挨拶は、人間関係を維持するためになくてはならないものである。この挨拶が、一部の人に出来ていないのが現実であろう。昨日、あるコミセンに行ったら、管理人である受付の男性が2回も声を掛けたが挨拶をしなかった。コミセンは公的な施設であるから、利用者に挨拶するのが当然と思っている。
このように、官(お上)はサービス精神が足りないのである。日本人は、「おかみ」に弱いと良く言われるが、これを変えていくことが住み良い日本にするために必要であろう。日本の常識を変えることによって、日本が再興できると思っている。
逆に言えば、日本人の「おかみ」に関する弱腰的な常識を変えることは至難の業であるから、日本の国は簡単には変わらないと思っている。このことについては、教育についても同じようなことが言えるだろう。
教育には、学校教育・社会教育・企業内教育・家庭教育など様々あるが、先日、高校時代のクラスメート4人と教育について議論する機会があった。友人が、「お前の家ではどんな教育をしたのか?」と尋ねてきたので、すかさず“スパルタ教育”と答えた。そして、「家庭教育はそれぞれの家庭で考えれば良いのであって、各々の家庭での独自性があると思っている。」と付け加えた。
息子はO卸売会社で働いているので、いつも仲買人に対して挨拶をするそうだ。民間会社は、利益を追求するから当然であろう。民間会社においては、挨拶は欠かせない。
ただ、挨拶に絡んで心配なことがひとつある。それは、コロナ対策のマスクである。マスクをしているために誰であるか分からず挨拶をせずに通り過ぎるケースが増えている。現代は自分中心主義で、人とのつながりをあまり求めなくなっている時代だから、マスクがそれをますます助長しているのである。
家庭教育などが原因かもしれないが、そのため日本人に心のこもった挨拶が出来なくなっている。他人の状況に思いをはせ、他人をおもんばかる心を育む教育を行なうべきであろう。
やや道徳的になってしまうが、人間は共生しているのだから、共感や同情することが大切であると思っている。ウクライナ戦争や世界中の内戦を見ていると、文明の発達によって人間は、ますます退化していくように思えてならない。
「十勝の活性化を考える会」会員
他人との関わりは、得られことのできるメリット以外にも、負わされる可能性があるリスクも一方であるわけですから、むしろ慎重にならざるを得ないのは昨今の世相からすれば当然だと思います。
あえて関わらないようにするのも選択の一つだと思います。