十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

いろいろな戦争

2021-09-30 05:00:00 | 投稿

日本には、いろいろな戦争があった。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、太平洋戦争などである。そして今は、コロナウイルスとの戦争である。コロナウイルスとの戦争は、当該関係者を除いて自分ごととして、あまり深刻に受け止めていないのではないだろうか。少なくとも自分は、そうである。

太平洋戦争が始まった時、お祭り騒ぎだった人もいたと聞いている。ただ、自分は生まれていなかったので、実態は分からない。過日、“空襲を語る会”で講師の話を聞いてきた。その方は、父親が満州から引き揚げてきた時、「国に騙された」と開口一番に言ったそうである。すなわち、国民は国(天皇と軍部)に騙されていたのである。戦争に勝つことを疑わなかったのである。実際、国家総動員法のもとで国民が一丸となって、“勝ってくるぞと勇ましく”と戦ったのである。

私は、新型コロナとの戦争も心配であるが、それよりも地球温暖化に伴う水不足などによる「食料戦争」を起きることを心配している。日本の食料自給率は、エネルギーベースで40%以下であるからだ。

このような食糧危機は社会不安につながり、世界中で暴動などを引き起こる可能性があるからだ。食料は人間が生きていく上で不可欠で、失業者や貧困層などの人々にとっての食糧問題は、見過ごせない問題となる。失業率が高い地域では不穏な動きにつながる可能性があり、政治家などに対する反発の高まりで暴動化する可能性もある。

また、今回の地球温暖化により影響を受けるのは、世界の国々である。なぜなら、世界各地での干ばつや洪水の被害により穀物生産量が減少しているからである。異常気象による災害も加わり、この食糧危機が社会不安を引き起こしつつあるのだ。中国ではすでに大量の季節労働者と農民に不満が生じて、食料品価格の高騰につながっている。

私が言いたいのは、世界の食料危機意識と日本人の危機意識の大きなずれである。日本人は、まだ食べることが出来るものを捨てているのである。食糧輸入国の日本は、先行きは極めて不安定な状況にあるのに、食料自給率の危機感を持っていない。なお、参考までに、世界の年平気温偏差のグラフを添付する。

 

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北海道 十勝の深掘り イチャルパ本別で復活

2021-09-29 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り イチャルパ本別で復活

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


イチャルパ本別で復活  20年ぶり「次世代に継承を」

 【本別】十勝管内本別町の本別アイヌ協会でつくる実行委員会は25日、先祖供養の伝統儀式「イチャルパ」を20年ぶりに復活させた。地元に祭具の作り方や作法などの資料が現存せず、本別出身者がいる阿寒アイヌ協会などの協力を得て、先祖の霊に祈りをささげた。
 本別町の上本別生活館で行われた儀式には、両協会の会員や佐々木基裕・本別町長ら約100人が参加。ヤナギの木で作ったイナウ(木幣)やトノト(神酒)を自然界の神々にささげ、果物や菓子などを供えた。アイヌ古式舞踊を伝承する帯広カムイトウウポポ保存会が奉納舞踊を披露した。
 本別アイヌ協会によるとご記録に残る地元でのイチャルパは2001年に行われた。アイヌ文化の振興などを目指すアイヌ施策推進法(アイヌ新法)が19年に施行されたことも契機となり、同協会の小川哲也会長は「本別イチャルパを次世代に継承したい」と話した。  (岡田圭史)北海道新聞 2021/09/16

 

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アイヌ文化の現在

2021-09-28 05:00:00 | 投稿

先日、札幌学院大学人文学部の編集した“アイヌ文化の現在“の本を読んだ。この本には、アイヌ文化に関する様々なことが書かれていたが、特に印象に残ったことはアイヌ差別のことである。

差別には人種差別のほか男女差別、職業差別、宗教差別、身分差別、障害差別、学歴差別、思想差別、福島放射能差別、コロナ差別、性的差別、老人差別など多数あるので、アイヌの差別に限ったことではない。

アイヌは、北東北地方を主体に関東一円にも住んでいた。私の母方の祖父母は北東北出身なので、当然、私にもアイヌの血が流れていることになるが、そういう事実が知られていないことがアイヌの差別を生んでいると思っている。

縄文人が日本人の起源であるが、混血の過程で隼人や一部のエミシ(アイヌ)は、新しい文化を受入れ大和政権の傘下に入り同化していったが、狩猟採集文化を大切にした大半のエミシは北へ北へと逃れて、明治時代には北海道に住むだけとなり、そうした人々が“アイヌ ”とよばれるようになったのである。だから、アイヌコタンは、江戸期代まで東北地方にもたくさんあったのである。

