十勝の活性化を考える会

     
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連載:関寛斎翁 その17 近代国家の成立と蝦夷地併合

2020-01-31 05:00:00 | 投稿

ここから本連載は関寛斎の北海道入植編に入るわけだが、その前に当時の北海道はどのような状況だったのか、なぜ関一族が広大な入植地を入手できたのか、その背景を説明しないわけには行かない。

新谷行氏が「アイヌ民族抵抗史」のなかで、そのことを簡潔に記述しているので引用したい。

 

明治国家の北海道・植民地経営

近代国家の成立と蝦夷地併合

嬢夷地を北海道と改称

『一八六八年のいわゆる明治維新、薩長を中心とする天皇制中央統一国家の出現は、アイヌ民族にとって、いったい何を意味したであろうか。
 一八六九年(明治二)五月、箱館五稜郭に逃げ込んだ榎本武揚以下の幕府の残党を制圧した明治政府は、同年七月、蝦夷地に開拓使を設置する。すなわち、天皇制近代国家によるアイヌの併合と支配が始まるのである。
 明治維新までの北海道には、渡島半島の松前領、日本海岸の庄内、秋田領、太平洋岸の津軽、南部領等があったが、内陸部のほとんどは蝦夷地となっていた。これはもちろん、侵略者の勝手な領有と区分であったが、それでも江戸幕府は、一応内陸部を「アイヌ民族の土地」として認めていたのである。ところが、天皇制近代国家の出現は、これをその根底から否定した。すなわち、明治六年の「地租改正条令」を発令するにあたって、蝦夷地を持ち主のない土地として、天皇の財産としてしまうのである。
 もともと、アイヌ民族には土地所有の観念はなかった。部族間のイオロ(猟区)はあっても、これは人間の土地ではなく、あくまでもカムイ(神)のものであった。カムイに守られながら、アイヌ人はこのイオロで自由に猟をすることができたのである。それはアイス民族の生存の権利であった。
 しかし、明治政府はこのアイヌ民族の生存の権利を完全に否定し、すべての土地を勝手に没収したのである。ここからアイヌ民族の決定的な不幸が始まる。すなわち、松前藩の重圧から解放されたはずのアイヌ民族の背には、明治政府による「民族根絶」という、より徹底した、強力な重圧がのしかかってくるのである。
明治政府は開拓使を設置した年の九月、蝦夷地を北海道と改称した。これは当時、蝦夷開拓御用掛として、不本意ながら開拓の仕事にたずさわっていた松浦武四郎の《道名の義につき意見書》によるものであった。松浦はこの意見書のなかで「日高見道」「北加伊道」「海北道」など六つの侯補名をあげた。
このうち「北加伊道」が採用され、さらに加伊が海と改められて「北海道」となったのだが、ここで武四郎が述べているように、「カイノー」とはアイヌ人が互いに自分たちを呼ぶ言葉であり、「北海道」という名には松浦のアイヌ民族に対する愛情が注がれていたのである。』

§

「シャクシャインの戦い」で、自由貿易の権利を奪われ「クナシリ・メナシの戦い」で、民族の生存権と自決権を奪われ、衰退の一途を辿って行ったアイヌ民族は、明治政府によって「民族絶滅」の危機に陥れられた。そのような背景を知らない訳では無い本州の和人たちは、自らの経済的利益のため「夢」を抱いて「未開の地」へ殺到して行った。関寛斎もその一人であり、私の先祖もそのようにして北海道へ渡ってきたことは、書き換えることのできない歴史上の事実である。

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「テレビ2020年激論!ドーする?ニッポンの未来」

2020-01-30 05:00:00 | 投稿

令和211日、朝まで生テレビ「2020年激論!ドーする?ニッポンの未来」をみた。

司会者は、田原総一朗。激論者は、清水貴裕(自民党)、松川るい(自民党、元外務省)、今枝宗一郎(自民党)、三浦信裕(公明党)、中谷一馬(立憲民主党)、関健一郎(国民民主党)、宮本徹(日本共産党)、高松奈々(お笑いジャーナリスト)、川村晃司(元テレビ朝日ディレクター)、中林美恵子(早稲田大学政治学者)、三浦璃麗(国際政治学者)、中川コージ(戦略科学者)、津田大介(ジャーナリスト)、乾正人(産経新聞論説委員)の計14名である。

 テーマは、「人口減少」・「働き方改革」・「選挙権」・「選挙区制」・「憲法改正」・「保守と革新」・「表現の自由」・「アベノミクス」・「天皇制」・「米中対立」、「日本外交と安全保障」、「国家資本主義」、「覇権主義」、「行政」・「官と民」など幅広い論点であった。

