十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

俳句と短歌

2022-07-31 05:00:00 | 投稿

 

先日、プロフェッショナル仕事の流儀夏井いつきを放映していた。俳人 夏井いつき氏は、テレビ放映「プレバト」で俳句ブームの火付け役となった人である。“俳句17文字でつくられるが、彼女に言わせると俳句は病気を治す薬で、自分が満足すれば良いのだという。

人間同士には“阿吽の呼吸”というものがあるが、言葉でつながる部分が多く日本の文化である俳句や短歌は、大切にすべきだであると思っている。アイヌ民族の地位向上のために一生を捧げ、新聞や雑誌にその思想を短歌の形で発表したアイヌの三大歌人の一人“違星北斗”のように有名ではないが、十勝の俳人“井浦徹人氏”の歌碑が帯広市緑丘公園にある。当時の井浦氏は句会を主宰しており、父に連れられて句会を見にいったことがある。

一方、短歌は31文字で作られるので、俳句に比べてその情景が分かりやすいような気がする。短歌で有名な中城ふみ子は、1922年(大正11)生まれの歌人で、戦後の代表的な女性歌人の一人。現在の帯広三条高校出身で、若くしてガンを患いながら歌集「乳房喪失」を出版し、高い評価を得るに至った。

昨年11月、知人が主催している俳句会に入会した。俳句は、政治家のようにウソをつかない。下の短歌は、享年29歳でこの世を去った違星北斗の辞世の句で、なんという侘しい短歌だろう。

「世の中は 何が何やら 知らねども 死ぬことだけは 確かなり」

「青春の 希望に燃ゆる 此の我に ああ誰かこの 悩みを与えし」

また、次の俳句は会社上司のものと入会している会員のものである。

「今年また 同じ処に 曼殊沙華」

「数え日や からくり人形 追うてくる」

主宰している句会の先生が、ふたつの俳句を絶賛していた。上の俳句は、私と同じ脳出血を罹患した身障者が詠んだもので、その心情がよく分かる。また、下の俳句は高齢者が詠んだもので、明日は我が身のことで情景が目に浮かぶようである。

なお、十勝開拓の父依田勉三、北海道開墾を目的として結成された「晩成社」の1327名を率いて、30歳の時に入植している。彼は、開墾の はじめは豚と ひとつ鍋の俳句を詠んだといわれている。

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炭鉱の町

2022-07-30 05:00:00 | 投稿

 

2007年、夕張メロンで有名な夕張市が事実上の財政破綻をした。夕張市は、最盛期にはおよそ12万人も住む炭鉱の町であったが、令和4年6月末の人口は、実に1/20の6千人である。

石炭から石油へのエネルギーシフトにより人口が減少し、この流れが止まる気配はなく、65歳以上の高齢化率は50%超と市の中では全国一番である。3年前、鈴木直道北海道知事(当時、夕張市長)の講演を帯広畜産大学で聞いてきたが、その時に夕張市長は、「30年後の東京は、今の夕張市と同じになっているかも知れない」と語っていた。

夕張市ほどの人口減少は予想されていないが、夕張市のように財政がたちいかなくなる自治体が続出するだろう。日本の人口減少は始まったばかりで、これから本格化するので、価値観を変えなければいけないと思っている。

日本のエネルギーは昭和30年代まで石炭で、釧路にも30カ所以上の炭鉱があった。12年前、昭和45年(1970年)に閉山した阿寒湖に近い雄別炭鉱の跡地を見にいって驚いた。そこには人が住んでおらずゴーストタウン化し、今から50年前に1万5千人が住んでいた町とは思えなかったのである。

日本の高度経済成長期は、1950年代から1970年代であるが、この間、自動車産業や化学産業などが大きく発展を遂げた。一方で衰退産業も多くあったが、その中に石炭産業があり、参考までに炭鉱町の最盛期の人口と最近の人口の減少率をみてみよう。

【夕張炭田】

・夕張市:12万人から6千人(約1/20)

【筑豊炭田】

・田川市:10万人から5万人(1/2)、飯塚市:20万人から2.6万人(1/8)

北海道は、戦後まもなく樺太などからの引揚者が多く、東京ではなく国内で一番の人口を占めていた県であったが、現在は約520万人。30年後には、過疎化で約2割減少の400万人が予想されている。

ところで、釧路市の人口は、昨年末で帯広市の人口と逆転し、北海道で6番目の市に転落したそうだ。釧路は、昭和44年(1969年)から9年間も水揚げ量日本一を記録した漁業の町であったが、地球温暖化で漁獲量が減少し魚種も変わってきた。

以前、サンマは獲れすぎるほどの魚だったが、今は海流の変化などにより全く獲れず、サケの水揚げも年々減少しているそうである。このように地球温暖化の影響ははかり知れないが、ある大学教授によれば、地球温暖化で北極海航路が通年にわたって通行可能になり、釧路がヨーロッパとの物流拠点になる可能性があると語っていた。

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襟裳岬

2022-07-29 05:00:00 | 投稿

襟裳岬に行ったことがあるだろうか。北海道えりも町にある襟裳岬といえば、“何もない春です”というフレーズが印象的であるが、私は中学1年生の時に初めて行った。その時は干潮であったからであろうか、ウニがたくさん採れて岬の先までいった記憶がある。そんな襟裳岬であるが、地の果てを想像させる景色を見ようと全国から観光客が訪れる。えりも町はコンブ漁が盛んで家族で生計を立てているので、北海道では出生率が一番高いそうである。

