十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

誰も言わなかったアイヌのこと

2022-12-31 05:00:00 | 投稿

 

私は43歳の時に3年間、青森県に住んだことがある。それで分かったのだが、青森県にもアイヌコタン跡がたくさんあったのである。私は帯広市にあった“伏古アイヌコタン”や“音更アイヌコタン”のそばで育ったので、すぐにアイヌコタンだと分かったのである。

アイヌに関する本を50冊ばかり読んだが、東北地方にも青森アイヌや秋田アイヌなどいろいろなアイヌが住んでいたらしい。東北人にとってアイヌという言葉は差別用語と聞こえるらしく、一部ではあるが自分たちのことを“エミシ(アイヌ)”と言われたくないらしい。ただ、「エミシそれ自身がアイヌ」、又は「エミシのすべてがアイヌの祖先である」と断定できるだけの証拠はないのが現状である。

アイヌと言われ始めたのは18世紀前後で、古くは“エミシ”、その後にエビス、エゾ、アイノ、カイノなどと呼ばれていた。エミシとは荒ぶる人の意味であって、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島東国(現在の関東地方東北地方)や、現在の北海道樺太などに住んでいた人々の呼称である。

本州では、弥生文化が定着したあとにも従来の縄文文化を守りつづけ、弥生文化に同化しなかった人々、それがエミシ(アイヌ)だったのである。アイヌは縄文人の末裔で、1994年(平成6)、青森市の近郊で約4,500年前と見られる“三内丸山遺跡”という大規模集落跡が発掘されたが、これも縄文人の遺跡である。

大和政権の支配地域が広がるにつれて、エミシの人々が住む範囲は変化していった。近代以降は、北海道樺太千島列島カムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語母語とするアイヌを指している学者も多い。

エミシは古くは愛瀰詩と書き(神武東征記)、次に毛人(もうじん)と表されたらしい。西暦801年、坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、蝦夷(エミシ)征討を行なっている。彼はエミシの征伐を行ない、多賀城(現在の多賀城市)から戦線の拡大に伴い、鎮守府も胆沢城岩手県奥州市)へ移している。エゾ”という言葉が使われ始めたのは11世紀か12世紀頃で、NHK大河ドラマ“鎌倉殿の13人”にたびたび出てくる毛人は、エミシのことである。

海保嶺夫著『エゾの歴史』(講談社)によれば、エゾの言葉の初出に関しては、承暦元年(1077年)、又は天永年間(1110〜13年)頃に成立されたとされる、『今昔物語』が初出とされている。

北海道や東北地方にアイヌ語を語源とする地名が多いのは、アイヌが住んでいた証拠で、新潟市駅前に「沼垂(ぬったり)」という地名があるが、これもアイヌ語が語源である。もっとも、九州の隼人や熊襲もエミシ族(アイヌ)なので、エミシは学者が言うように、全国に住んでいたかもしれない。なお、私の母方の祖父母は青森県と岩手県生まれなので、私にはアイヌの血が流れていることになる。

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気配り

2022-12-30 05:00:00 | 投稿

 私は何事にも無関心でないが、あまり気配りができない。先日、50歳の時に糖尿病が原因で失明した人(73歳)と難聴者(73歳)の3人で情報交換する機会があった。難聴者の人は何かと失明者に気配りしていたが、彼も障害者だから失明者の気持ちが分かるからであろう。

この気配りのことであるが、現代人に余裕がないので気配りをしなくなっている。なぜ気配りをしなくなったかの原因を考えてみた。それは今の日本を見れば分かるが、資本主義が高度化すればするほど生産性を追求し、自己中になっていくからである。だから、資本主義を変えれば良いのであるが、そんな簡単なことではない。

ところで先日、4年前に出会った中途障害者の方から、この気配りについてメールがあったので、その一部を紹介したい。

『 私は障害を発症し、昨日まで出来たことが今はできない。この事実を早く自覚することが、「再スタート」する上で大切なことだと思います。障害のある無しにかかわらず、定年を迎えて何をやったらいいのかと、「再スタート」ができない人が見受けられます。過去の自分とオーバーラップし、「あの時はよかった」と思い出にふけって、空回りをしている方をよく目にします。

私は「発症したことはしかたがない」、「では、どうしたら自分らしい生活を取り戻すことができるか」ということが、私にとって自覚になりました。

私は公務員時代、2~3年で転任します。自ずと長くその仕事をしている人には敵いません。それを踏まえ、皆にいかに気持ちよく仕事をしてもらうかをいつも考えました。良い仕事をしたときには、皆の前で褒める。逆にミスがあった場合には、人がいないところで指摘する。

そして何よりもただの「お任せ」ではなく、全体像を把握し、効率のいい方法を描いておきます。上からでなく、皆に納得してもらうことを心がけていました。実は本会でも心掛けています。本来、自分で何でもかんでもやるのが楽です。

しかし、障害を抱えて自分一人ではこなせない。ではどうしたらいいのか。人の特性を見抜き、気持ちよく仕事をしてもらう。現理事長は、この半世紀ずっと水泳をしてきました。出会ったときには、ただ家庭の主婦で、経営のことは何も判りませんでした。