 この番組によると、今年は政治、経済とも激動の1年になるらしい。

 「十勝の活性化を考える会」会員

 注) 田原総一朗

田原 総一朗は日本ジャーナリスト評論家ニュースキャスター田原節子は妻、その妹に古賀さと子

近江商人末裔第二次世界大戦中は、人並みな軍国少年で「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のがだった。敗戦当時、それまで習ってきた価値観が180度ひっくり返ったことに対して、「そうか、世の中に絶対なんてないんだ。偉い人の言うことは信用できない」と感じたという。

1953年滋賀県立彦根東高等学校を卒業。作家を志して上京し日本交通公社(現JTB)で働きながら早稲田大学第二文学部日本文学科(夜学)に在籍。文学賞に何度か応募したが箸にも棒にもかからず、さらに同人誌の先輩に才能がないと二、三度「宣告」を受けたことで意気消沈していたところで、同世代の石原慎太郎大江健三郎の作品を読み、「これはダメだ、全く敵わない」と作家を目指すことを断念。志望をジャーナリストに切り替え、3年間でほとんど通っていなかった二文を辞めた。

1956年早稲田大学第一文学部史学科に再入学し、1960年に卒業。

ジャーナリスト志望だったため、NHK朝日新聞、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)などのマスコミを手当たり次第受けたがどれにも受からず、11社目にして初めて合格した岩波映画製作所に入社。カメラマン助手をつとめる。

(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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不安の時代

2020-01-29 05:00:00 | 投稿

社会学者「加藤諦三氏」によると、人間の幼児化がはじまっているそうで、幼児化とは、安易に物事を考えることのようです。また人間の心理には、成長しようとする欲求と安心したいとする欲求がある。ただ必ずしも、安心することが幸せになるということでは無いそうです。だから、人間の豊かさとはもっと違ったところにあると思う。

 確かに、スマホだけに頼って新聞を読まなくなるのも幼児化の現象で、安心したいとする欲求の現われです。これは人間の「不安」から生じているそうで、今の時代を不安に感じている人が多く、このことが人間関係の希薄化になり、「公」と「個」の分断がはじまっているのです。

 令和213日の北海道新聞(8面)に、作家の中村文則氏と高橋源一郎氏の新春対談が載っていた。その中で中村氏は、次のようにも言っていた。

 中村:『無関心でいたい人たちだけでなく、絶対に社会問題について考えたくない、という人たちもいます。高橋源一郎さんの著書で、学生運動をしていた頃、ビラを配る自分を避ける人たちがいて、おそらく日常を脅かす存在として僕らを見ているのではないか、と書いていたのが印象的です。

 今も、考えさせようとする相手が嫌だ、という風潮がありますね。作家が、「考えてほしい」と問いを投げかけても、それをストレスと感じる人が増えている印象があります。

 公正世界仮説という心理学用語があります。世の中は公正で安全だと思いたい。だから何かの問題や被害が発生すると、それを社会ではなく個人のせいと考える。あなたにも何か落ち度があったのでは、という風に。この心理が日本に過剰に広がっていると思います。

無関心だけで終わらず、問題があると思いたくないから、現在の社会状況はいい、と肯定側に回り、被害者批判を展開する心理が怖い。これを続けていると、社会はまったく改善されなくなる』

 高橋:『僕もそういう印象を受けます。僕は大学で教えていますが、大学の先生も、物事を考えられなくなっている。簡単にいうと、雑用で忙しすぎるからです』と。

 ところで知人は、「我欲」を捨てたことにより価値観が変わったそうです。現代は価値観の多様化の時代で、価値観は変わりづらいので、知人のように我欲を捨てることによってしか、変わらないかも知れません。

 資本主義はこの我欲によって成り立っているが、経済学者の中谷巌氏が、アメリカの新自由主義を振り返り、資本主義はなぜ自壊したのかという著書を書いているのは、注目に値すると思われる。

 「十勝の活性化を考える会」会員

注) 中谷 巌

中谷 巌は日本経済学者。専門はマクロ経済学一橋大学名誉教授

小渕内閣の首相諮問機関「経済戦略会議」に竹中平蔵らとともに参加し、議長代理を務めるなど政府の委員を多く務め、1990年代には、構造改革推進の立場から政策決定に大きな影響力を持った。その後、2008年に著書『資本主義はなぜ自壊したのか』で新自由主義市場原理主義グローバル資本主義との決別を表明し、その立場を一転させた。

 週刊ダイヤモンド2009年12月19日号の「経済学者・経営学者・エコノミスト142人が選んだ2009年の『ベスト経済書』」で中谷の『資本主義はなぜ自壊したのか〜「日本」再生への提言』は5位に選ばれた。

社外取締役制の推進者として知られる。幾つかの起業の社外取締役の経験があるが、これらについて中谷は「取締役会に出るのが楽しみ」だと自身の著書で述べている。また、NPO全国社外取締役ネットワークの代表幹事として、社外取締役制の普及や支援にも取り組んでいる。