一方、本州に残ったエミシ(アイヌ)は和人との混血により、また外見上からもアイヌと呼ばれなくなり、現在に至っているのである。そんなことも知らなくて “ボーとするな!”と、チコちゃんに叱られそうである。

そうした観点から下記のとおり、 “十勝アイヌ”と題した講演を行なう予定であるので、アイヌに関心ある方は、是非、聞きにきてほしい。なお、大リーグの大谷翔平選手の祖先も北東北出身である。

         (記)

・日 時:11月13日(土)、午後1時~3時

・場 所:帯広市図書館1階視聴覚室

・主 催:「十勝の活性化を考える会」

・講 師:寺町 修 

・演 題:「十勝アイヌ」

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北海道 十勝の深掘り しほろ牛

2021-09-27 05:00:00 | 投稿

北海道 十勝の深掘り しほろ牛

全国の読者の皆様に、「北海道十勝ってどんなところ?」の疑問に深掘りしてお伝えしてまいります。


https://www.ja-shihoro.or.jp/shihorogyu/index.html

十勝北部・東大雪山系のすそ野に位置する自然環境豊かな一大農業地帯・士幌町。最高峰の東ヌプカウシヌプリをはじめ勇壮な山々を臨むこの広大な大地で、しほろ牛は育ちます。

しほろ牛は、この地の新鮮な空気と水で健康に育ったホルスタイン牛で、脂肪が少なく、ジューシーで柔らかい赤身が自慢です。

安全・安心な道産牛の産地として、士幌牛飼養管理マニュアルに基づき、JA、系統、肉牛振興会(生産者組織)、町、普及センター及び関係機関と一体となり、品質の安定と安定生産を目的に飼養管理技術の向上に努めています。また、最新の食肉処理施設(懸垂脱骨)で処理されており、衛生面でも自信をもっておすすめできます。こうして品質にこだわったしほろ牛は、年間で約11,000頭が関東・関西を中心に流通されています。

 

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十勝の歴史

2021-09-26 05:00:00 | 投稿

十勝では100万年前頃に十勝三俣あたりで火山が大爆発し、火山灰が大量に堆積した。その後、80万年前頃になって釧路湿原の約6倍の湿原が生まれ、50万年前以降には、現在の十勝平野の原型である沖積土の洪積台地ができあがった。

“十勝石(黒曜石)”はこの火山の爆発で作られ、水で急に冷やされたために綺麗な輝石となったのである。その後の寒さによりゾウやバイソンが絶滅し、約7万年前にはマンモスやナキウサギが生息する最終氷河期となった。なお、最終氷河期とは、約7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷河期のことである。

十勝に人が住みつくようになったのは、約3万年頃と言われており、氷河期と間氷期が繰り替えされて今のような姿になった。最終氷河期には、宗谷海峡が大陸と陸続きであったために、私たちの祖先ともいうべき縄文人が大陸からきて、十勝にも住み始めて「縄文文化」が浸透した。一般的に縄文時代の始まった時期は、16千年前と考えられ、終期は概ね約3千年前 とされている。

北海道では稲作で知られる弥生文化が浸透せず、数千年前から7世紀ころまで続いたといわれる「続縄文文化」が浸透した。そして、その後に擦文文化が栄えた。擦文文化は北海道東北地方北部にも浸透し、8世紀頃より鎌倉室町時代にも及んだとされ、アイヌ文化に先行する文化として考えられている。

しかし、アイヌ民族がいつごろから十勝に住みついたかは諸説があり分かっていない。ただ、西暦801年、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、東北地方に「蝦夷(エミシ)征討」を行なった史実はあるが、その頃の北海道は流刑地で、大和民族にはあまり知られていなかったようだ。

北海道が大和民族に知られるようになったのは、約1213世紀といわれている。現在の認識において、北海道やその周辺の擦文文化などの生活様式を営んできた人々が、現在伝わっているアイヌ文化へと姿を変えていった時期が、1314世紀頃と考えられている。

アイヌ文化とは、13世紀ころから現在までに至る歴史の中で生み出してきた文化である。現在、大半のアイヌは同化政策の影響もあり、日常生活は表面的には和人と大きく変わらない。しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中で、アイヌとしての精神は、その血筋の人々の間では少なからず健在である。

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