十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

農耕民族と狩猟民族

2023-05-13 05:00:00 | 投稿

 

同じ町内会の友人が、農耕民族と狩猟民族のことを話していた。彼は読書が趣味で豊富な知識と幅広い人脈を持つ。博学であり、多くの人が“駆け込み寺”として彼に相談を持ち掛けている。彼の座右の銘は、“着眼大局着手小局”である。

着眼大局とは、物事全体を俯瞰して重要なものを見抜き注目することである。着手小局とは、細かなところに目を配り、具体的な作業を実践することである。私なりに解釈すれば目先を見て物事を考えるのではなく、歴史的積み重ねの過去から現実を直視し、そのうえで未来を見通し、自分たちの「あるべき姿」を描くといえよう。

これまでの日本経済は、景気重視で財政を拡大してきた。これにより大きな景気悪化を免れたものの、結果として国債残高が積み上がり、今回のコロナ対策費がこれに拍車をかけている。そして、ロシアによるウクライナへの侵攻である。

『ロシア人とウクライナ人とは、水と油のような関係で混じり合うことが出来ないのだ。なぜなら、ロシア人は狩猟民族でウクライナ人は農耕民族であるからだ』と、彼は言うのである。だから、ウクライナ戦争は簡単には終わらないのである。

確かにこれは、十勝から130キロ離れた釧路と十勝の関係に似ている。釧路は、昭和44年(1969年)から9年間も続けて水揚げ量日本一を記録した漁業の町である。一方、十勝は日本の食糧基地であるから農業国である。釧路人は狩猟民族であるから魚が獲れる場所を他人に教えず、十勝人は農耕民族であるから、太陽のもとで他人と一緒に農作業をするのである。

魚にしても農作物にしても人間が生きていくために欠かすことはできないが、どちらにしても人類が作ったプラスチックごみや化学肥料が使われている。海洋ゴミの70%は分解されることがないプラスチックとみられており、その量は2015~25年の10年間で3倍にまで増加すると予測されている。

「十勝の活性化を考える会」会員


昭和の風景と谷内坊主

2023-05-12 05:00:00 | 投稿

 

令和元年1126日付け北海道新聞夕刊「昭和の風景」の写真には、以下の紙芝居に心躍る子供たちの写真が載っていた。

小学校時代、街角に飴玉を売りながら「紙芝居」を行なう“紙芝居おじさん”が必ずいた。その頃はまだテレビがなく、いつもラジオなどを聞きながら遊んでいた。ラジオ番組のスポーツでは「プロ野球」や「大相撲」、連続ものでは、「赤胴鈴之助」や「巌窟王」などの放送であった。

確かに生活は便利になったが、我々のような戦後生まれのシニア世代は、少年時代にラジオを聞いて育ち、 “空想の世界”を生きてきたのではないだろうか。だから、シニア世代の人は人の痛みを分かっていた。いじめはあっても手加減して、人を殺すことはしなかったように思う。

小学校に入学した頃、周辺には凍土により地面が盛り上がった「ヤチボウズ」が繁茂していた。そして、「ヤチボウズ」の周りには水田が広がり、水田のそばを流れる小川には、「ウグイ」や「ドジョウ」がたくさん泳いでいた。たった、60年前の十勝のことある。

先日、地元新聞に知人が詠んだ次の俳句が載っていた。

『雪間から 顔出し笑う 谷内坊主』 

北海道の寒冷地の湿原では、谷内坊主が繁茂し草原になることがある。その写真が下図である。私が5歳の秋、この谷内坊主が自宅近くにもたくさんあり、火を付けたら消えないのである。次から次へて燃え広がり困ったが、事なきを得てホットした思い出がある。

この谷内坊主、地球温暖化の影響で湿地帯が少なくなり、自宅近くでは見ることができなくなっているのが現状である。多くの古民家が壊され、新しい耐久性のある建物が次から次へと建っていく。

その中には燃えないゴミがたくさんあるので地球は汚れていく。地球を汚していくのは人間のみだから、人口が減った方が良いのかもしれない。その意味で日本は、将来を考えて最先端を走っているのである。

「十勝の活性化を考える会」会員

 

注)ヤチボウズ(出典:ヤフー検索)


花見

2023-05-11 05:00:00 | 投稿

 

令和5421日が、帯広市の桜の開花日であったので、424日(月)、自宅の庭でチシマ桜の花見会を知人6人で行なった。その中の二人は、南アメリカのパラグアイにJICAの職員として行っていたらしく、話題で盛り上がったのは言うまでもない。なお、JICAとは、独立行政法人国際協力機構で、日本の政府開発援助を一元的に行う実施機関として開発途上国への国際協力を行なっている機関で、Japan International Cooperation Agencyの略称である。

