先日、大阪市立大学准教授 斎藤幸平氏“人新生の「資本論」“の本を読んだ。 この本は、新型コロナ禍によって一層明らかになった資本主義の限界について問題点を明らかにして、利潤優先の市場経済に対して疑問符を突き付けたものである。本には、次のことが書かれていた。
『労働は、人間と自然の媒介活動である。「資本論」で展開された物質代謝論によれば、人間は自然と労働でつながっているのだ。だからこそ、労働のあり方を変えることが、自然環境を救うために、決定的に重要なのである。
あえて挑発的にいえば、マルクスにとって、分配や消費のあり方を変革したり、政治制度や大衆の価値観を変容させたりすることは、二次的なものでしかない。一般に共産主義といえば、私的所有の廃止と国有化のことだという誤解がはびこっているが、所有のあり方さえも、根本問題ではない。
肝腎なのは、労働と生産の変革なのだ。ここに、マルクス主義や労働者運動に対する危機感ゆえに、「労働」という次元に踏み込もうとしない、旧来の脱成長派と本書の立場の決定的な違いがある。 (中略)
マルクスは社会的生産・再生産の次元にこそ焦点を当てたのである。生産の場における変革こそが、システム全体の大転換に向けたエンパワーメントになると確信していたのだ。』
ここで書いていることは、中途障害者で知人のキャリア官僚が言っていることと同じように思われた。
『 現在私は、定期的に医療や福祉サービスを受けています。医療や福祉をはじめとして多くの社会組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との関係があります。医療では医師と患者、福祉では、支援者と障害当事者といった具合です。
それは意識の根底に、自分が他者に対して何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思い込みが忍び込んでいることもあります。障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思い込みは、気づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう状況を経験しました。
最近、人が人を世話したり、支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くものです。
現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。
これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこから“こころのきっかけ”が生まれました。
今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワーメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています。』
ところで先日、友人から彼の母親に関するメールが届いた。以下は、彼からのメールである。
「わが母・92才は心不全でペースメーカー装着、大腿骨骨折・ブロック挿入等で歩行不能ですが、先月の認定で、何と、要介護3から要支援2に変更となり、老健施設から介護付民間有料施設への短期間での転所を余儀なくされました。老健施設側ではいかんともし難く、バタバタと転所しました。全く納得がいかず、認定情報の開示を請求し再審査の請求途上です。日本の財政難は身近なところに来ており、行政のいい加減さを痛感するところです」と書かかれていた。
私は「介護1」で、機能回復型デイサービス(介護施設)を利用している。一般的に介護施設は生産性が低く機械化が困難で、「労働集約的産業」と言えよう。介護の仕事は時間をかける必要がある。そして何より、介護の受給者は老人が多いのでスピードアップを望まないのである。
そして、労働集約的な介護施設は「生産性」が低く高コストとみなされ、財政難から政府から現場の管理者層まで、無理な効率化を求められ理不尽な介護認定が行われるようになったのである。まさに日本国は、貧すれば鈍するである。
資本主義は、利潤を求めすぎて人間搾取や市場経済などによりおかしくなったのである。そのためにリモートワークなどの働き方改革が叫ばれだし、それが新型コロナ禍により一段と進んでいるのである。一方、言論の自由がない中国が、いち早く新型コロナ禍から脱出し経済活動が復活したらしい。ただ、中国も早かれ遅かれ人口減少時代がくるので、生産力はそれほど伸びないだろう。日本はすでに人口が減り始めており、一体どうしたら良いのだろうか・・・。
ご承知のとおり経済は、消費と投資の有効需要で回っている。この消費と投資がうまく循環していけば良いのであるが、この有効需要が新型コロナ禍で落ち込み、世界経済が大変なことになっているが、今が日本の社会を変える絶好のチャンスだと思っている。これからの日本の役割は、世界に先駆けての脱炭素社会の実現で、 “地球温暖化”により地球の危機がそこまで来ているからである。30年後の世界各国では、温室効果ガスの半減を目標としているが、“SDGs”の目標を達成できるのは1割程度と見られている。
「十勝の活性化を考える会」会員