うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

牛久沼は牛久市じゃなかった。七浦弁財天訪問で気づく。

2019-12-28 12:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部にある牛久沼。その形はかわっている。

指で3つを示す形、親指と小指をたたんで、人差し指、中指、薬指を突き立てた形。

または3本指の妖怪人間ベムの手に似ている。

その指先である陸地の先端、泊崎に行ってみた。

 

七浦弁財天がある。

御影石の比較的新しい鳥居とお社なので最近建て替えたのだろう。

残念ながらあまりおもむきはない。

眼前に牛久沼が広がる。

子連れの野鳥が岸を泳いでいる。

静かな湖畔だ。対岸にうなぎ屋が見える。

湖面に面した鶴舞家、山水閣は沼の景色を見ながら落ち着いて鰻が食べられる。

昔はもっと店があったが、今は産業機械メーカーの諸岡本社などになっている。

 

地図を見ると,泊崎は牛久市ではなく、つくば市だった。つくば市の最南端。

泊崎の台地の上から七浦弁財天まではつくば市だ。

その先の岸辺にも町村界の点線がある。

牛久市の土地かと思ったら,そこは、龍ケ崎市。

牛久沼のほぼ全域が龍ケ崎市の土地だと知った。

国土地理院の地図によると、

 

 

牛久市と牛久市観光協会のホームページにはちゃんと牛久沼の紹介記事があり、

牛久市民にとっては、憩いの場所で愛着のある沼である牛久沼が、単なる借景だったとは。

そして、訪れた牛久沼を望む七浦弁財天と泊崎弘法大師堂はつくば市だ。

ちょっとがっかり。

 

牛久沼所有者の龍ケ崎市のホームページを検索すると、牛久沼の紹介があった。

U-Tubeに紹介画像もアップしている。

朝日が昇る湖畔?やドローンを使った湖面の広がりなど美しい映像だ。

(牛久市から見ると、牛久沼は夕陽の沈む美しい湖畔なのだが)

牛久沼プロジェクト課という部署もあるらしい。

また、牛久沼フォトコンテストを龍ケ崎市主催で毎年行い、その入賞作をもとに牛久沼カレンダーを作っている。

牛久市以上に充実したホームページだ。

 

つくば市のホームページを見ると、観光情報として牛久沼1ページ載っているだけだ。

 

複雑な気持ちだが、どの市であろうと、うしく Ushiku の知名度アップにつながれば良いとしよう。

 

ではまた,ぶらり。

来年もよろしく。

 

七浦弁財天 茨城県つくば市泊崎3

35.948066, 140.123154

 

 

  

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ひたち野うしく2016年:駅前が駐車場だった頃

2019-12-21 12:00:00 | 鉄道

 

ひたち野うしく駅の前に駅に直結とうたうシニア向けマンションが建設中だが、以前は駐車場だった。

2016年10月撮影の写真があった。

 

自動車がたくさん並んでいるコイン式の平面駐車場。

 

 

常磐線に乗る人たちが結構利用していた。このときは確か一日500円、休日600円。

都会に比べなんと安いことか。(東口は100円安い)

それなりにはやっていた。利用していた車はどこへ行ったのかな。

 

駅のあたりグーグルマップの衛星画像でみると駐車場ばっかりだ。

https://www.google.co.jp/maps/@36.0074969,140.1590862,628m/data=!3m1!1e3?hl=ja&authuser=0

西友も上から見ると屋上の駐車場しかみえない。

面積では約8割が駐車場にみえる。

この辺り,田舎の宿命で車社会。

コンビニ店に行くのも車,塾も親が車で送迎,東京へ出かけるのもパークアンドライドとして駅で乗り換える。

高齢化社会になりつつあるので,ある程度の頻度でコミュニティーバスなど公共交通を走らせてほしい。

免許の返上を呼びかけるなら足の手段を確保すべきだろう。

 

 

ではまた,ぶらり。

 