4日後、同じところで3人で花見をした。最高気温が12度で風も強く寒かったので、その中の一人が熱燗を飲みたいという。夕方であり私も酒に目がないので、妻に頼んで用意してもらった。話が盛り上がるためには、花見に酒は欠かせない。

彼は、「北海のヒグマ」と呼ばれた中川一郎農水大臣と羽田から帯広への飛行機の中で気さくに話したことがあるらしい。中川一郎大臣は、国会議事堂の芝生の上で小便をしたそうで、天衣無縫の人物と言っても良いであろう。

彼は札幌のホテルにおいて享年57歳で自殺したが、人情味があり彼のことを悪く言う人はいない。十勝の農免道路は彼が作ってくれたようなもので、十勝が日本の食糧基地として発展できたのも、彼の貢献が大きいだろう。

彼の長男である中川昭一氏も父親と同じ享年57歳で自殺している。自殺は、遺伝するのであろうか。

もう一人は、新聞配達の方で帯広市出身の77歳の人。東京生活が長かったらしく、15年前に帯広に戻ったらしい。10年前にガンを罹患し、健康のために新聞配達をやっているらしい。地元の高校を卒業したと思ったら、何と北海道で一番入るのが難しいとされる高校であった。

日本で一番遅い稚内と釧路の桜の開花が、53日に発表された。昨年よりも6日も早く史上最高で、地球温暖化が進んでいる。魚のまちであった釧路に魚が獲れなくなり、魚があまり獲れなかったグリーランドが豊漁なようで、異常気象の影響がいろいろなところに生じている。

桜のことに話は戻るが、いろいろと種類があるらしい。チシマ桜は読んで字のごとく寒いところに育つ桜で、根室市の青隆寺の桜が有名だろう。チシマ桜で思い出すのは、22年前、知床半島にある日本百名山の羅臼岳に登った時のである。

羅臼岳は知床半島にある山で、チシマ桜は北海道の寒い所しかないので桜が咲いていたのである。 この写真は主木を切っているので小さく見えるが、50年も経っている桜である。

また、地平線が見える大牧場で有名な釧路管内の標茶町田和平の展望台にもチシマ桜があり、夏はライダー族の隠れた観光スポットになっている。夜には、満天の星が手に取るように見えるそうである。

「十勝の活性化を考える会」会員


悪法も法なり

2023-05-10 05:00:00 | 投稿

 

悪法も法なりとは、哲学者 ソクラテスが言った言葉である。悪法も法なりとは、たとえ悪い法律であっても、それが存在する限りは従う必要があるという意味の諺である。

法やルールが存在している状態で、それが理不尽や不合理に思われる状況であると知りながら、ルールである以上は守らなければならないという時に、この諺が使われる。

先日、年齢がひとつ若い知人と話す機会があった。彼は、人間には自由が大切だというのである。私はそのことを否定しないが、その前に人間は社会的な動物だから、「公共」が大切だと思っている。公共が無ければ、人間社会は成り立たないのである。これはある意味で、“悪法も法なり”に似ている。

これには全く関連していないが、いま、学童保育が危機に立っているらしい。そのひとつに、高齢保育員と児童との価値観の違いがあるらしい。学童は「自由」を重んじ、高齢保育員は、「公共」を重んじているらしい。時代が変われば、「公共」の中身も変わってくるのだろう。

先日、三人の対談集であるこの国の「公共」はどこへゆくの本を読んだ。対談者のうち二人は、文部科学省 キャリア官僚だった 寺脇研氏と前川喜平氏で、あとの一人は、城南信用金庫理事長 吉原毅氏 であった。この本には、「公共」のことが書かれており、その抜粋は次のとおりである。

『 オウム真理教事件の時もそうでしたが、社会に重要な出来事をやり過ごすだけの人々ばかりでした。社会の動きに無関心でいる人々がすごく多くなった気がします。

かつては、社会や政治について考えようという姿勢は多くの人々にあったのではないでしょうか。街を守る、国をどうする、という庶民層が考えていて、行動して、自分たちと考えの違う活動家の学生たちとも対話しようじゃないかという姿勢があった。当時は社会が若かった。戦後の、国土再建という時代のテーマの中で多くの人々は生き、同じ国民としての連帯、繋がりがあった。そういうことは、今はない。