マクロ経済学の教科書として日本の大学で広く使われている『入門マクロ経済学』の著者として知られる。また、ワールドビジネスサテライトでは長くコメンテーターを務めた。

[新自由主義からの転向]

著書『資本主義はなぜ自壊したのか〜「日本」再生への提言』(集英社、2008年、まえがきや)、論文「小泉改革の大罪と日本の不幸 格差社会無差別殺人─すべての元凶は『市場原理』だ」(『週刊現代」12月27日・01月03日号、2008年12月15日発売)の中で、過去に自分が行っていた言動(アメリカ流の新自由主義、市場原理主義、グローバル資本主義に対する礼賛言動、構造改革推進発言など)を自己批判し、180度転向したことを宣言した上で、小泉純一郎・竹中平蔵・奥田碩の三人組が実行した聖域なき構造改革を批判し、ベーシック・インカムの導入等の提言を行っている。労働市場についてはデンマーク・モデルを理想としている。

中谷は「新自由主義による自由取引市場の形成は、人類の滅亡を早める」と主張しており、グローバル資本主義に無制限の自由を与えるのではなく、一定の規律を設け制御する必要性を説き、統制機関として世界中央銀行・世界中央政府の設置を主張している。

こうした転向について、伊東光晴(京都大名誉教授)は、都留重人の言葉を引きながら基本的には支持を示しつつ、同時にアダム・スミスについての理解など、叙述においてやや正確さを欠いていると指摘しているほか、竹中と中谷の同質性についても示唆している。また「しんぶん赤旗」は、「小泉改革、そしてこれを持て囃した大手マスコミの姿勢が誤りだった事を示す一つの象徴」だと評している。

 (出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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中国の“素顔”を探して

2020-01-27 05:00:00 | 投稿

 202013日、NHKテレビBS-1中国の素顔を探して」を放映していた。その放映の中で、8年前に北京に住んでいたNHKアナウンサーが、現在の中国との違いなどを放映していた。

 「天安門事件」以降の中国は、多数の監視カメラが設置され、個人の自由が奪われているらしい。30年前、著名な米国の経済学者フリードマンが中国を訪ずれて、次のような言葉を残した。「自由が無ければ、経済は発展しない」と。

 また、著名な経済学者ガルブレイスは、著書『ゆたかな社会』の中で、社会が豊かになるにつれて、企業が積極的に宣伝や販売術によって欲望や消費を作りだすと言っていた。

 高度資本主義の消費はそのようなものであるが、日本経済が曲がり角に来ているのは、それが原因のひとつかも知れないと思った。

 ところで、2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟して以降、中国は『世界の工場』と呼ばれるようになり、2010年には日本のGDPを抜いて世界第二位の経済大国になった。輸出の増大に加え国内消費も旺盛になり、各国の企業が中国で商品を売り、中国は世界の工場から『世界の消費市場』に変貌を遂げている。

 中国は、他の国々が出来なかった経済成長を約20年でやり遂げて、世界第二位の強国になった。 消費が増加し過去に比べて豊かな社会が出来上がり、中流層人口も世界最大で、総じて、中国人は最高指導者を尊敬しているらしい。14億人の国家を統治し、生活水準を上げるには指導・調整力等が必要で、一方で、自由や寛容が犠牲になっていることも事実である

 テレビは、日本と同じく格差が拡大し夢破れて北京から故郷に戻る若い女性のことも放映していた。番組の最後には、中国に批判的な29歳になる天才作家に対して、NHKアナウンサーがインタビューしていた。

「これからの中国はどうような国になり、作家としてのあなたの役割は何かと・・・・」。

 平和と人の幸せを一義に、政治・経済・環境・国際関係など、国造りはなんと難しいものかと思った。

 

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注) 消費

 生活のために必要な物資・用役(サービス)を費消することが消費であり、それらの購入のために貨幣を支出することは消費支出とよばれる。消費と消費支出とはかならずしも一致しない。たとえば、テレビを買うために支出した金額(消費支出)はただちに全額消費されるわけではなく、それを使って得られる用役がその耐用期間中に消費される。

 いま経済を循環として、すなわち、生産分配消費(および貯蓄)としてとらえると、消費および消費支出は二つの意味で生産に還流する。第一に、消費は労働力の再生産過程である。人は労働によって使い果たした労働力を、食べる、飲む、着る、眠るという消費過程を通じて再生産する。さらには次代の労働力の再生産のために、結婚し、子供を生み、扶養する。こうして消費は生産に還流する。第二に費支出は貨幣の支出であり、貨幣は消費財需要として生産者に還流する。

(出典:日本大百科全書「ニッポニカ」)

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