十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

炭鉱の町“夕張”

2021-02-28 05:00:00 | 投稿

 

ご存じのとおり、2007年、夕張メロンで有名な夕張市が事実上の財政破綻をした。夕張市は、最盛期におよそ12万人も住む炭鉱の町であったが、先月末の人口は、実に1/13の7千5百人である。

石炭から石油へのエネルギー革命により急速に人口が減少し、この流れが止まる気配はなく、65歳以上の高齢化率は50%超と市の中では全国一番である。そのため夕張市職員の給与は低く、市民の方から職員の給与を上げてくれという声も出ているそうである。

私は15年前、夕張市内で行われた“植樹祭”に参加した。毎年、夕張市では映画祭が行なわれおり、その時、俳優の吉永小百合さんが来賓できていて、初めて本人を生で見た思い出がある。植樹の時、自分の名前と日付、そして「いつも笑顔を忘れずに」という言葉を銘版に書いたが、その銘板はいまどうなっているのだろう。

 

また3年前、鈴木直道北海道知事(当時、夕張市長)の講演を帯広畜産大学で聞いてきたが、その時、夕張市長は、「30年後の東京は、今の夕張市と同じ状態になっているかも知れない」と語ったが、本当にそのように進んでいるのかも知れない。

日本全体では、夕張市ほどの人口減少は予想されていないが、夕張市のように財政がたちいかなくなる自治体が続出するだろう。人口減少は始まったばかりで、これから本格化するので、日本社会はその影響を緩和するように意識を変えなければいけないと思っている。

 

話は変わるが、十勝と130キロ離れた釧路市という炭鉱で栄えた町がある。昨年末で帯広市の人口と逆転し、北海道で6番目の市に転落した。釧路は、昭和44年(1969年)から9年間も続けて、水揚げ量日本一を記録した漁業の町であったが、地球温暖化で漁獲量も減少し、魚種も変わってきたそうだ。例えば、サンマはたくさん取れ過ぎて困るほどの魚だったが、今は海流の変化などにより全く取れず、庶民の台所から消えてしまったし、サケの水揚げも年々減少しているそうである。

このように地球温暖化の影響ははかり知れないが、ある大学教授によれば、地球温暖化で“北極海航路”が通年にわたって通行可能になり、釧路がヨーロッパとの物流の拠点になる可能性があると語っている。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 北極海航路

北極海を通り、ヨーロッパアジアを結ぶ最短航路(大圏航路)のうちの一つで、ヨーロッパから北西に向かい北アメリカ大陸を回って、大西洋と太平洋を結ぶ「北西航路」と対をなす。

他航路との距離の比較

ヨーロッパ・アジア間の航海距離 (海里)

 オランダロッテルダムから

目的地

喜望峰経由

スエズ運河経由

北極海航路経由

スエズ運河経由より短縮される距離の割合

 日本横浜

14,448

11,133

7,010

37%

 韓国釜山

14,084

10,744

7,667

29%

 中国上海

13,796

10,557

8,046

24%

 香港

13,014

9,701

8,594

11%

 ベトナムホーチミン

12,258

8,887

9,428

−6%

(出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

 

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お互いに認め合うということ

2021-02-27 05:00:00 | 投稿

 

私の知人に、障害を抱える難聴者がいます。私より1歳年上であるが、彼の出身地が十勝にある士幌町で、私の父親も士幌町で育ったので何かと話題に事欠きません。先日、彼が自宅に来て久しぶりで情報交換しましたが、お正月から脊椎間狭窄症で大変だったそうです。彼が、ブログ投稿文でお互いに認め合うということという題で投稿していたので再掲します。

 

『私たちの随筆サークルが、いつの間にか空中分解状態になっていることを、自分は難聴で知りませんでした。これでは話し合うというより、お互いに認め合うことさえできません。 随筆サークルの先生は生徒を育て、生徒は仲間同士として互いの成長を認め合う。

ところが、先生は生徒を見捨てるし、随筆の仲間同士は平気で相手を侮辱する人もいる。それでは、「意見の違いを認め合う」こともできません。ろうあ者の世界では、お互いがコミニ、ケションを取りづらいのですが、健常者の世界では少しましかと思っていました。