しかし、彼女は本人も気づいていないものがあり、それを磨けばオンリーワン なるものが出来ると確信し、活動資金を調達し一緒に本会を設立しました。

彼女には、卓越した「コミュニケーション能力」があり、根っからのスポーツマンです。今までありそうでなかった、スポーツの可能性と新しい障害者福祉を融合すると何ができるのか。今や彼女は、一目を置く存在となりました。

このように障害を抱えても自分には「自覚」があり、それでも社会に対して何がしたいのかと考え、若いころに身に付いたやりたいことをやっています。私にとって「気配り」は自分一人ではできない、どうしたら達成できるのかを考えると、自然と気配りになります。』

私はこのメールを読んで、あらためて人材作りのことを思った。組織は人によってつくられているが、上に立つ者がその人材を作っていくからである。だから、上に立つ者はそれなりの人格を備える必要があるが、この人格を作っていくことがとても難しい。

現代人を見ると、自分に対する気配りや悪い意味の忖度はできるが、他人への気配り(配慮)ができない人が増えているような気がするのは自分だけであろうか。現代人が、「自己中心的」でなければ良いと思っている。

「十勝の活性化を考える会」会員


 本“人類の起源 ”

2022-12-29 05:00:00 | 投稿

 

先日、篠田謙一著“人類の起源”を読んだ。著者は京都大学を卒業して、現在は国立科学博物館館長の68歳。専門は人類学で、アイヌ民族にも造詣が深い。本には人間の持つ遺伝子のことなどが書かれており、大変興味深いものであった。

2022年2月に初版されたもので、最近のゲノム解析をもとに新しい理論を展開しており、その一部は以下のとおりである。

『 (前略)新規コロナウイルス感染症を重症化させる遺伝子が、ネアンデルタール人に由来する可能性も示されています。重症化する人びとのゲノムを調べると第三番染色体のある領域が関係していることが明らかになったのですがヴィンデジャのネアンデルタール人が、まさにこの重症化するタイプを持っていたのです。

アルタイ地方のネアンデルタール人には見られないことから、おそらくこのタイプはヨーロッパのネアンデルタール人の系統の中で生まれ、どこかの時点でホモ・サピエンスにもたらされたとだと推定されています。 (後略)」

本では、近縁な人類であるネアンデルタール人のDNAを解析した結果、約20万年前にアフリカで生まれたとされてきた現生人類(ホモ・サピエンス)であるが、彼らの祖先と別れたのは約60万年前だったらしいと書かれていた。

人類の進化は大きく分けて、類人・原人・旧人・新人という段階を経てきたと考えられてきた。新人が私たちホモ・サピエンスで、約60万年前からの交雑をへて私たちがいることを考えると不思議な気持ちにならざるを得ない。

今、ロシア人とウクライナ人が戦争を行なっているが、このような人類の起源ことを考えると、取るに足りない戦いと思わざるを得ない。人類にとっての平和は、いつになったら訪れるのだろう。

篠田謙一館長から見れば、四代文明と呼ばれるものは紀元前5千年前ころになる。文明とは住みやすくすること、便利になること、生きることが楽しくなることであるので、世界各国の防衛力拡大などをみると、現代はその逆を行っているようである。

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歴史の転換点

2022-12-26 05:00:00 | 投稿

 

令和12月9日、「十勝プラザ」のイベント会場で、別添のとおり“ウクライナ侵攻と安倍元首相銃撃殺害事件“の講演会があり聞いてきた。聴講者は、十勝を中心に全道から約250人が来ていたようだ。

講師である金平茂紀元「報道特集」元キャスターは、幅広い見地からウクライナ戦争や銃撃事件のことを論じていた。その中で彼は、2022年を“歴史の転換点”として位置付けていたが、私も同様に思っている。

なぜなら、今回の安倍元首相の銃殺事件は、田中角栄元首相のロッキード事件に勝るとも劣らない事件だと思っているからだ。この事件によって国民の目が政治に向かい、「政治とカネ」が明らかとなり、日本の政治が変わるかもしれないからである。否、変えなければ日本の国は良くならないと思っている。

世界各国で女性が首相に就任しているが、最近における男性大臣のドミノ辞任を見ていると、そろそろ日本も女性首相になってもらいたいと思っている。そのようにしなければ、失われた30年は取り返すことができないだろう。

金平講師は、第2次世界大戦のソ連の戦死者数の話もしていた。ソ連では、推定で約2千万人が死んでいるそうである。中国では14百万人、日本では約320万人が死んでいる。

た講師は、2030年に予定されている冬季オリンピック札幌大会のことも話していた。まだ開催地が決まったわけではないが、是非、北海道のためにも札幌で開催してもらいたいと思っている。

スピードスケート会場は、帯広の「明治十勝オーバル」が予定されている。開催されると、モール温泉である十勝川温泉や帯広の豚丼も世界にアピールでき、いろいろな経済効果を考えれば十勝の活性化にもつながる。「モール温泉」とは、泥炭などに由来する腐植物を含むアルカリ性温泉のことで、入浴すると肌がスベスベになり、“美人の湯”ともいわれる。

