十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

新型コロナウイルス

2020-02-29 05:00:00 | 投稿

いま、「新型コロナウイルス」が、世界に猛威を振るっている。ウイルスが人類に対して、反旗を翻しているようだ。自然温暖化を生じさせたのは、私たち人間である。この100年間で、十勝の平均気温が2度も上昇し、これからの100年間に、45度も上昇する予測もある。

 

地球上では平均気温の上昇で砂漠化し、作物が枯れて多くの人が死亡、または飢餓に陥っている。そして、オーストラリアの火災では、6億匹の動物が焼け死んだそうだ。まさに、地獄の世界を見るようだ。ただ、ピンチはチャンス!に変える絶好の機会でもある。

 

政府がイベントを中止し、子どもは学校に行かずに自宅で待機せよと言っているので、この機会に働き方を改革しようではありませんか。

 

最近、むっつり顔で働いている人が意外と多い。きっと毎日が多忙なのだろう。 忙しいという字は心が失うと書くから、心を失っているのだろう。

 

先日、ルース・ベネディクト著 菊と刀」の本に、以下のように書かれていた。

 

『西欧人は、彼の目から見れば主義の変更としか見られない、このような変化を眺めて、それに疑念を抱く。しかしながらそれは、個人的な関係でおいてであれ、国際的な関係でおいてであれ、日本人の処世法の必要欠くべからず一要素となっているのである。

 

日本人は、ある一定の行動方針を取って、目標を達成できなかった場合には、「誤り」を犯したというふうに考える。彼は、ある行動が失敗に終われば、それを敗れた主張として棄て去る。

 

彼はいつまでも執拗に、敗れた主張を固守するような性格にはできていない。日本人は、「ほぞを噛んでも無益である」と言う。

 

1930年代には軍国主義が一般に容認されていた手段であって、彼らはそれによって世界の称賛を得ることができると考えた。そして、そのような計画が要求する一切の犠牲を忍んだ。

 

1945814日に日本の最高至上の声として認められている天皇が、彼らに敗戦を告げた。彼らは、敗戦の事実が意味する一切の事柄を受け入れた。

 

それは、アメリカ軍の進駐を意味した。そこで彼らは、アメリカ軍を歓迎した。それは彼らの侵略企図の失敗を意味した。そこで彼らは進んで、戦争を放棄する憲法の立案に取りかかった。

 

対日戦勝日の10日後に、日本の一新聞、『読売報知』は、「新たな芸術と新たな文化の発足」という論説をかかげ、その中で次のように論じている。

 

「われわれは心の中に、軍事的敗北は一国の文化の価値とは何のかかわりもないものであるという、確固たる信念を持たなければならない。軍事的敗北は、それを一つの転機として役立てなければならない。

(中略)

 

日本国民が世界に思いを馳せ、事物をあるがままに客観的に見ることができるようになるためには、国家的敗北という甚だしい犠牲が必要だったのである。これまで日本人の思考を歪めていた一切の非合理性は素直な分析によって、除去しなければならない。 (中略)

 

この敗戦を冷厳な事実として直視するには、勇気を必要とする。しかしながら、われわれは、明日の日本の文化に信頼を置かなければならない」

われわれは、一つの行動方針を試みて敗れた。今日からは、ひとつの平和的な処世術を試みてみよう、というのである。

 

日本の各新聞の論説は、「日本は世界の国々の間に伍して尊敬されるようにならねばとならない」ということをくり返し論じた。そしてこのあらたな基礎の上に立った尊敬に値する人間となることが、日本国民の義務とされた。(後略)』

 

私はこの本を読んで、日本人は他国の人と比べて違っていると思った。1年前、U18アイスホッケー世界大会が帯広市で開かれ、決勝戦はアメリカチームとカナダチームで行なわれたが、この時も同じように感じた。外国人は、素直に感情や表情を表わす。

 

一方、日本人は「恥じらい文化」というか、素直に表情や感情を表わさないことが多い。日本人は、周りの空気を読む場合が多く神経がこまやかである。だから、俳句や短歌の気持ちが分かるのであろう。

 

「古池や 蛙飛び込む 水の音」 

「荒海や 佐渡に横たう 天の川」  (松尾 芭蕉)

 

 

この俳句の情景や作者の気持ちが分かるのは、自分が日本人であるからであろう。ただ最近は、外国人にも俳句などをやる人が多くなっていると聞く。

 