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ひたち野うしく昔々:遺跡の発掘

2019-12-14 06:00:00 | 散歩

ひたち野みずべ公園に遺跡の場所を紹介する看板がある。

その並びに発掘の状況や発掘された土器などの写真も掲載されている。

男達がシカのような獣を仕留めている絵。

教科書にも載っているような竪穴式住居の絵。

そして,実際の発掘作業の写真。

この辺り,道路を作ったりビルを建てたりするときは,よく発掘作業を行われているのを見かける。

 

 

発掘品から想像される昔の生活が説明されている。

石器時代の矢じり

縄文時代や弥生時代の土器

古墳時代の勾玉

住居の柱の跡

 

 

 

海水面が下降して,海が今の海岸線まで後退した後も,人は住み続け,谷から湧き水で(谷津という)稲も作られたようだ。

 

たくさんの発掘品はどこかに保管されているだろうと思う(教育委員会?)。

たいていの市町村に展示施設はあるので,牛久にもあるだろう。

予備知識のない私には,土器などはどこの展示物も似ているので退屈すると思う。

だが,この町に住む子供達には,自分たちの土地の歴史がこんなに古いことを知てもらいたい。

土器を焼かせたり,縄文生活を体験するのは大人も子供も面白いだろう。

 

こんな公園の看板の説明文が英語でもなされているのは素晴らしい。

この辺に住む外国の方もひたち野の歴史を知るよい機会だろう。

 

 

ではまた,ぶらり。

 

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ひたち野うしく昔々:古代遺跡群

2019-12-07 08:00:00 | 散歩

ひたち野うしくの「ひたち野みずべ公園」に,周辺の遺跡群を示した地図(看板)があった。

この狭いエリアに8つの遺跡が見つかり,発掘されている。

古いものでは旧石器時代からはじまり,平安から近世(江戸)にかけて続いていた。

それぞれ遺跡の戸数は21軒から71軒(結構具体的な数値だ)。

 

 

この地区は小野川と乙戸川に挟まれた台地。

縄文期は温暖で海水面が高く,海が内陸まで入り込んでいたという(海進)。

小野川にも乙戸川にも海が入江のように入り込んでいたものと想像できる。

海が近くて魚介類も捕れたのだろう。

食べ物に不自由せず,快適だったのではと思われる。

その頃にできた集落が数百年から数千年も続いていたことになる。

人は移動するが,住みやすくなじんだ土地に長く住み続けるものなのだと思う。

 

今の地図と比較してみた。

1.ヤツノ上遺跡は今のいきなりステーキのあたり。

2. 中久喜遺跡はワンダーグー

3.東山遺跡はひたち野西小の近く

4.馬場遺跡は八幡神社のとなり

5.行人田遺跡は日産プリンスのあたり

6.隼人山遺跡はホーマックの先

7.西ノ原遺跡は中華珍来の突き当たり

8.中下根遺跡は東下根地区2号街区公園

 

昔の集落間の距離は,200~500mくらいしか離れていない。

このあたり,地形が平坦なので,人口の少ない当時はお隣さんのような感覚だったかもしれない。

 

ではまた,ぶらり。 

 

 

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名札を食べる木 アゲイン:ひたち野うしくスタバ

2019-12-01 08:07:00 | なんだこれ

名札をたべる木を以前紹介した

ひたち野うしくアクロスプラザのスターバックスの植栽木だ。

ハナミズキに名札が飲み込まれそうだった。

スタバに寄ったついでにもう一度みると,同じような木がたくさんあった。

 

ナツツバキ

 

この木は何だろう

 

イロハモミジ

 

ソヨゴ

 

名札についた紐を幹に縛り付けた後に,幹が太って食い込んだのだろう。

中年になって若いときのズボンやスカートのウエストが入らなくなったのに,無理に絞めたらこんな状態。

紐はもうかなり食い込んで見えない。

たぶん相当苦しいと思う。枯れてしまわなければ良いが・・

 

ではまた,ぶらり。

 

 

 スターバックスコーヒー

 

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