ある時、市の音楽会に6年生が合唱で出場することになり、学年主任と一緒に合唱の指導した。
開始時に騒いでなかなか始められないので、学年主任から、静かになるまで待つと言う提案があった。
しかし、20分たっても静かにはならない。
そしてどうなったか?
僕が子供たちに対し我慢しきれなくなり、大声で怒鳴り無理矢理静かにさせさせたのである。
しかし、それがいけなかった。
次の時間僕は頭がフラフラして、立っていられなくなった。
校長の判断で、すぐに救急車で運ばれ、病院でその日の残りの時間、点滴を打ち休むことになった。
この時にわかったことが2つ。
1つは、我慢できないほど怒ったり、叱ったりするのはやめる。
そして、子供たちはいくら待っても静かにはならない、ということ。
気がついた子がみんなに静かにするよう声をかけ、静かになるまで待つという指導法がある。
実際にこの学年主任が言ったのは、それである。
しかし、それは一時的なものであり、子供たちがずっと静かに座っていると言うのは基本無理な話である。
逆に僕がやったように、怒鳴って怖がらせ、子供たちに無理矢理言うことを聞かせるということはあるかもしれない。
もちろん、そんな手立ては悪手だとわかるだろう。
この時、20分間待つ間、すべての子供が大騒ぎしていたわけではない。
静かに始まるのを待っていた子たちもいたはずだ。
僕も子供の頃は、どちらかと言うと静かに待っている方の子だった。
やんちゃの子たちが騒いで、いつまでも授業が始まらない、そして授業が終わらず、休み時間にならない。
その当時は仕方ないと思っていたが、大人になってからいろいろ考えてみると、どうしてやんちゃでずるをしている子たちに合わせて、真面目にやっている自分が損をしなければならないのだろう?ということだ。
それから僕は、授業開始や授業終わりなどの号令の時に、待つことをやめた。
30人の子供たちがいれば、どうしても4、5人とかは気をつけをしていない。
しかしその子を叱って、他の子たちを待たせる、もう一回号令をやる、その時間がもったいないと考えるようになった。
その叱ってやり直しをさせる5分間を、授業に使ったほうが子供たちは勉強ができるようになる。
実際にちょっとぐらい動いている子たちに目をつぶり、号令をし、授業を始めると、そういったふざけている子やしゃべっていた子も授業に入る。そのうち、その子達も号令の時にさっと気をつけをしてすぐ授業を始められるようになったのだ。
さらに、号令をしなくても、チャイムと同時に僕が「はじめます」と言って授業を始めると、子供たちもすぐ授業モードになるようになった。
号令はいらなかったのだ。その方が授業をたっぷりできるのだ。
1日に何回も号令をする、そんな事、社会に出たら皆無だ。
学校は社会に出るための練習の場でもある、ならば、形式的な号令はなくしてもいい。
令和になるいまだに、全員が静かにするまで待ちます、と言う先生がいる。
若い先生方の中にもいる。
それはおそらく自分が子供の時に、そういった指導を受けてきているのだと思う。
しかしそれが愚策であると言う事は、自分がその後何年もの実践を経て確信している。