十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

日高山脈・襟裳国定公園の国立公園化

2021-05-31 05:00:00 | 投稿

 

環境省が、早ければ2021年末を目指して、日高山脈・襟裳国定公園の「国立公園化」を目指して動いている。日高山脈は、北海道の中央南部にある山脈で、狩勝峠側の佐幌岳から襟裳岬までの、長さはおよそ150 kmである。

高山脈は地形や地質に独特のものがあり、植物や高山チョウなど固有種が多数みられ、野生生物の重要な生息環境となっている。外国にあるアルプス、ヒマラヤなどの山脈の多くは、地殻運動による横圧力によって地層が褶曲した褶曲山脈であるが、日高山脈も褶曲山脈である。

趣味が登山だったので日高山脈の主要な山に登ったが、「北海道の登山は、日高に始まり日高で終わる」と言われるように魅力一杯の山々が連なっている。また、山の斜面を氷河がスプーンですくったようなくぼ地になっている日本では数少ないカールを見ることができる。日高山脈のカールを見ると、1965年に起こったカムイチカウシ山(通称、カムエク、1,979m)での北大山岳部の雪崩遭難事故を思い出す。

これは、登山隊6人が十ノ沢での露営中に大規模な雪崩に巻き込まれ、全員が死亡した事故である。6人は決して危険な場所に雪洞を掘っていたわけではなく、国内最大級の雪崩に巻き込まれたのである。

春の雪融けを待って再開された捜索で、全員の遺体を発見した。そして、奇跡的に即死を免れた山岳部リーダー澤田義一が、テントのわずかなすき間で1週間にわたって書き綴った遺書がポケットから発見され、大きな反響を呼んだからである。遺書の最後には、母親宛てに「先に死んでいく、私の我がままをお許しください。」と書かれていた。

日高山脈・襟裳国定公園が国立公園に昇格すれば、十勝では「阿寒摩周国立公園」、「大雪山国立公園」につぐ3カ所目で、北海道では「釧路湿原」に続く7カ所目となる。日本には34カ所の国立公園があるそうだ。なお、カムイチカウシ山は、熊が転げ落ちるほど急峻な山の意で、2枚目の左側の写真にある真っ白く輝いて山で、中央の山は、日高山脈最高峰の日高幌尻岳(2,052m)である。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 日高山脈の写真

(日高山脈の中部の稜線。神威岳より北方を望む)

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 


北海道 十勝の深掘り ラワンぶき

2021-05-30 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


北海道遺産認定
2001年「ラワンぶき」が北海道遺産に選定されました。北海道遺産は、次の世代に引き継ぎたい北海道の自然・文化・産業の宝物で、その一つとして選ばれました。

「ラワンぶき」とは、足寄町の螺湾(ラワン)地域に自生しているアキタブキの仲間で大きくなると高さ3m、太さが10cm以上に育つ日本一大きなフキです。

https://www.jaasyoro.jp/products/rawan.php

 

 

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アイヌ系日本人

2021-05-29 05:00:00 | 投稿

日本には残念ながら、同じ日本人である “アイヌ系日本人に対する差別が、まだ存在しています。アイヌ系日本人とは、北海道登別市に生まれ一高(現在の東京大学)を卒業したアイヌの天才青年“知里真志保”が初めて使った言葉で、東大名誉教授 江上波夫氏も、著書”アイヌと古代日本”で使っています。

アイヌと聞くと、昔、北海道の大自然の中で自然と共生し、平和でエコロジカルな生活を送っていた民族というのが一般的ですが、これは歴史的事実と少し異なっています。 例えば、中国の元王朝時代、樺太アイヌが現在の沿海州地方に出兵し、元王朝と戦争していたのです。その理由は、元(モンゴル帝国)が当時珍重されていた毛皮などの品々をアイヌから調達するために、お互いが争ったのです。

江上氏によれば、アイヌは縄文の伝統を色濃く残す民族で、本州で弥生文化が定着したあとにも従来の縄文の伝統を守り続け、弥生人に同化しなかった人々、それが蝦夷(エミシ)ということになります。そしてエゾになり、江戸時代のアイヌになったのです。だから、エミシと呼ばれた人々は、北海道や東北だけでなく広く関東地方の以北に住んでいました。