岬には、「襟裳岬」の歌碑も建っているので、その歌詞の光景の通りなのだと実感できる。歌手森進一さんは、第16回日本レコード大賞の大賞、第5回日本歌謡大賞の大賞をダブル受賞 している。

ちなみに、昭和49年の『第25回NHK紅白歌合戦』は、紅組のトリが、島倉千代子の『襟裳岬』、白組のトリが森進一の『襟裳岬』という快挙になった。当初は“襟裳の春は何もない春です”に、えりも町の町民などから反発もあったらしいが、このうたのヒットで襟裳岬を訪れる人が急増し、北海道の旅ブームになったという。

歌:森進一

作詞:岡本おさみ

作曲:吉田拓郎

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を
ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です

君は二杯めだよね コーヒーカップに
角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です

日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああ おくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

(写真:襟裳岬)

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寛容性

2022-07-28 05:00:00 | 投稿

現代社会にとって、今まで知らなかった人とつながるのは嬉しいことで、フェースブックの“友達リクエスト”を基本的に断わらないようにしている。なぜなら、コロナ禍によるソーシャルディスタンスや個人情報保護法などもあり人とのつながりが失われ、現代社会は”生きづらい社会”になっているからである。

私の座右の銘は“人類みな兄弟”であり、兄弟国と思っているロシアが隣国のウクライナを攻める戦争は全く理解できない。人間は、和人とアイヌの戦いであるシャクシャイン戦争に見られたように、昔から他の集団や異民族に対しては残酷且つ差別的に対応し、顔なじみの同朋や友人には礼儀的に振舞っていた。従って、今回のウクライナ戦争では停戦があっても話し合いでは合意できない可能性が強く、イデオロギーの対立はまだ続くであろう。

この戦争で感じることは人間が持っている欲のことである。人間には、食欲、性欲、睡眠欲、金銭欲、名誉欲の五欲があり、人間の本質はこの欲望・理性・社会性(自利利他)で成り立っているといわれている。

人間は誰しも、友人・会社・社会から認められたいと思っている。人間は社会的動物であるから、まわりの人々から価値ある人間と思われることによってのみ評価されるのである。だから、自分は価値ある人間だと自己認識しても意味を持たないのである。このように思っている人間が、自分を含めて極めて多いように思う。

人間は主観的ではなく客観的に見ることが大切なのであるが、どうしても出来ない。その理由は、他の動物と同じように自分中心に物事を考えるからであろう。ただ、ほかの動物と違うところは、他人を尊敬し価値ある人間と認めることができることである。戦争が、人間の本質で引き起こされるとは困ったものだが、残念ながら戦争が起こらなかった時代はない。

未来学者のハラリ氏は、人間はますます個人主義化し“戦争と競争の時代”に突入し10年後の世界は予想できないと語っていたが、ロシア軍のウクライナ侵攻などを思うと、世界はいま戦争の危機にあるといっても過言でないだろう。

 日本はまわりが海で囲まれているが、ユーラシア大陸の国々は陸続きで様々な民族が住んでおり、イデオロギーや宗教にも違いもあり戦争になるのだろう。もし、世界中の人々が同じ言葉でつながるようになれば戦争も少なくなると思う。人間には多様性があるからイデオロギーや宗教に違いがあっても、これを受け入れる“寛容性が大切である。いま、現代人からこの寛容性が失われつつあるのではないだろうか。

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絵画展

2022-07-27 05:00:00 | 投稿

       

先日、帯広市民ギャラリーで絵画展を見てきた。出展数は、会員や会友など80点余りで、その中に友人の油絵“陽光の川面”もあった。ギャラリーには、水彩画で地元では有名なA氏が来ていたので、絵画についていろいろと講評を聞いた。そのひとつひとつが素人でも分かる明快な説明であったので、大変勉強になった。

彼は小学校時代からのクラスメートで、地元の十勝では知らない人がいないほどの腕前で、彼も大作を出展しており異彩を放っていた。彼は、農民画家 神田日勝の絵にも言及し、「絵画には画家の思いが必ずあるので、その点に注意しながら見ると面白いですよ。」といっていた。

同じ会社だった友人の油絵は、いつも散歩で行く公園の小川を描いたそうで、彼の思いは何であったであろうか。一方、道外での知名度は高くはないが、一昨年のNHK連ドラ「なつぞら」で神田日勝をモデルとした画家「山田天陽」に注目が集まって、「神田日勝記念美術館」には、開館以来になる4倍の入館者があったそうだ。

彼の絵は、痩せ馬飯場の風景など分かりやすい絵が多いので、本州などから来た友人を必ず案内する。以前、愛知県一宮市に住んでいたが、美濃焼陶器メーカーの社長が、次のようにいっていた。「趣味は人によって違いますが、陶器の良し悪しは見ているうちに少しずつ分かってきます」と。

趣味には絵画、読書、音楽鑑賞などたくさんあり、年数と共に奥深さや良さが少しずつ分かってくるようだ。絵も人なりで、神田日勝画伯の絵には何か訴えるものがあり、是非、同館に足をはこんでほしい。

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