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連載:関寛斎翁 その21 斗満・陸別の原野を開拓

2020-02-28 05:00:00 | 投稿

関寛斎伝・斗満・陸別の原野を開拓
苛酷な自然とのたたかい


 明治三十五年、関寛斎は古希を過ぎて七十三歳になった。この年の八月五日、寛斎はアイ夫人に見送られ、三男餘作らとともに札幌を出発し、未踏の原野と湿原とぬかるみを泥行し、辛苦の踏破で八月十日、斗満入りとなった。
「トマム」、関寛斎父子が入植開拓したこの土地は、アイヌ語で、「水多く湧き出る集まる所」の意であるが、明治三十四年七月、関又一が「斗満」の字を当てて以来、広く用いられ定着した。(「関牧場の考察」より)
一同は、小高い山すそから滾滾と清水が湧き出ている場所を生活の拠点に選び、寛斎は自らこの丘を「清龍山」と命名した。現在ここに登ると、陸別町が一望できる格好な場所で、小高い丘の一帯は「関公園」と称され、「関稲荷」が祀られている寛斎ゆかりの地となっている。
 この丘は、かってアイヌの古城・城壁のユクエビラチャシ(注1)だったことが判明。それによると、この砦は当時、約一五〇〇人ものアイヌが居住していた集落だったことがわかり、現在は「国推定重要文化財」になり、整備が進められている。
 すでに、この避り一帯は、前年から又一、片山八重蔵らによって、開拓が着手れされつつあり、文字通りのあばら家とも云うべき「茅屋」が出来ていた。

 こうして、斗満には、寛斎の到着前に、又一等によって小規模ながら牧場が造成され、片山八重蔵によって、種馬、北宝号・耕煙号・瑞祥号・札幌号の四頭を樽川農場から移動させている。合計馬五十二頭、牛七頭が飼育されていた。

朝早く目覚めた寛斎は、早速、馬匹を見に放牧場に出かけた。一見して馬匹の群れが移動して過不足のあることがわかり、小馬一頭が臀部に裂傷を負っている。
「やられた、畜生」と言う声に凝視して見ると、筋のように裂けている。「熊害(ゆうがい)だ。熊の爪にかけられたものの、逃げ出して無事だったんです」と、小馬ゆえ危険予知がまだ十分に身につかない結果の不幸である。
北海道は今でも熊害による損傷がマスコミなどで報ぜられるが、当時はまさに危険と隣合わせだったのである。
この日を始めとして。熊による被害は次々と発生する。家畜にかぎらず何時、人々に被害がふりかかってくるやもしれぬ。寛斎は一計を案じ、馬匹の被害を防ぐため、アイヌを雇い(注2)、熊一頭を捕らえれば金五円(現在の約六万六千円)宛てを賞金として与えることにした。
熊はもとより、蝦夷地は野兎、野鼠、イタチ、野狐をはじめ、その地名が冠に付く、エゾシカ・エゾリス・エゾイタチ・エゾウサギ・エゾリスが、野山を跳梁している動物天国である。

渡辺 勲 「関寛斎伝」陸別町関寛斎翁顕彰会編

 

注1.ユクエビラチャシ

陸別町ホームページより

注2.熊撃ちアイヌ:「イコサックル」さんと思われる(筆者)

 

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講演会延期のお知らせ

2020-02-27 05:00:00 | 投稿

このたびの新型コロナウイルス感染により、命を落とされた方々に哀悼の意を表しますと共に、現在闘病中の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
この情勢を鑑み感染拡大防止のため、今回の講演会は延期させていただくこととなりました。
会員や関係者の方々には大変申し訳ございませんが、ご理解いただきますようお願いします。
次期開催につきましては、改めてご案内させていただきます。

「十勝の活性化を考える会」事務局

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おもてなし

2020-02-26 05:00:00 | 投稿

おもてなし」は、小泉進次郎大臣の妻になった滝川クリステルさんの言葉で有名になったが、外国人観光客が増えている日本にとって観光業は、大変重要になってくると思う。なぜなら、製造業で外貨を稼ぐことが出来なくなってきているので、観光業で頑張るしか方法がないのではないかと思う。

 

東日本大震災の時、外国人から震災で略奪が起きないのが不思議に思われたらしいが、それだけ日本人の道徳水準やマナーが、外国人と比べて高いのである。

 

北海道の人口もこれから減少の一途を辿るらしいが、「道産子」が一丸となって「おもてなし」に徹すれば、地球温暖化などで北海道は住みやすくなると思うので、移住者がもっと増えると思う。

