子どものためが、時に教師を壊す
学校では、「子どものため」という神のお告げの元、何をしてもよい風潮があります。
例えば、子どもが教師を殴ったり、怪我をさせられても、「子どものため」のお題目のため、我慢します。病院に行って治療しても、自腹です。
僕は、肋骨を骨折が治った直後、授業をサボっていた子どもが至近距離で蹴ったバスケットボールが顔に当たって倒れ、肋骨の治療にまた入りました。自腹です。
若い頃、学年崩壊を指導する中、倒れて病院に運ばれ、一日点滴を打たれた際も、自腹でした。
現在も毎日やんちゃな子の対応で、引っ掻き傷の出血があり、肘や腰を痛めていますが、自腹で病院に通っています。
大抵の場合、公務災害は下りず、療養休暇も頂けません。
教師に対する一部の子どもの暴言については、日時茶飯事です。
一部の子の、そのような教師に対する暴力、暴言、傷害を、教師は我慢してます。
何十回、何百回も繰り返され、教師がたった一度、怒鳴ったり、叩いたりしてしまったことを、子どもが誇張して保護者につた、保護者はモンスターペアレンツになり、問題教師、暴力教師にされてしまう先生もいます。
以前、「でっちあげ」という書籍にそういう事例が報告されましたが、実は僕の周りにもいくつもあり、全国的にも沢山報告されています。
新海誠監督の「言の葉の庭」という作品も、暴力ではありませんが、ある意味、教師が壊れる話です。こういったことがよくある事だと認識されて来ているのです。
しかし、九割以上の子どもや保護者は、とてもいい人たちです。その子たちのためになら、教師は頑張れます。
そして、こういったことが起こらないよう、教師も日々学び、教育を頑張っています。
しかし、学校教育を受け入れない一部の子どもの、大人なら犯罪になる暴言、暴力、傷害については、警察や弁護士を介入する事例も出て来ています。
教師も人間です。基本的人権があるのです。
子どものためと、教師の人権を両立させなければならないと思います。
さて、そういう子たちは、なぜそうなってしまったのか、学校ではどんな対応ができるのか。次回以降でお伝えしていこうと思います。
学校では、「子どものため」という神のお告げの元、何をしてもよい風潮があります。
例えば、子どもが教師を殴ったり、怪我をさせられても、「子どものため」のお題目のため、我慢します。病院に行って治療しても、自腹です。
僕は、肋骨を骨折が治った直後、授業をサボっていた子どもが至近距離で蹴ったバスケットボールが顔に当たって倒れ、肋骨の治療にまた入りました。自腹です。
若い頃、学年崩壊を指導する中、倒れて病院に運ばれ、一日点滴を打たれた際も、自腹でした。
現在も毎日やんちゃな子の対応で、引っ掻き傷の出血があり、肘や腰を痛めていますが、自腹で病院に通っています。
大抵の場合、公務災害は下りず、療養休暇も頂けません。
教師に対する一部の子どもの暴言については、日時茶飯事です。
一部の子の、そのような教師に対する暴力、暴言、傷害を、教師は我慢してます。
何十回、何百回も繰り返され、教師がたった一度、怒鳴ったり、叩いたりしてしまったことを、子どもが誇張して保護者につた、保護者はモンスターペアレンツになり、問題教師、暴力教師にされてしまう先生もいます。
以前、「でっちあげ」という書籍にそういう事例が報告されましたが、実は僕の周りにもいくつもあり、全国的にも沢山報告されています。
新海誠監督の「言の葉の庭」という作品も、暴力ではありませんが、ある意味、教師が壊れる話です。こういったことがよくある事だと認識されて来ているのです。
しかし、九割以上の子どもや保護者は、とてもいい人たちです。その子たちのためになら、教師は頑張れます。
そして、こういったことが起こらないよう、教師も日々学び、教育を頑張っています。
しかし、学校教育を受け入れない一部の子どもの、大人なら犯罪になる暴言、暴力、傷害については、警察や弁護士を介入する事例も出て来ています。
教師も人間です。基本的人権があるのです。
子どものためと、教師の人権を両立させなければならないと思います。
さて、そういう子たちは、なぜそうなってしまったのか、学校ではどんな対応ができるのか。次回以降でお伝えしていこうと思います。