十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

先生

2022-05-31 05:00:00 | 投稿

 

先生とは、 先に生まれた人。年長者 教師、学者。 国会議員、医師など、指導的立場の者などを敬っていう語である。

先日、会員が15名の小さな俳句会の月例会があった。昨年の11月に入会したばかりなので名前と顔が一致しないが、会員は教師であった人がほとんどであるらしい。

その中に入会を勧めたくれた8歳年上の恩師が、半年ぶりに来ていた。彼女は、私が中学2年の時の担任で、短大を出たての新米教師でクラスからのイジメにあったらしい。そのイジメに対して後日、教頭先生からこっぴどく怒られた覚えがある。今は緑内障で視力を失い、若い時の交通事故の後遺症もあり杖を使って何とか歩いている。

一般的に、先生の言葉の意味は既述のとおりであるが、私は指導的立場になったことがないため言われたことはないが、言われてみると悪い感じはしない。特に、国会議員の人などに使われるが、国会議員には嘘も多く指導的立場にいる者と思えない人もいるようだ。

ある時、知人の高校校長だった人が、「教師は、考えが狭くて困る」と言っていたが、当たらずとも遠からずと思っている。なぜなら人間は、“先生”といわれたらいつの間にか指導的立場になったような気になるからで、国会議員を見ていると、そんな気がしないでもない。もっとも、教師が指導的立場にならないと、子供たちに道徳が育まれないことも事実である。

何事も“初心忘れずべからず ”で、選挙前は平身低頭であるが、当選すると急に先生になる人がいる。ただ、財務大臣であった故与謝野馨氏は、謙虚な噓をつかない国会議員だったと思う。嘘も方便であるが、嘘はつかない方が良い。嘘は、泥棒の始まりでもある。

「十勝の活性化を考える会」会員


“知里幸恵”の映画化

2022-05-30 05:00:00 | 投稿

 

知里幸恵が映画化される。1903年(明治36)生まれの知里幸恵は、北海道登別市出身のアイヌ女性で、上川第五尋常小学校を卒業し、上川第三尋常高等科へ進んだ。さらに、旭川区立女子職業学校に進学したので、かなり優秀であった。つまり、アイヌ語も日本語も極めて上手であったのである。

19年間という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ文化の復活をもたらしたことで知られている。彼女は東京の金田一京助氏の自宅に4カ月あまり寄宿していたが、重度の心臓病をかかえ『アイヌ神謡集』を書いていた。

その著は、1922年(大正11年)9月18日に完成したが、その日の夜に心臓発作のため死去している。『アイヌ神謡集』は、まさに、命と引き換えの作品であったのである。『アイヌ神謡集』は出版直後から大反響で、次のとおりである。

 『 その昔、この広い北海道は、私たちの先祖の自由な天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼らは、真に時代の寵児、何という幸福な人たちであったでしょう。 (中略)

 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは、露ほども想像し得なかったのでありましょう。

時は絶えず流れる、世は限りなく発展していく。

激しい競争場裡に敗残の醜さをさらしている今の私たちの中からも、いつかは、二人三人でも強い者が出てきたら、進みゆく世と歩をならべる日も、やがて来ましょう。それは本当に私たちの切なる望み、明け暮れ祈っていることで御座います。

けれど、愛する私たちの先祖が起き伏す日頃、互いに意を通ずるために用いた多くの言葉、言い古し、残し伝えた多くの美しい言葉、それらのものもみんな果敢なく、亡びゆく弱きものと共に消え失せてしまうのでしょうか。おおそれはあまりにいたましい、名残惜しいことで御座います。

アイヌに生まれ、アイヌ語の中に生いたった私は、雨の宵、雪の夜、暇あるごとにむち打って私たちの先祖が語り興じたいろいろな物語の中、極く小さな話の一つ二つを拙い筆に書き連ねました。

私たちを知って下さる多くの方に読んでいただく事ができますならば、私は、私の同族祖先と共に本当に無限の喜び、無上の幸福に存じます。』

知里幸恵はこの本の中で、「おお亡びゆくもの、それは私たちの名、何という悲しい名前を私たちは持っているのでしょう」と書いている。何という辛く悲しい歴史がアイヌ民族に潜んでおり、日本人の一人として心苦しい限りである。

ところで、知里幸恵は三人兄弟で、“知里真志保”という弟がいた。彼は、北海道登別市に生まれ一高(現在の東京大学)を卒業している。彼の略歴は、以下のとおりである。

<略歴>

・1909年:登別市の登別本町にて誕生

・1021年:登別尋常小学校卒業

・1923年:登別尋常高等科卒業

・1933年:第一高等学校(現在の東京大学)卒業

・1943年:病気を理由に、豊原高等女学校依願退職(34歳)

・1947年:北海道帝国大学法文学部講師嘱託就任

・1950年:北海道大学文学部講師発令

・1955年:『分類アイヌ語辞典』出版

・1958年:北海道大学教授発令(49歳)

・1961年:心不全で死去(52歳)

知里真志保には3回の結婚歴があるので、自分に厳しく伴侶にも厳しい人でなかったかと思う。ただ、彼を知る樺太の豊原高等女学校の教え子たちには、優しい先生だったらしい。

知里真志保は52歳の若さで死んでいるが、分類アイヌ語辞典のほか多く本を書いている。 “アイヌ系日本人”という言葉も、彼が初めて使った。彼は、“帯広”の語源を表しているアイヌ語の“オペレペレケプの解釈についても、独自の解釈を展開している。