また、司馬遼太郎氏は著書街道をゆく(オホーツク街道)を読むと、日本列島に住んでいたみんなが縄文人=蝦夷(エミシ)であり、そのDNAを持っているアイヌは、縄文人の文化を守り続けた人々の後裔であると書いています。

群馬県と栃木県の一帯は、古代に毛野国と呼ばれていましたが、一説ではその毛野国は、毛人=蝦夷(エミシ)の住む地域のことをさすと言われており、東国(あずまのくに)は実は、エミシと呼ばれた人々の住む国だったのです。 私たちは、知らないことがたくさんあり、アイヌ系日本人の歴史やアイヌ文化等についても広く学び、理解を深めなければいけないと思います。

エミシは、大和朝廷やその支配下に入った地域への帰属などを拒否した集団で、統一した政治勢力とはなりませんでした。積極的に朝廷に接近する集団もあれば、敵対した集団もあったと言われていますが、次第に影響力を増大させていった大和朝廷により征服・吸収されていきました。なお、和人とは江戸時代から使われ始めた言葉です。一方、アイヌという「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、本州の人々とアイヌとの交易が増加した17世紀末から18世紀初めの時期といわれています。アイヌには北海道アイヌ、千島アイヌ、樺太アイヌ、東北アイヌなど、地域の文化の違いなどによって様々なアイヌがいます。

アイヌは人間という意味で、民族名でもあるアイヌですが、差別の目を避けるために、一時はウタリ(同胞)へと変えざるを得ませんでした。北海道アイヌ協会も、1961年(昭和36年)に“ウタリ協会”と改称し、2009年(平成21年)に再度、前の名称に戻りました。いま再びアイヌの名がよみがえったのです。

また、「北海道旧土人保護法」は、1899年(明治32)に北海道アイヌを「保護」する目的で制定された法律でしたが、逆にアイヌの差別を生むことになりました。アイヌは土人、即ち土着の人のことも言い、逆にアイヌからは和人のことを、シサムあるいはシャモと呼ばれていました。

「十勝の活性化を考える会」会員T

 


北海道 十勝の深掘り サケ捕獲権確認求め提訴

2021-05-28 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


サケ捕獲権確認求め提訴、北海道

浦幌町のアイヌ民族団体

北海道浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」(旧・浦幌アイヌ協会)は17日、河川での経済的なサケ捕獲は先住民族の集団が持つ権利「先住権」だとして、これを禁じた法律や規則が適用されないことの確認を国と道に求めて札幌地裁に提訴した。アイヌが先住権の確認を求める訴訟は初めて。

 訴状によると、ラポロアイヌネイションは浦幌十勝川周辺に江戸時代から存在した各コタン(地域集団)の構成員の子孫らの団体。明治政府に禁じられるまで生活のために漁をしていたコタンから、サケ捕獲権を引き継いでいるとしている。

共同通信社 2020/8/17

 

サケ捕獲権確認求め提訴、北海道 浦幌町のアイヌ民族団体 | 共同通信

北海道浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」(旧・浦幌アイヌ協会)は17日、河川での経済...

共同通信

 

 

サケ捕獲権確認求め提訴 北海道浦幌町のアイヌ団体

北海道浦幌町のアイヌ民族の団体「ラポロアイヌネイション」(旧・浦幌アイヌ協会)は17日、河川での経済的なサケ捕獲は先住民族の集団が持つ権利「...

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まだ見ぬ「アイヌ」へ

2021-05-27 05:00:00 | 投稿

 

別冊宝島の本まだ見ぬ「アイヌ」へには、次のことが書かれていた。

一九九三年は「国際先住民年」である。この六月にジュネーブで開かれた国連の世界人権会議は、今後十年間を「世界の先住民の十年」とする勧告を決めた。カナダのイヌイット、オーストラリアのアボリジニ、フィンランドのサーミ、そして日本のアイヌ・・・・・・今後も「先住民族」は注目されていくだろう。

しかし、視点を国内に向けると、「国連」の「先住民族問題」によって喚起された問題意識で捉えていては、見えてこないものがたくさんある。たとえば同じ内容のことを話題にしても、それが国内の問題となると途端にトーンが変わる。とにかく歯切れが悪い。

それは「北方領土」や「アイヌ新法」に対する政府の答弁などというレベルに限らない。常にアイヌと接している「和人」、あるいはアイヌ自身が言っている。「それはシャモが言うべきことじゃないよ」、「まだ、アイヌ自身がそれを言うべき時期ではありません」、「アイヌ自身が言い出すのを待つしかないよ」

奥歯にモノが挟まったままなのだ。いったい何をそんなにはばかる必要があるのだろうか? いったいこれは何なのだろう?