アイヌ民族のように差別で傷ついた人の心は、簡単には癒されません。同じサークル仲間が出版した自費出版本に、「同じ境遇に置かれなければ、その人の本当の気持ちは分からない」と書いてありました。私は、自己中心的な人にはかかわらないようにしています。そして、人間は罪深いと思っている人のほうが、謙虚で好きです。』

また彼は、『障害者は、このようにしてほしいとか、このような例もあるので変えてほしいとか、障害者自らが具体的に主張すべきである。そのようにしないと何も改善されない』と言っていました。障害者は差別されやすいので、差別と区別の違いを考えてみると次のとおりです。

差別と区別の違いは難しい問題でありますが、その違いを理解することは、本質的な問題解決につながると思います。「分ける」ということは人間の基本的な作業のひとつでありますが、その「分ける」という行為に非合理性があった場合には「差別」になり、合理性を認識した場合には、「区別」ということになります。

 

女性に選挙権が与えられないのは、「女性差別」です。特定の地域の人に選挙権を与えないということがあるとすれば、それも「差別」です。また、黒人が肌の色の違いによってさまざまな人種差別を受けることや、学校のいじめも差別です。

しかし、この問題はそれほど単純ではなりません。何をもって合理的といい、何をもって非合理的というかが問題であります。例えば、海外居住者に選挙権がないのは、これまで合理的と判断されてきましたが、最近ではその問題性が指摘され、海外居住者の投票が始まっています。

 

人類は幾多の試練を経て、人権があると主張し続けて闘ってきた結果、基本的人権を勝ち取りました。絶えず主張し続けることで、やっと維持できるものが人権であります。もちろん、他人に迷惑や自分勝手な行動が許されるわけではありませんし、公共の福利のために、一定の制限を受けます。差別をしてはならない」というのは現代社会の鉄則であり、アイヌはこの差別に対して長い間にわたって苦しんできました。そして、今もアイヌの差別は続いています。

我々は何をもって差別を合理的とみるか、非合理的とみるかは本質的な問題であります。本質な問題とは、「我々はどんな社会を創ろうとしているのか」ということにつながるのではないかと思っています。現在、新型コロナ禍のパンデミックにありますが、もっとみんなが生きやすい社会にするために、人間のあるべき姿をもう一度考えてみたい。

「十勝の活性化を考える会」会長 

 

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資本主義と欲、そして健康保険

2021-02-26 05:00:00 | 投稿

 

以下の文章は中途障害者が書いたもので、大変参考になりましたので載せます。

都会の喧騒から離れ山里にいると、資本主義とか物欲とか無縁の存在になります。私はこれからの人生、バランスの良い設計が必要と考え、その上で自分が生きている証として、同じ”欲”でも「達成欲」を持つことが重要と思っています。

中途障害を抱え初めて気づいたことは、資本主義と社会保障(社会福祉)は、切っても切れない関係にあることです。これまでわが国では、周知のように、1961年確立した「国民皆保険(年金)制度」は、世界に誇れる制度だと思います。他方、わが国の資本主義体制のルーツは、明治時代の富国強兵政策にあります。戦後富国強兵の否定と民主主義の肯定の中で、日本的資本主義が確立してきたと思います。

 

しかし、1985年のいわゆる「プラザ合意」から、日本的資本主義が徐々に変わって来ました。社会福祉も「国の責務」から「自己責任」にいつも間にか、変容してきました。その中で、社会福祉の一つである『障害者福祉』の施策(制度)を見ると、「可能性の否定」に見て取れます。

私は前述のとおり、自分の可能性を信じて自分の気持ちを奮い立てています。人の”欲”の本質は色々とあると思いますが、私はイデオロギーに関係なく自分らしく生きることを目指しています。』 

(なお、同人の「我欲」については、2019年6月29日のブログ参照)

 

以上の文章を読んで次のように思った。1961年に日本全国で始まった国民健康保険事業。それまでは国民の約1/3が無保険状態でしたが、国民皆保険制度の導入で、誰でも医療を受けることが可能になりました。

日本人にとっては当たり前の皆保険制度ですが、世界トップレベルを誇り、2000年には世界保健機関(WHO)から世界最高との評価を受けたほどです。

アメリカは、日本のように国民健康保険制度が定まっておらず、アメリカ国民が健康保険に入る義務はありません。従って、アメリカが新型コロナ禍で死亡者が多いのは、約3億人超と言われるアメリカ国民の6人に1人が、日本と異なり健康保険に入っていないからです。