 

「十勝の活性化を考える会」会長

 

注) おもてなし

おもてなしとは、心のこもった待遇のこと。顧客に対して心をこめて歓待接待サービスをすることを言う。「もてなし」に「お」をつけて、丁寧にした言い方である。

 

2013年平成25年)9月7日に、国際オリンピック委員会第125次IOC総会で、滝川クリステルが「おもてなし」と発言したことから、この言葉が世界に広まった。滝川クリステルは、東京にオリンピックを招致するアンバサダーとして壇上に上り、フランス語で「日本のおもてなし」というものを紹介した。このことにより、「お・も・て・な・し」は2013年新語・流行語大賞に選ばれるまでになった。

お遍路におけるお接待など、布施の精神に基づくものが、日本の文化として知られる(遍路接待には、良い行いの実践としての意味、功徳を積むという意味がある)。

地方公共団体には「おもてなし課」を設置しているところが存在する。

日本国政府は、日本の国家政策として観光立国を打ち出し、外国人観光客を毎年2000万人以上にすることを目標値にした。観光立国の実現のためには各地域において、国外・国内からの旅行者の受け入れ体制を向上させる必要があるので、観光庁は2014年(平成26年)に、各地域の観光協会等に参加を促し「観光おもてなし研究会」を設置した。

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)

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絵 本

2020-02-25 05:00:00 | 投稿

 

令和2131日付け十勝毎日新聞の「編集余禄」欄に、以下の記事が載っていた。

 

『日本・中国・韓国の絵本作家が手をつなぎ、子供たちにおくる平和絵本シリーズというものがある。 そのひとつ浜田桂子作「へいわってどんなこと?」を見てみた。

1ページ目は、「せんそうをしない。」の一文。 「ばくだんなんか おとさない。」 「いえや まちを はかいしない。」 「だって だいすきな ひとに いつも そばにいてほしいから。」とページごとに続いていく。

 

分かりやすい文と絵。

読み進めると、ご飯が食べられる、みんなと勉強ができる、遊べる、ぐっすりねむれる、生まれてよかった、友だちになれる・・・など、日常の当たり前なことの尊さが自然と伝わってくる。

 

浜田さんは、「15年前、このプロジェクトが始まった。日・中・韓の関係はいつもぎくしゃくしている。自分たちは外交官ではないが、絵本を作っているアーティストとして、中国、韓国の人と平和の絵本を作れば、将来を生きる子供たちに大きな意味があるのではないか」とテレビで語っていた。

 

先日、米科学誌が毎年発表している、世界の終りまでの猶予時間を象徴する「終末時計」の最終時刻を「100秒」と発表した。昨年から20秒進めて過去最短となった。

終末時計の時刻は、過去1年の世界情勢に基づき決定する。核の脅威が深刻化していると警鐘を鳴らしている。絵本に描かれている「平和」を守りたい。』

 

 

「十勝の活性化を考える会」の令和元年922日付けブログにも、下記のとおり「原爆」や「平和」のことを書いていた。

 

【原 爆】

『広島市は86日、長崎市は同9日に被爆から74年の「原爆の日」を迎えます。以前、戦争の記憶を後世につなぐため、広島市の平和記念式典に参列する胆振管内の子供たちに同行して取材しました。6日には夜明け前から、多くの市民らがあちこちで祈りをささげており、街全体が厳粛な静けさに包まれていました。

 

広島、長崎の平和や原爆関連の記事を伝える記事では、北海道新聞を含め多くの新聞社が「ヒロシマ」「ナガサキ」というカタカナ表記をよく使います。特別な決まりはないのですが、地名の広島と区別するというのが理由です。私も当時の記事で「ヒロシマは時間も場所も越え、「子供たちに戦争の恐ろしさを刻んだ」などと書きました。

 

一方、広島市は特別な意味を込めて使っています。広島平和記念資料館のホームページによると、「被爆都市として世界恒久平和の実現をめざす都市であることを示す」と説明。その上で「全人類の共存という立場に立って広島の被爆体験を継承し・・・」といった使用例を紹介しています。

 

最近、国際情勢は不安定になっており、「核」への懸念が徐々に強まっています。そんな時だからこそ「ヒロシマ」「ナガサキ」という表現に込められた願いに、私たちは思いをはせる必要があるのかも知れません。 (令和元年83日付け北海道新聞夕刊「校閲の赤いエンピツ」記事)』  

「十勝の活性化を考える会」会長

 

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