アイヌをアイヌ民族たらしめる価値観は、日本古来の、もしくは現在の日本社会の持つ価値観とも異なるものだ。

アイヌプリ—彼らなりのやり方ともいうべき流儀、考え方がある。それを理解できないと「アイヌ」の文化というものはわからない。 とはいえ、アイヌ独自の価値体系が、彼らアイヌのすべてを律しているわけでもない。なぜなら彼らも日本人であるからだ。そう、問題を複雑にしているのは、彼らが、「日本人」であることだ。われわれ“日本人”がアイヌについて考えるとき、単なる国籍上の一致でしかないこのことが、多くのことを見失わせてしまっている。

しかし、少なくても日本人である「私」が意識したことのない歴史を常に意識し続けている人びとが、この日本に確かに存在している。「私」と異なった価値体系を意識している人たちがいる。そういう価値観や歴史に基づく異質の文化の存在と、それを背負っている人びとの存在は、間違いのない事実なのだ。では、アイヌにとって「アイヌ」とは何なのか。アイヌであれば「アイヌ」について説明できるのであろうか。

 

日本人”であるわれわれが日本人について説明するのが難しいと同じように、自分がアイヌであると確信することと、「アイヌ」について説明するということはまた別だ。

アイヌ自身が「アイヌ」であることを独占しているうちは、アイヌのことを知られるようにはならない。もちろん、いいかげんなことが数多く流布しているから、それに対する自己防衛だともいえる。

「そういってシャモが何度アイヌを騙してきたか知ってるか」。 そんな声が聞こえてくる。もちろん、過去を清算することはたやすいことではない。“シャモ”が、一升瓶から革命のビラまで手を替え品を替え、アイヌを欺き続けた記憶は風化していない。

 

しかし、だからといって、「シャモ対アイヌ」といった図式からは見えてこないものがある。実はひとりひとりのアイヌが、「自分」のことを語る、あるいはアイヌに関わる和人が自分が関わるアイヌのことを語る、もしくはアイヌと関わるアイヌを語る・・・・・・、そうした積み重ねのなかにしか「アイヌ」は見えてこない。

 

たとえば、ひとりのフチに語ってもらえることは無数にある。ユカラ、ウポポ、チカルカンペの作り方、その文様の意味、子どもの頃の暮らし、父のこと、母のこと、「学校」のこと、働いたこと、結婚のこと、娘のこと・・・・・・・。過去のことばかりでない、今なにを考えているのか、これからどうしたいのか・・・・・・、彼女にとって和人とは、アイヌ新法とは・・・・・。 こうした言葉の上に、現在の「アイヌ」はある。多くの人間がアイヌについて語ること、それが「アイヌ」の姿を明確にするのだ。

「アイヌ」について考えること、それはアイヌにとっては自己の歴史、自己の文化を自ら捉え直すことであり、“日本人”にとっては、自己の歴史に欠けていた部分、異質な部分を認めることなのだ。そのとき「アイヌ」はあなたの前にいる。

(別冊宝島編集部)

日本社会は、アイヌに関する差別が依然として強く残っている。このアイヌであるが、「北海道概況」などによれば、明治時代~平成時代における北海道のアイヌの数は、約1万5千人~2万人と見られている。これはあくまでも申告によるもので、私のようなエミシ系とみられる数は入っていないので、アイヌの血が流れる日本人は莫大の数にのぼると思う。もっともアイヌは原日本人なので、これを考慮すると渡来系弥生人以外は、すべてアイヌの血を引いていることになると思う。

「十勝の活性化を考える会」会員