 
人生とは面白いものです。
 
人を信頼できなくなった時に、結局救われたのは人情でした。
 
私たちはこうやって支えられているんだと、じんわりじんわり教えられました。

教えられる人と教える人

2021-05-15 10:19:49 | 日記

人には、いろんな立ち位置があると思うと以前書きましたが、

娘に教えられた話を今日はひとつ。

 

コロナ禍で、一体どうやって過ごしたらいいのかを思案する日々は続いていました。

娘は今、自主休校をしていますが、毎日感染者数の推移とにらめっこしながら私は悩みつづけていました。

学校に行って欲しい。

実際はこう思っています。正直なところ。

でも、私の行って欲しいという思いは私のわがままなのではないか。

感染のリスクを高めたり、私自身が感染して死ぬようなことがあったらこの子はその方が不幸だと思ったり。

いや、義務教育だし、行くべきなのではないか。

いや、家にいるのがめんどくさいから行かせたいと思って冷静な判断ができていないのではないか。

いや、こう悩んでいる母親といるくらいなら行った方が良いに決まっている。

でも悩みやめることはできません。

そして落ち込む。無駄に凹む。

 

免疫を落としているお母さんだから、仕方がありませんよ、というのも私の中では苦しかった。

私のせいで、娘が教育の機会を奪われ、私は1人になる時間を奪われている。

病気のせいでまた私たちは社会から取り残される。

全然仕方なくないです。

私の病気が娘を苦しめるなら、私は死んでもいいから子どもにとって良い生活を歩んでほしいと思うものです。私も親の端くれですから。

 

そんな日々でした。

今週の火曜日に、「学校に行きたいなあ」と娘が言いますので、それはそうだよなあ、と思い。

「よし、明日から行こうか!このままだと1学期が吹っ飛ぶよ。コロナにかかったらかかっただ!お母さんは覚悟を決めたよ。」

と言ったところ

「いや、行かないよ。」

と大真面目に答えてきました。

「え?なんで?行きたいんじゃないの?」

と私が聞き返しますと

「うん。行きたい。でも、今、もうコロナは大丈夫ってみんな油断してるのね。だから、私が行かないことで、まだダメなのかもしれないって注意してくれるとおもう。私が行かないことでみんなが気をつけてくれると思うから、行かない。」

とはっきり、言ったのです。

毎日の日課のお散歩をしている最中でした。

賑やかな街並みに、行くあてもなくただ万歩計の歩数を稼ぐだけのお散歩です。

その風景を見ながら、娘はそう言いました。

 

帰宅した主人にこの話をしますと

「は?行かないの?なんで?嘘でしょう?」

と言うので

「ママが嘘をつくわけないでしょ。」と呆れながら娘が父親を説得していました。

家族の覚悟がようやく決まりました。

 

親は、娘に教えられました。

今は、何をすべき時なのか。

何を大切にするべきか。

物事には優先順位があって、全ての願いを叶えることはできませんから、どれを行うかはその理念を基に決めるのですね。

娘は、世間やお友達を心配して、自主休校を決めました。

私の病状は気になるけど、あまり関係ないかなあと言っています。

 

子どもは私に勉強や生活態度について教わっていますが、もう理念や考え方は私を超えることがいっぱいあります。そんな子どもから、親はたくさん教わっています。

 

学校のお友達が何かを感じてくれたらいいなと、親バカなのかもしれませんが、願わずにはいられません。

そして、私も、行動をしっかりしたいと思う次第です。