十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

十勝の活性化を考える会 第一回講演会開催

2019-04-30 05:00:00 | 会報

十勝の活性化を考える会 第一回講演会開催

 

2019年4月28日 とかちプラザに於いて「十勝の活性化を考える会」第一回目の講演会が開催されました。

ゴールデンウイーク2日目にもかかわらず、多数の方のご参加をいただきました。

時間配分がうまく行かず充分な講演とは言えませんでしたが、質疑等をいただきまして盛会のうちに無事終了することができました。

会場に足を運んでいただきました方々、準備に奔走していただきましたスタッフの方々に改めて感謝申し上げます。

また会場で会員登録していただいた方々にもお礼申し上げます。


 「十勝の活性化を考える会」事務局

 

 

 参加者の声

お疲れ様でした。
長崎屋発4時36分に間に合うように出て来たので最後迄聞かなくてすみませんでした。
最後に流れていたの井上陽水?ですか?

寛斎の最期が自殺説というのがショックです‼️
私としては広い大地につつまれて老衰で死んで欲しかった❗️

タコ部屋の話しは小林多喜二の世界にも出てきますね。
これは北海道に多くあったことなのでしょうか?

三浦綾子さんとか原田康子さんの本を読むと北海道のどこであったことか?が良く分かります。
釧路にいた時、この地名はあの本に書いてあった!等と思いながら見ていました。

今日は楽しい時間を過ごせました。ありがとうございました。

帯広市在住(青森県出身)

 

 

参加者の方から素敵なコースターをいただきました

 

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差別と区別の違い

2019-04-29 05:00:00 | 投稿

差別と区別の違い

 

 

「差別」と「区別」は難しい問題ですが、本質的な問題です。
1、「分ける」というのは人間の基本的な作業です。その「分ける」という行為に、非合理性を認識した時には、「差別」という言葉が用いられ、合理性を認識した時には、「区別」という言葉が用いられます。

2、具体的に考えてみましょう。
女性に選挙権が与えられないのは、「女性差別」とされます。もちろん、ある特定の地域の人に選挙権を与えないということがあるとすれば、それも「差別」でしょう。
それには、<合理的な理由>がないとされるからです。

3、その一方で、同じ日本人でも小学生に選挙権がないのは「区別」とされます。判断力の乏しい小学生に選挙権がないのは、<合理的な理由>があるからです。

4、しかし、この問題はそれほど単純とは言えません。
何をもって<合理的>と言い、何をもって<非合理的>と言うかは、そう簡単ではないからです。
例えば、海外居住者に選挙権がないのはこれまで<合理的>と判断されてきたが、最近ではその問題性が認識され、海外居住者の投票が始まりました。永住権のある外国人の地方参政権は、既に韓国では始まっていますが、日本では認められていません。

5、「差別をしてはならない」というのは現代社会の鉄則です。20世紀の人権思想の高まりは、その考えを大変強く主張してきました。アイヌは長い間、この差別に苦しんできました。そして差別は、いまも続いています。区別ではありません。差別です。

 

しかし差別と区別の本質、つまり我々は何をもって合理的とみるか、非合理的とみるかは、本質的な問題であります。本質的な問題とは、「我々がいかなる社会を目指すのか」、ということにもつながります。

 

最後に一言、十勝だけには差別がないところであってほしいと思います。

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■十勝の活性化を考える会 講演会「関寛斎について」

2019-04-28 10:20:24 | 会報

 

 

■十勝の活性化を考える会 講演会「関寛斎について」


 日時 :4月28日(日)15時(開場14時40分)

場所 :とかちプラザ・講義室402(帯広市西4南13)

参加料:無料

発表者:事務局 川森淳治

後援 :帯広市教育委員会

問合わせ先:寺町会長 電話080・1887・5543
※十勝の歴史を学びませんか。ぜひお越しください。


 

 

 


◆講演会では、関寛斎翁の生い立ちから波乱に満ちた人生をたどり、その熱い夢と情熱を語り合いましょう。(参加者発言自由)

関寛斎翁のアイヌの人たちとの関わりや、昨年アメリカから届いた新事実も発表いたします。

◆エディンコ・イコサックルさんと寛斎翁の死の真相に迫ります。

 

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「支えられるということは支える」ということ

2019-04-26 05:00:00 | 投稿

「支えられるということは支える」ということ

 

わが国の障害者権利条約は、障害のある人だけに権利を与えたものでなく、障害のある人も障害のない人も、“すべての生活者”に権利を有しています。

現在私は、定期的に医療や福祉サービスを受けています。医療や福祉をはじめとして多くの社会組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との関係があります。医療では、医師と患者。福祉では、支援者と障害当事者といった具合です。

それは意識の根底に、自分が他者に対して何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思い込みが忍び込んでいることもあります。障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思い込みは、気づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう状況を経験しました。

最近、人が人を世話したり、支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。

このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くもので、現在里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で、豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。そこに自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。

私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています。


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地域活性化とは・・・

2019-04-25 05:00:00 | 投稿

地域活性化とは・・・

 

平成24月、アイヌ文化推進員が全国で初めて、帯広市で指定された。平成31419日には、アイヌ民族が日本の先住民族として認められた「アイヌ新法」が制定された。アイヌ新法は、アイヌ民族の誇りを尊重し共生社会の実現を目指すものである。

その誇りのことであるが、我々は自分に対して大なり小なり誇りを持って生きていると思う。そして自分たちが住んでいる「まち」や「地域」にも誇りも持っているが、全ての人が持っているとは限らない。なぜなら、最近の日本人は自信を失いつつあるから、地域を日本と置き換えて、日本の誇りと書くと理解しやすいと思う。

また先日、廃部になったアイスホッケーチーム「クレインズの100日」のテレビ番組を見ていたら、その町の人はチームが廃部に決まってから、まちの「誇り」と「支え合い」の大切さに気付いたと言っていた。時すでに遅しの感は拭い切れない。

ところで共生社会のことであるが、障害のある人も障害のない人も共に支え合う社会がひとつの共生社会であり、アイヌ新法がこれからの共生社会の実現を目指しているのも頷ける。目指しているということは、現在が共生社会ではないということである。

私の持論は、「同じ環境に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない」ということである。だから、アイヌの気持ちを分からない人が多いと思う。

 

話は変わるが、「十勝の活性化」のことを考えてみよう。十勝に共生社会が実現しても、人口が増えなければ経済活性化には繋がらないが、少なくとも十勝の活性化には繋がるだろう。そして十勝の活性化は、人間の幸福にも繋がるだろう。だから、アイヌ新法が明記している共生社会の実現が、「支えられるということは支えるということ」にも繋がるのではないかと思う。

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