「十勝の活性化を考える会」会員


ある会員の入会動機

2022-05-29 05:00:00 | 投稿

 

私は1943年生まれの高齢者で、要介護2の障害は、今年で7年目になります。十勝歴は凡そ50年です。最近目にした資料に「年齢を重ねるに連れて、我を通す高齢者が目につき・・・」というのがありました。

曰く、とかく時間に余裕が出てくると他人のなすことに嫉妬したり、誹謗、中傷、排斥するようになりやすいと言います。以て、“他山の石”とせよと思いました。

「諸行無常」とは何かを経験し、色々なことに身を以て体験したことを活かして、世のため人のためと考え、・・・これが「十勝の活性化を考える会」に入会する動機となったのかも知れません。

この会では、年齢の違いを超えた先入観のない会話をする機会でありたいと思います。大所高所の心でしょうか、つまり、木の上に立ってものを見ると書く「親」の心です。

昔は平和な行き来があり、祖先が築いてきた歴史や文化、人間関係に思いを致しこの地の変遷と将来への展開を考えたいものです。

「十勝の活性化を考える会」会員


脳梗塞と脳出血

2022-05-28 05:00:00 | 投稿

 

脳梗塞は、脳の血管が詰まること、脳出血は脳の血管が切れることである。この二つは、何らかの後遺症を伴い死に至るケースもある。4年前の北海道新聞の『いずみ』欄に、以下の記事が載っていた。

『 2008年に脳梗塞を患い、言葉と右半身が不自由になりました。何をやっても思い通りにならず、いらいらすることも多くなり、側にいる夫は大変だと思います。嫌いな家事をしなければならないし、何度教えても、嫌いだから順番をなかなか覚えられないし、雑巾と台布巾を一緒にするし。

でも、夫は文句も言わず主婦に変身し、嫌いな家事をしっかりしてくれています。洗濯は、手洗いするわけじゃなく、洗濯機が勝手にやってくれるからと言って、やってくれるし、買い物にも行ってくれる。正直、買い物は私よりうまいかもしれません。

洗い物が嫌いなのに、食事の準備から後片付けまでしてくれるし、魚の骨を取るのが面倒と言って魚嫌いだった夫が、私のために魚の骨を取ってくれてもいます。時々、自分ができないことに情けなくなりますが、それまで何ごともなく、高慢になりかけていた自分に気付かせるために試練を与えられたのだと思います。

だから、自分は神様に選ばれたのだと思っています。人は1人で生きているわけではなく、周囲のたくさんの人に支えられて生きているのですから、これから周りの人に心から感謝しながら、謙虚に身を処していこうと思います。』

脳出血した財務官僚も、以下のようにも書いていた。

『 現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。』と。

 二人の投稿文を読むと人間は同じような経験をしなければ、当事者の苦労が分からないものである。しかし、脳出血や脳梗塞などの経験をしなさいと言うわけにはいかないので、少なくても相手の立場に立って物事を考えることが必要であろう。

水泳の池江璃花子選手も白血病を罹患した時、「その立場になって初めて、ガン患者の気持ちが分かるのではないかと思います。」と言っていた。このようなことは、いろいろな場面で遭遇するが、学校のイジメや会社のパワハラなどにも同じことが言えるのではないかと思う。

イジメやパワハラで自殺するケースがあとを絶たないが、その親の気持ちを考えると不運としか言いようがない。イジメやパワハラが一刻も早くなくなることを願っているが、コロナ禍のソーシャルディスタンスで、人間同士の距離がますます広がっているようだ。

 

「十勝の活性化を考える会」会員


俳優“渡辺裕之氏”の自殺で思ったこと

2022-05-27 05:00:00 | 投稿

 

俳優“渡辺裕之氏”の自殺で思ったこと

 俳優渡辺裕之氏(66)は今月3日、神奈川県内の自宅で亡くなった。妻で俳優の原日出子さん(62)によると、渡辺さんは新型コロナの感染拡大の影響などから「心の病」になり、治療を受けていたという。

大学の同じ空手部で同じ下宿にいた1年後輩の方も、「心の病」で50歳の時に東京の自宅で自殺した。彼は有能な商社マンであったが、目に見えないストレスを抱えていたのだろう。

コロナ禍で、俳優に限らず自殺が増えているという。病気だから、その人の気持ちに寄り添うことは難しいが、自分のような脳出血で一度は死んだような経験をした者にとっては、命はひとつしか無いのだから、大切にしてもらいたいと思っている。

 確かに、生きていると辛いこともある。しかし、ウクライナ戦争や知床観光船の事故に見られるように、死にたくなくても死んでいく人がたくさんいるのである。自殺してしまえば、本人は楽かも知れないが、残された遺族にとっては、とても悲しいのである。

 体力を鍛えること大切であるが、同時に心も鍛えてほしい。もっとも、私のような高齢者になると、体力を維持するのも大変である。最近、老人で杖を突いて歩いている人やバスの中で杖を持っている人が目につくようになったが、体力が維持できなくなったからであろう。

 自分は身長163センチで、体重が80キロ以上ある。介護施設のスタッフから、体重を5キロぐらい減量するように言われて1日2食にして、食べる量も減らしているが減らない。その理由は、好きなビールや焼酎を飲むからだろう。アルコール中毒かもしれないが、好きな酒までやめて長生きしたいとは思わない。

「十勝の活性化を考える会」会員