先日、民放のモーニングショウで、“記憶にございません”という武田総務大臣の国会での答弁に関して放映していた。これに関連して、作家 吉永道子さんが記憶のないことに関して、「最近の政治家や官僚は、頭が悪い人が多い」とも言っていた。
私は認知症なので人の名前を何回も聞くが、すぐに忘れる。しかし、大切なことは記憶しているつもりなので、記憶にございませんとはあまり言わない。証拠となるテープなどを聞かされるとすぐに翻意するのは官僚などと同じであるが、本当に使い勝手のある責任を逃れる言葉である。
”記憶にございません“という言葉で思い出すのは、ロッキード事件の小佐野賢治氏である。ロッキード事件では、米航空機メーカー、ロッキード社の航空機受注をめぐり、30億円もの工作資金が政財界にばらまかれ、最終的に田中角栄元首相までが逮捕された戦後最大の政界汚職事件と言われている。
この事件において、国際興業創業者の小佐野賢治氏が裏金のカギを握る人物とされ、衆議院予算委員会で証人喚問された際、多くの質問に「記憶にございません」を連発、同年の流行語にもなった。その後も“記憶にございません”は、偽証や証言拒否を避けつつ回答に向き合わない戦法として、国会答弁の決まり文句になった。
この言葉とウソはほとんど同じで、今の子供にウソが多いのは、このように大人がウソをつくからだと思っている。素直な子供に育てるためには、まず“傀より始めよ”で、大人がウソをつかないことである。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 傀より始めよ
大事をなすには手近なことから着手せよとの意、転じて、いいだした者から始めよとの意。
中国戦国時代、燕の昭王が天下に人材を求めたとき、遊説者の郭隗が王に「昔、王から名馬を求めてこいと千金を託された馬丁が、遠方まで出かけて行って死馬の骨を五百金を投じて買って帰った。王がそれをなじると、『死馬の骨ですら五百金で買う王なら、生きた馬はきっと高価に買ってくれるだろうと、いまに天下の名馬が王のもとに集まってくるに違いない』と答え、はたして王は千里一駆けの名馬を三頭も求めることができた」というたとえ話を語り、「これと同様に、賢者を招こうとするなら、まず私のようにあまり優秀でない者を優遇することから始めるのがよい。そうすれば、秀れた賢人が王のもとに続々と集まってくる」と説いた、と伝える『戦国策』や『史記』の故事による。
(出典:小学館 日本大百科事典より抜粋)