 

日本は原則として、国民全員が国民健康保険や健康保険組合などの公的保険に加入する義務があり、その理由は、みんなが医療費を払う形で低価格の医療費を実現しているからです。今回の新型コロナ禍に際して、日本の底力を再認識しました。

一方、日本の国債残高を見ると何時までこの保険制度が維持できるのかを心配していると同時に、アメリカもコロナ対策で借金大国にならないかと心配しています。

日本の1990年度と現在の歳出を比較すると、社会保障費が大きく伸びている一方で、公共事業や教育など他の経費は横ばいとなっています。歳入を見ると、税収などの収入の増加はわずかであるのに対し、借金である国債残高が約6倍と大幅に増加しています。

(出典:yahoo検索)

「十勝の活性化を考える会」会長

 

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人はみな、半人前

2021-02-25 05:00:00 | 投稿

 

漢字で糸へんに半分と書いて“絆“と読みます。人へんに半分と書いて、”伴“と読みます。人はみんな半人前で、夫婦二人でやっと一人前になるからです。いつも思うのですが、自分を含めて人間は一人前と思って生きている人が、意外に多いのではないでしょうか。

私のような中途障害者になると一人では生きていけませんので、いつも支えてくれる妻にペコペコしています。また、私と同じ障害者が、「支えられるということは、支えること」という題で書いていますので、以下に載せます。

 

わが国も批准している障害者権利条約は、障害のある人だけに権利を与えたものでなく、障害のある人も障害のない人も、すべての生活者に権利を有しています。

現在私は、定期的に医療や福祉サービスを受けています。医療や福祉をはじめとして多くの社会組織には、「施す」側と「受ける」側の存在があります。そこには自ずと、上位にある側と下位にある側との関係があります。医療では、医師と患者。福祉では、支援者と障害当事者といった具合です。

それは意識の根底に、自分が他者に対して何ができるかという、いわば上位に立つ無意識の思い込みが忍び込んでいることもあります。障害のない人から見て多くの人は、障害があるから「できない」という思い込みは、気づかないうちに行動、言動に表れるもので、私は何回もそういう状況を経験しました。

最近、人が人を世話したり、支えたりすることは一体どのようなことか、そして人として、そこにどのような課題があるのかを考え始めました。このことは、立場が入れ替わったときにはじめて本当に気付くものです。

現在私は里山に移住し、自分が暮らし続けたい場所で豊かな人間関係に囲まれ、社会的役割や自己肯定感をもって生き生きと田舎暮らしをしています。自分を支えてくれる地域は、自分が支える地域でありたいとつくづく思います。

これは、「互酬」(お互いさま)に基づき、私のライフワークとして、誇りと尊厳をもって人間らしく自分らしく生きられる社会を創り出したいと考え、活動の支えになっています。

私は発病以来、多くの人々の支えでここまで来ることができました。とくに心が折れそうになったとき、ある人との出会いで勇気をもらい、そこからこころのきっかけが生まれました。今度は、中途障害を持ったから気づいたこと、障害があるからこそ果たせる役割があると考え行動しています。私にとってのエンパワメントは、社会的障壁や不均等をもたらす社会的メカニズムの変革を考えています。

 

脳出血で障害者になった私には、この文章のことがとてもよく分かります。卑近な例になりますが、元安倍首相や森喜朗会長にも同じことが言えるのではないでしょうか。それは慢心です。だから何事も、初心を忘れないことが大切です。

「十勝の活性化を考える会」会長

注) 互酬

人間の行為は,その対象が個人,集団,あるいは超自然的存在,そのいずれであっても,なんらかの応報を求めて行われる。ことに伝統的社会における制度には,人あるいは集団が相互に有形無形のものを,特定の期待感や義務感をもって,与え,返礼しあうことによって成立しているものが多い。このような意味で,人間の行為の多くは相互的行為,あるいは一種交換ということができよう。このような行為を動機づける観念,あるいはこの種の観念によって基礎づけられた社会関係を互酬と呼ぶ。

(出典:株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について)

 

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