開催地の決定時期について国際オリンピック委員会では、予定していた来秋から2025年まで先送りする考えを示している。決定時期がいつになろうとも、東京オリンピックの不祥事を曖昧にしたままでは、オリンピックの不信を拭うことはできないだろう。単純に比較できないものの札幌大会の予算は、東京オリンピックの1/10程度と小さいだろう。

札幌市が今年3月に行なった市民対象の調査では、開催賛成が52%で、反対が39%だった。北海道経済は、コロナ禍やウクライナ戦争などで冷え込んでおり、酪農を含む十勝の農業は、かつてない厳しい時期を迎えている。十勝が日本の食糧基地であることを考えれば、人間は食糧がなければ生きていけないので、日本のためにも札幌オリンピックを開催してほしい。


本“アフターコロナ ”

2022-12-25 05:00:00 | 投稿

 

先日、小松浩一著“アフターコロナの「最強の販売脳」のつくり方”を読んだ。著者は、61歳の流通ビジネスコンサルタント。本には、コロナ後の販売方法が書かれており大変参考になった。そのため、「あとがき」部分の抜粋を書こう。

『この時代に、「モノを売る」ことをどう語るかは、難しい問題です。新型コロナが求める「三蜜回避」は、多くの人が集まって住み、触れ合い、行き交うことで発展してきた近代産業社会とは正反対のことが求められています。

それは裏を返せば、人間の共同的存在とは何なのか、成熟化と富の偏在と環境破壊が極端にまで進んだ今の社会に対して、「このままでいいのか」と、まるでコロナが我々に問いかけている気さえします。

しかし、緊急事態宣言の発出と解除が繰り返される中、解除のたびに多くの人々が商業施設で自分たちを「解放」するかのように活き活きと買いまわる姿をみると、やはり人間にはリアルな店舗での直接的な接触体験が不可欠なのだと実感します。

それは、テレワークが続く中でいくら機能が進歩しても、何とももどかしく余白がない「ZOOM会議」とも通じるものがあります。こんな状況の中、昭和とも、平成とも異なる令和時代の“売る”とはどういうことなのでしょう?

(中略)

本書では、顧客第一=顧客目線に立った販売の基本の話から、マーケティングの小売業への読み替え、そしてデジタルへの理解を踏まえたうえで「令和に売る」とはどういうことなのかを考えて来ました。そこで見えてきたのは次の2つです。

◎店舗(売り手)の視点からは、「モノを売る」段階から「コトを売る」段階へ移行してきましたが、さらに売る人の個性やスキルを打ち出し、販売スタッフの一人ひとりに、“ファン”を集める段階(人を売る)へ、そしてその、“ファン”たちのコミュニティそのもの、人間関係そのものを売っていく段階(コミュニティを売る)へと進化してきました。

◎これをお客様(買い手)の視点から見ると、単に「お金を払ってモノやサービスを買う」段階から、「店や企業の取り組みに共感」し、「自分もメンバーとして参加・支援する」段階へ、そして「投資としてお金を出す」へとシフトしています。社会課題や自己実現のための役に立つ商品やサービスを買うことは、単なる「商品代金」ではなく、社会や自己への「投資である」ととらえる感覚になっているのです。 (後略)

私は40年余り、中小・零細企業に関する仕事をしてきた。それで分かったのだが、企業(又は店)は人の集まりであるから、感情があるということである。この感情を同じ方向に持っていくことで、大きな力を発揮する。これは、ワールドカップサッカー大会の日本チームを見れば分かるだろう。

すなわち、以心伝心で「ワンチーム」にまとまることだと思っている。その方法は、店によって様々だろうが、その方法を考えるのが、社長や専務、補佐役・従業員一人一人だろう。そして、その中には当然、アルバイトの人も入っている。なぜなら、顧客には、誰が社長なのか、誰がアルバイトなのか分からないからである。

つまり、「三方良し」である。三方良しとは、 「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」 の三つの良しで、売り手の都合だけで商いをするのではなく、買い手が心の底から満足し、さらに商いを通じて地域社会の発展や福利の増進に貢献できるのがよい商売であるという、近江商人の心得を表した言葉である。

例えば、帯広は豚丼の“まち”として有名であるから、この店のことを考えてみよう。ここでも「売り手」と「買い手」がいる。買い手は言うまでも顧客で、売り手は①作る人、②運ぶ人である。それから全道各地から車でやってくるので、③駐車場管理人などであろう。これらのスタッフが、ワンチームにまとまることが大切だと思っている。

企業が大きくなるためには、企業の総和を高めることで大切で、高めることに貢献した人の給料が一番高いのはいうまでもない。店が大きくなるためには設備投資が必要で、そのために社長自身が自宅を担保物件に入れたり、連帯保証人になったりする。社長は何も偉い人ではないが、社長の給料が誰よりも高いのは命懸けであるからである。

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