つまり自分たちの生存を支える「公」について考えていたということですね。自分たちが生きる日々のあり方に「公」が直結する可能性があった。そして貧富の格差はよくない。教育格差はいけない、戦争はよくない、平和は大事だとか、そうした価値観を持って議論し、行動していたと思います。』と。

この「公共」について、憲法12条には次のように書かれている。

第十二条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

私たちは、生まれながらにして持っているのが基本的人権であり、不断の努力によってこれを保持しなければならないとされている。他人の人権を奪ってまで、自分の人権が保障されて良いのではない。

人権と人権を調整するのが「公共の福祉」であり、全ての人権には公共の福祉による他人の人権への配慮が必要である。個人の自由と権利は大切であるが、「公共」の立場からどのように考えていけば良いかが、今後の課題となろう。

公共経済を主張したのは、アメリカの経済学者 ガルブレイス氏である。日本は貧しい国になってしまったので、道路・水道などの「公共施設」を今後、いかに維持していくかも問題になる。市場経済に任せれば資源の有効活用が図られるというが、資本主義は利潤を追求するので、格差拡大につながっている。

ある仏教学者が、「私たちは、利他的であることによって全員が利益を得ることができる。それがコロナ危機の教訓の一つなのだ」と言っていた。利他とは、自己の利益のためでなく、他の人々の救済のために尽くすことをいう仏教用語で、新型コロナ禍を早く収束させるためには考えさせられる言葉である。

「十勝の活性化を考える会」会員


ゴミ中間処理施設

2023-05-09 05:00:00 | 投稿

600億円以上もかかると予想されるゴミ中間処理施設が、十勝1箇所のみの建設で進行している。関係機関は、十勝圏複合事務組合。理事長は米沢則寿帯広市長で、現在地に近い地点の約5.5メートルも低い場所と聞いている。

十勝の広さは、私が働いていた岐阜県と同じで、岐阜県庁に問い合せると、岐阜県にはゴミ処理施設が10箇所あり、リスク管理も出来ているらしい。ゴミ中間処理施設の1箇所のみの建設は、リスク管理面を考えるとあり得ないのである。水没しないようにするためには遮蔽壁を作る必要があり、それにかかる膨大な費用が掛かることも想定せねばならないだろう。

私が言いたいのは地球温暖化が進んでいるので、「我々は、どんな国を目指すのか」ということである。しかも、この投資額が600億円とすると、十勝住民一人当たり約20万円かかる計算になる。東京都の人口1,200万人を考慮すると、実に2.4兆円の莫大な投資額となり、この点も十分に加味しなければならないと思っている。

当選した帯広市議会議員に水を差すようであるが、新ゴミ処理場の再考を求めたい。住み良い“まち”とは、リスク管理がしっかりしていることが、最も求められるのである。今回の当選した議員には若い人が多いらしく、新ゴミ中間処理施設にも新しい考えを持つことを期待したい。当該箇所が水没するとゴミ処理がストップし、十勝一円がゴミ屋敷となる可能性もあるだろう。

 私の属する町内会では女性が会長で、環境にやさしい女性が、十勝を変えると思っている。女性が環境に対して厳しい目で見ていることは確かであり、これからの地球を守っていく存在だと思っている。

ただ、自然環境などの変化に対して無関心な人が多くなったように思う。かつては、まちを変えようとか、もっと良くしようという姿勢が、多くの人々にあったのではないだろうか。戦後、国土再建というテーマの中で日本人は生き、住民同士に連帯感があった。街をきれいにするとか、国をどうするかといったことを、住民が真剣に考えていたように思う。

日本は貧しい国になってしまったので、道路・水道・橋などの公共施設を、今後はいかに維持していくかが問題になる。そのひとつに、ゴミ中間処理施設があると思っている。 公僕が必要とされる所以であるが、その公僕が誰もこの処理施設のことを詳しく知っていないと思われるので、ためらい、たらいまわし、他人事”の縦割り行政を改めてもらいたいと思っている。

この投資に関して、有識者はどのように考えているのだろか。賛成か、反対か、あるいは無関心なのかは分かりかねるが、十勝の未来を左右することは確かだと思っている。

今回の帯広市議会議員選挙の50%割れの投票率や町内会の加入率低下が、その無関心を如実に示していると思う。地元新聞によれば、相次ぐ町内会の解散により、町内会が管理していた防犯灯が撤去されているそうだ。帯広市市民活動課によると、過去5年間で19の町内会が解散したそうで、無関心であることが自分の首を絞めることになると思っている。

「十勝の活性化を考える会」会員